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日蓮大聖人・池田大作

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炭労の狂態を撲滅する 炭労問題夕張大会

1957.7.2 「会長講演集」第3巻

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1  炭労がどんなに叫んでも、わが学会は日本の潮であり、その叫びは師子王の叫びであると信じます。
 創価学会の本質、すなわち目的は、あくまで日蓮大聖人様の不滅の生命哲学をもって、東洋民衆を救うということであります。大聖人様の出世の御本懐は一閻浮提総与の大御本尊様、すなわち三大秘法の大御本尊様の御建立にあります。
 この大御本尊様を信心し、題目を唱えたてまつれば『願いとして叶わざるはなく、罪として滅せざるはなく、福として来らざるはなく、理として顕われざるはなし』とおおせでございます。資本家も、また労働者においても、悩む人々は数知れない。その人たちに、この大功徳まします大御本尊様を御紹介申し上げるのが、学会の使命なのであります。
 本日、二、三年で、たくさんの学会員が信心してしあわせになり、生命力にみちみちた姿をば、炭労の指導者はいかにみるであろうか。炭労の幹部が、組合活動で救えなかった人たちが、ここに大御本尊様によって救われたのであります。したがって、炭労の幹部がガヤガヤいうことは、ヤキモチをやいているのではないかと思うのでございます。
 さて労働運動も、経済も、また文化も、事業も、すべて生命なくして、個人というものがなくしてはなりたたない。経済も、文化も、事業も、すべて幸福建設の一端にすぎません。自分はなぜ不幸なのか、どうして頭が悪いのか、病弱なのかという問題の根本的解決の道は、真の宗教なのであります。その根底からの解決方法がなければ、しあわせも砂上の楼閣となり、学会の本質からみれば、自民、社会の党員でも、労働者でも、あくまで、その人が、その境遇にたって、自分自身の仕事をまっとうしていくところの本然の力を与える。すなわち人間革命をしていくということが創価学会の使命なのであります。
 学会は不幸の根源である邪宗とは、最後まで闘争いたします。しかし炭労や社会党、自民党にケンカをふっかけるものではありません。学会精神は、キリスト哲学、共産哲学であれ、すべての哲学、思想を、日蓮大聖人様の大仏法によって指導していくものであり、学会の本質は、そこにあるのであります。
 学会の唯一の目的は広宣流布である。『国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ、事の戒法と云うは是なり』この大聖人様の御命令であり、御予言である御遺志を実現するのが、学会活動であります。
 いま二大思想といわれる資本主義的経済思想、また社会思想、社会哲学が、制度の改革によって民衆を救おうとしている。これに対して、学会はまず個人の根本的しあわせ、そして社会を繁栄させていき、王仏冥合の哲学によって民衆を救わんとするのでございます。
 大聖人様は『天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか』と。天晴れぬればとは法華を識ること、法華を識るとは大御本尊様を受持申し上げることである。世法を得べきかとは自分の商売、仕事に信心を中心にして励みなさい。おのれの商売事業を改良し、思索し、くふうしてりっぱな事業の発展を、自分の境遇の発達をはかりなさい、これが大聖人様の御指導であり、学会の指導理念なのです。
 したがって、組合に対しても、信心即生活、信心即仕事、即労働組合、これが正しい学会の行き方、指導であります。しかるに、炭労の人々は、まったく理解せず、一方的にだめだといっているのです。広布に進むこの学会をはばむ炭労の姿は、悪鬼・魔神の姿であり、必ず諸天善神の治罰をこうむるものと信じます。
 大聖人様御在世にも三類の強敵があらわれたとき、法体の広宣流布の瑞相がございました。いま、一昨年の小法論で、北海道に道門増上慢を打ち破り、そして広布の瑞相たる僣聖増上慢を、また北海道で打ち破るということは、喜びにたえないしだいです。
 大聖人様は『大悪をこれば大善きたる』と三類の強敵あらわれ、いよいよ広布も間近であることを、私たちは確信すべきであると思うのです。
 最後に、大聖人様が佐渡へ流されたとき、弟子檀等に『法難にあったときこそ、師子王の心をいだけるものが仏になるものだ』(佐渡御書957㌻)とのおおせをば、わが身に感じて、このときこそ宿命転換のときであると知るべきであると思うのでございます。最後は、信心を持ちきった人が勝つ。最後は、なにものも仏法に従うのであるとの信念にたって、いよいよ精進しようではありませんか。(当時、参謀室長)

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