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日蓮大聖人・池田大作

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奉安殿建立の意義  

1956.4.1 「会長講演集」第4巻

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3  続いて宗務総監よりは『本宗におきましては、御宝蔵といえば戒壇の御本尊という常識になっておりましたが、本日より戒壇本尊としての名称をえましたことは非常に意義深いものであります。なにを物語るかと申せば、日蓮正宗の信徒一同が、創価学会の不惜身命の折伏によってできたものであり、また、やがては国立戒壇建立にかかるのでしょうが、しかし、この名称をうけたことは意外にすみやかなあゆみであったと思います。そしてこのことは、国立戒壇建立の時がきたものと確信するものであります』また、このたび学頭になられた堀米権大僧正よりは『ここに奉安殿ができましたことは、正宗として一大転機をなすことと御同慶にたえません。日興上人はじめ上野殿等のおのおのの御弟子が、堅く護して以来、六百有余年のあいだ、僧侶はじめ、皆この御本尊様をお蔵からお出し申し上げたいと念願いたしてまいりましたが、今回この奉安殿に安置申し上げることは、当宗が一歩発展されたように感ぜられます』と深き思索のごあいさつがなされたのです。
4  会長戸田先生は『学会は大聖人様の時代に帰り、大聖人様の弟子檀にかえれというのが、私の主張であり信念であります。日蓮正宗の興隆は、それ自体が広宣流布を意味するものです。このような奉安殿ができましたことは、皆さまの努力によるものと喜んでおります。私からも、あなたがたにお礼申し上げます。いつかまた、大客殿の増営をしたいと思っておりますが、そのときまたおおいなる信念を奮い起こしてやっていただきたいと思います』
 誠心一途に御奉公申し上げる会長先生のおことばに、会員一同、わが身の信心をふりかえったことでありましよう。
 第二祖日興上人の御付属状によれば『国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり』と明確におおせられております。
5  しかれば、小乗の戒壇は遠くインドに、釈尊が園精舎の外院の東南に設けられたのをはじめとして、わが国においても、鑑真和尚の聖武帝のとき、奈良の東大寺に設置され、また淳和帝のとき、筑前の観世音の下野の薬師寺とに建立されたのであります。なお、さらに大乗戒壇は、淳和天皇の代、近江の延暦寺に建立され、四戒壇と称せられております。
 しかるに、大聖人様のたてたもう戒は、すでに教が本門の御本尊を受持し南無妙法蓮華経と唱題することが根本であるがゆえに、受持口唱を本門の本円戒となされているのであります。
 三大秘法口決に『本門寿量の大戒は虚空不動戒、無作の円戒と名づけ、本門寿量の大戒壇と名づく』とおおせられて、いちいちの行為において悪を止め、善をなさしむる戒を廃し、ひたすら仏の因行を行ずることができるのであります。
 三大秘法抄に『三国並に一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法のみならず大梵天王・帝釈等も来下してふみ給うべき戒壇なり』と。
 じつに末法尽未来際までも、一切衆生の成仏の喜びを切々と感ずるものであります。したがって、日本国、全東洋の民が救われてゆく第一歩の門出の姿が、奉安殿の建立に通じ、意義があることを自覚せねばならぬのであります。
 さらに会長戸田先生は、奉安殿建立に続いて、五層建築の大客殿の建設を意図あそばされておられるのであります。これまた、広布の暁が刻一刻と間近に迫る証明でなくて、なんでありましょうか。全世界の聖鐘は日本国、日本国には富士大石寺に鳴り響いているのであります。
 富士一跡門徒存知事にいわく『興云く、凡そ勝地を撰んで伽藍を建立するは仏法の通例なり、然れば駿河国・富士山は是れ日本第一の名山なり、最も此のみぎりに於て本門寺を建立すべき由・奏聞しおわんぬ、つて広宣流布の時至り国主此の法門を用いらるるの時は必ず富士山に立てらるべきなり
 しかして創価学会こそ、その仏意仏勅をこうむり、御本仏日蓮大聖人様の御金言を虚妄にせず、大聖人様正信の弟子として、一国広布、否東洋広宣流布に向かって、ひたぶるに御本尊様を信じたてまつり、不自惜身命の闘争をなしゆく団体なのであります。
6  最後に奉安殿の建立に浄財を御供養申し上げた幾万かの学会員の氏名が、奉安殿のなかに永久に御本尊様とともに保存されるという生涯の名誉、子孫末代まで功徳が回向されることを信じ、ここに勇んで折伏戦に進みゆかんとするものであります。(当時、参謀室長)

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