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第2回男子部関西総会 労働運動について

1961.6.18 「会長講演集」第2巻

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1  本日はまことにりっぱな総会、たいへんにおめでとうございました。
 『何々宗の信者』とか『何々教の信者』というと、世間の人々は、皆、バカにするものであります。事実、過去においても、私どもは、そのように思っておりました。教組のドレイになって、骨を抜かれ、生命力は落ち、生活は乱れ、幽霊のようにされてきておったのが、邪宗教における『信者』という名称でありました。
 しかるに、全世界にただ一つ、最高唯一の真実の仏法である日蓮正宗だけは、即創価学会員だけは、信心すればするほど、生命力豊かに、生活を革命し、師子王のごとく、わが人生を生ききっていくのがわれわれ信者の姿なのであります。
 すなわち、日蓮正宗の信者は、創価学会員だけは臆病者は信心することができません。最高に勇気を持ち、勇敢なる者が、地涌の菩薩であり、創価学会であると、私は叫ぶのであります。
 十年以上前に、恩師戸田先生は、私ども青年に、さまざまな本を読ませ、その本のなかから、将来、指導者に育っていくべき薫陶をしてくださいました。その読まされた本の一つに『永遠の都』という本があります。これはイタリアの政治革命の本であり、時の権力、時の腐敗しきった政府にたいし、一青年が革命を起こしていく物語であります。ロッシという新聞記者が、一生涯かけて『永遠の都』すなわち、ローマを建設したいという、烈々たる闘争の物語です。今、その方法を、私どもはいいというのでは絶対ありません。
 そのロッシにたいし、与党であり、ロッシをいじめようとする一派の連中がいわく『ロッシは口に剣を持ち、手に短剣を持った革命児である』と言われておった。それはどういう意味であるか。『口に剣を持ち』というのは、堂々と雄弁をもって、あらゆる邪義に対抗していくべき力です。『手に短剣』というのは言論戦です。
 このロッシも、初めは絶対無血革命を叫んでおったが、その理念ではどうしようもなくて、暴力に移っていく悲しい物語でありますけれども『口に剣を待ち』『手に短剣』をもって、今、わが創価学会の男子部も、その方法と目的は大きく違いますけれども、日蓮大聖人様の大哲学をもって、だれびとにたいしても、いかなる邪宗邪義、思想家、指導者にたいしても、堂堂と打ち破っていける確信ある雄弁をもち、教学を身につけていただきたいと、私は思うのあります。
 また『手に短剣を持つ』とは、創価学会は剣などは持ちません。あくまでも平和革命です。また、戦争などという悲惨な道は絶対にとらせたくありません。しかし、邪宗邪義と戦っていくうえにおいて、また世の指導者たちの眼目を開くために、皆さん方がもった大哲学、そして確信、情熱をば全世界に訴えきれるだけの言論戦即いかなることにも勝ちきっていけるという実力を、私はもっていただきたいのであります。
 また、次に申し上げたいことは、ほとんどの青年部の人々は労働者です。御書にいわく『一切の法は皆是れ仏法なり』と。あくまで根本的な幸福を確立し、最高の人生観として生きていくうえには、三大秘法を奉持して、学会活動即仏道修行以外にはいりませんが、それぞれの職場にあって、なかには創価学会員は、労働運動や労働組合のほうで活躍をしてはいけないのかなと錯覚をもつ人も、これからもでてくると思います。そのために申し上げますが、恩師戸田先生も『もし自分の子供が赤旗を持って、社会のため、自分たちの正しい権利のために立ち上がるならば、わしも赤旗を持って応援に行く』と申されておりました。私も同じであります。
 したがって、あくまでも信心第一に、学会精神を根本としているならば、おのおのの職場にあって、私は、諸君が洋々たる気持ちで、組合長になることもけっこうでしょうし、委員長になることもけっこうでありましょうし、書記長になることもなんらさしつかえないと、このように申し上げておくしだいでございます。
 どうか、全関西のあとをになっていく皆さん方でありますから、着実に一歩一歩、魔と戦い生活革命し、関西のいっさいの大指導者に、そして日本の、東洋の大指導者に、りっぱに育ちゆかれんことを切望しまして、私の話といたします。御苦労さまでございました。

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