Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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化法・化儀の広宣流布の時代的背景  

1956.1.1 「会長講演集」第4巻

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 御書にいわく『扶桑国ふそうこくをば日本国と申すあに聖人出で給わざらむ、月は西より東に向へり月氏の仏法の東へ流るべき相なり、日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり、月は光あきらかならず在世は但八年なり、日は光明・月にまされり五五百歳の長き闇を照すべき瑞相なり』の御文のごとく、釈迦の仏法は大聖人様の御出現によって、まったく力を失い、末法万年の闇を照らすべき東洋流布の大白法は大聖人様によって確立あそばされたのである。
 釈迦仏法が、インドより、まず小乗教、権大乗教、実教の順のごとく、中国、朝鮮、日本へと渡ってきたごとく、いま末法の三大秘法の仏法は一国広宣流布の大前提として、かつ、東洋流布への瑞相として、邪教とはいえ、題目を唱える日本山、仏立宗等が、朝鮮、中国、インドへ普及しているという事実は、正法流布のまえぶれとして雑草の役目ともいうべき姿であろう。
 歴史は、たえずくりかえされるのであろうか。また万物は、たえず流転されていくのもであろうか。鎌倉は正しく頼朝よりの武家政治の中心地であった。天皇の位置はあれど、その地位、権力は、まったくなし。平安の文化は藤原氏中心の文化であった。像法やや過ぎ、藤原氏の専横は武家の反感とあらわれ、闘諍言訟・白法隠没の時代となり、平家、源氏の戦雲は長く続き、民のなげきは、いかばかりであったであろうか。
 弊害百出の結果、武家政治となり、北条幕府、鎌倉時代に移ったのである。けだし、民衆の幸福、国家の安泰は、まったくならず、ここに末法にはいり二百二十余年、大聖人様の出現によって初めて悠久の民族幸福の原理が打ち建てられたのである。
 しかして現代もまた等しく二十世紀の自然科学は最高度に進み、政治経済もいちじるしく発展してはいるが、在世時の幕府政治では、民衆の救出を成しえぬがごとくに、現代の科学、政治、教育、経済等の文明を誇ったとしても、はたして、大衆に真の幸福がもたらされているであろうか。吾人は否と絶叫せざるをえないではないか。
 この残された大問題こそが、政治、経済、教育等の根本的解決であり、化儀の広宣流布せずんば、絶対に成就せぬことを自覚すべきである。(当時、参謀室長)

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