Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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宗教は学会に聞け 静岡支部幹部会

1960.2.5 「会長講演集」第4巻

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2  最後に申し上げますことは、いかなることをするにも題目の数です。お題目を唱えずして、このわれわれの信心も生活も活動もありえない。全部、お題目です。前進、前進といいますが、まことの前進は、お題目をあげることにつきるのです。それからいっさいの前進ができるわけです。そういう意味で、しっかりお題目をあげ、そして毅然たる勇気ある折伏行をしてほしい。
 それなのに批判したり、誹謗したり、疑ったりしては、すぐに功徳を消してしまうのです。消さないようにして、しみじみ信心してよかった、こんなに幸福になったという実感をうけるような幸福をうけていただきたいと思うのです。みずからが功徳をうけるためには、謗法があってはなりません。疑いがあってはなりません。
 あくまでも題目をあげ、人を尊敬し、仏になっていくのが、私どものただひとつの目的でございます。
 信心して二年、三年で信心を決めないで、十年、二十年と信心しきっていけば、振り返ってみて、大功徳をうけた結果がみえてきます。木だって毎日見ていれば、ぜんぜん成長した姿がみえません。子供だって、生まれてすぐ働きに行くというわけにはいきませんよ。二十年ぐらいかかります。
 同じく信心も、この『心田』に仏種を植えたのですから、あとは、毎日、毎日、三障四魔に負けないで信心をしていくのです。あたかも草木が、虫が、それから、いろいろなものに負けないで育っていくみたいに、負けないでさえいれば、十年、二十年たってくると、仏の命が、春爛漫と咲くにきまっているのです。どんなことがあっても、御本尊様をはなさない、受持即観心といいますね。受持しきっていくことが信心なのです。そうした疑わないという絶対の信心を続けられんことを切望します。(当時、総務)

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