Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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若き革命家・ナポレオン  

1958.6.20 「会長講演集」第4巻

前後
2  彼の思想は、どこにあったか。それは、ヨーロッパ合衆国をつくることである。全ヨーロッパに共通する法典と、貨幣と、度量衡を残したいことであった。
 そして、さらに、夢は大きく『アレキサンダーの世界統一を、もう一度実現したい、そうでなければ、おれは死にきれない。どうしても東洋へ、そしてインドへも行くのだ』と、虹を追うがごとく、理想と、情熱をもって生きたのであった。一応、西欧の統一をはかった彼は、次に、ロシアへの遠征を開始したのである。『攻めるのが唯一の道だ。停止は自滅だ。前進!』と叫んで。
 火の玉の彼は、六十数万の大軍を率いて、運命の戦さを開始したのである。ナポレオンは、この戦さで、厳寒と、糧食欠乏と、疲労と、敵の忍耐等に、初めて負けたのであった。勝ってこそ、ナポレオンであり、負けては、もはや、ナポレオンではない。寂しく、エルバへ、第一回の島流しにあったのである。しかし、そのままで屈する彼ではなかった。
 山を抜く、彼の毅然たる情熱は、ふたたび新たなる世界を指さしはじめたのであった。ほえ叫ぶ獅子が、たてがみを立てるがごとく『前進』と叫び、夜のヤミをついて、単身、パリに進んだのであった。これからが有名な百日政府である。ふたたび皇帝となって指揮をとった彼は八万の敵をけちらし、連戦奮闘の戦さであった。しかし、彼の福運は、しだいにつき、多年の戦友であったマルモン元帥の反逆、イタリア遠征当時からオージェイ元帥の裏切り等が始まったのである。
 『われ、敵を恐れず。恐れるは、わが味方なり』と叫んだのである。人間は、老いて青春の生気をなくすとき恐ろしい、慢心の奴隷となるときがある。世界的に有名な、ウォーターローに敗れた彼の最後は、あまりにも悲劇であった。セントヘレナに流された五十一年の生涯をばふりかえって、彼は『おれの一生は、なんという詩歌だったろう』ともらした。しかし、苦しい人生の終幕ではなかったろうか。また彼が、最後に知ったことは『名誉や、利害でつった戦友は、最後は、皆だめだ。理想と、純愛とをもって、ひきつけた人々のみが、最後の味方でありうるのだ』と。
 外道たりとも、信念にたつ人は、これだけの力をもつ。しかし、妙法を知らぬ人生は、悲嘆である。われらは、彼より、百千万億倍すぐれた青年である。妙法の哲理を右に、慈悲の剣を左に持って、世界の平和に、白馬に乗って、雄々しく前進だ。(当時、参謀室長)

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