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日蓮大聖人・池田大作

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広宣流布の使命 埼玉総支部幹部会

1962.5.10 「会長講演集」第7巻

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3  次に申し上げたいことは、学会が選挙をやることについて、なかには信心の弱い人は、疑問を起こす人がいるかもしれません。しかし、このことについては日蓮大聖人様がおおせになっているのです。「勅宣並に御教書を申し下して」「御教書」というのは、今でいえば国会の議決、選挙なのです。日蓮大聖人様がおおせになっているのです。広宣流布ということも、日蓮大聖人様の御書を拝すれば、各所におしたためなのです。また、恩師戸田城聖先生も「どうしても広宣流布をするためには、選挙をしなくてはならない」とおおせなのです。やりたくないと思っても、日蓮大聖人様のご命令ですから、どうしようもないのです。
 信心が弱い人などは、選挙によってはっきりするのです。ぐっと強くなるか、あるいは、おかしくなっていくか、仏道修行における大きい節とも考えられます。いずれにせよ、ぜんぶ、日蓮大聖人様のおおせなのでありますから、一生懸命やっていただきたいと思います。
 日蓮大聖人様がおおせなのです。われわれは日蓮大聖人様の弟子であり、日蓮大聖人様の仏法を奉持して功徳をいただいていっているのですから、これ以上の仏法がないことは、はっきりしているのです。
 北条しゅん八先生は、さきほどからもご紹介がありましたが、日蓮大聖人様ご在世においての北条時宗の末孫でおられるのです。あの当時は、日蓮大聖人様にも師敵対して、日蓮大聖人様に、ずいぶん、おこられた人なのです。
 良観房など邪宗のやからのざん言を受け入れて、北条幕府は日蓮大聖人様を佐渡の国へ流したのです。日蓮大聖人様は「日蓮の弟子が火つけをした」というざん言で島流しにされたのです。御本仏様でもそういうふうに批判されるのですから、末代のわれわれが、あちこちから批判されることは、これは、やむをえません。しかし、日蓮大聖人様を佐渡の国から許したのも北条時宗なのです。
4  そのときは、信心しませんでしたけれども、七百年たって、北条一家が信心したわけです。これは、ずいぶん長い折伏です。また七百年もたって、信心したご一家ですから、その日蓮大聖人様に対するご恩返しと、いままで強情をはったぶんを、国会や、それから広宣流布のために、爆発させていくということも、とうぜん考えられると、私は思うのです。
 北条先生も、べつに自分から立ちたいと思って、立ったわけではないのです。私とて、自分から会長になりたいと思って、会長になったわけではありません。だれか、確信あれば、なりたい人がいれば、いつでも代わります。そのかわり大罰を受けないようにしてもらいたいと思います。北条先生も同じです。
 しかし、広宣流布のために、おのおのの役目があるのです。使命があるのです。
 信心をきちんとすれば、それが証明されてくるし、わかってくるし、そういう意味から、学会の人事については、どうか信頼していただいて、このご年輩で、朝な夕な駆けずり回って、広宣流布のために立ち上がってすすんでいる北条先生を、くれぐれもご後援していただきたいと、心から念願するものでございます。
 最後に、皆さん方が、どうか、この選挙をとおしても、また一日一日の仏道修行をとおしても、お会いするたびに、はつらつと、生活のうえでも、こんな功徳が出た、病気もなおった、女学生、中学生のような気持ちで元気だというふうに、大見えをきって、私どもと会えるようになっていただきたいと、このことを心からお祈り申し上げまして、私の話とさせていただきます。長いあいだ、ご苦労さまでございました。

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