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日蓮大聖人・池田大作

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名誉主義廃して謙虚に 大幹部会

1961.12.23 「会長講演集」第5巻

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5  それから、次に申し上げたいことは、これは、もう一節御書を拝読いたしますが、大幹部になると、いろいろな点で、組織のうえで、名誉のうえで、位のうえでは、大幹部であるけれども、信心が、しらずしらずのうちに、自分自身で気がつかず、皆が大幹部と信頼しているうちに、落ちていく場合があるのです。
 『身はをちねども心をち或は心は・をちねども身はをちぬ
 四条金吾殿御返事にありますが、大幹部の成長が、ぜんぶの成長に通じてくるのです。それで、大聖人様は四条金吾殿に、このようにおおせになっています。
 これは四条金吾殿に対する指導を、私どもへの指導と拝したいのです。それは、 『賢人は八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり、利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽なり、をを心は利あるに・よろこばず・をとろうるになげかず等の事なり、此の八風にをかされぬ人を必ず天はまほらせ給うなり』       
 次にもう少しありますけれども、ここまでできっておきます。
 賢人とは賢い人ということです。賢人と申すは、八つの風に左右されない人をいうのです。自分自身がりっぱな大指導者として、つね日ごろ人間革命に励んでいかなければ後輩がかわいそうです。大将軍になっていかなければならないのです。賢人ということは大将軍ということです。いまのことばでいえばりっぱな指導者ということです。
 その指導者は『うるおい』金だけの目当てでもいけない。『おとろえ』だんだんだんだん自分は年をとっているから、もうこのへんで信心やめてもいいだろうという、おとろえに左右されてもいけない。おとろえの風という意味です。『やぶれ』なにか失敗があった。だからもう自分はダメなのだ。そういような、弱い根性でもいけない。『ほまれ』人からほめられた。名誉をもらった。そういうことで浮き足になってもいけない。『たたえ』皆からほめられた、賛嘆された。だから自分はたいしたものだ、ということにとらわれてもいけない。『そしり』これは、しょっちゅう、そしられているから驚くことはないとおもいます。『くるしみ』苦しいからといって、それからまた『たのしみ』いまはもう幸福でいっぱいだといって、そういうようなことで、民衆の指導をお断りしてはいけない。こういう意味なのです。
 ですから、われわれは、凡夫即極、諸法実相のふるまいでありますから、うれしいときは、いくら喜んでもいいし、苦しいときは、ああ、苦しいと思うこともやむをえないし、楽しいときは、うんと楽しんでもかまわないのです。だが、それだけに流されて、民衆の指導を忘れてはいけない。信心の向上を忘れてはいけない。
 したがって、うんと金がもうかったら、もうこれで自分は学会をやめよう。御本尊様の手柄ではないのだというふうになってもいけないし、だんだん、だんだん、自分が商売がたいへんであるからといって、卑屈になって指導を怠ってもいけない。そういう八つの風に少しも左右されないで、流されないで、どんどんどんどん広宣流布のために指揮をとっていく人には、必ず天の守りがある。大御本尊様の功徳厳然たり、というおことばなのです。
 したがって、皆さん方は、ついいままで工員であった人もいるかもしれません。
 それが、何千、何万人のうえにたって『先生、先生』とあがめたてまつられて、いい気になるような大幹部になっていただきたくないのです。
 また、自分は大幹部であるけれども、金がない。商売がひじょうにまずいからといって、なんら卑屈にならず、堂々と信心指導の指揮をとっていただけるような大幹部になっていただきたい。このように、御書をとおして、私は深く皆さん方が大将軍として、内外に厳然たる確証をにぎるまで成長されんことを、心から念願するものです!
 以上、強い団結と、強い信心の向上とをお祈り申し上げて、来年一年、楽しく、仲良く、力強く、ひとりひとりの勝利と、創価学会の大勝利を心から期待して、私の指導といたします。たいへんご苦労さまでございました。

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