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渡印歓送会 渡印あいさつ

1961.1.23 「会長講演集」第2巻

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1  たいへん高いところから失礼とは存じますが、ひとことごあいさつをさせていただきます。
 私どもは、ぜんぶ猊下の家来でございます。このたび、家来を代表させていただき、また、日蓮正宗の信者を代表させていただきまして、日蓮上人猊下を外護申し上げ、東南アジアの旅行に行ってまいります。
 創価学会の目的は、申すまでもなく、総本山をお守り申し上げ、御法主上人猊下をお守り申し上げ、全世界の広宣流布に進んでいくことのみが目的でございます。
 かつて、昭和二十六年七月の十一日、木曜日の夜は、恩師戸田城聖先生が会長に就任なされ、最初の男子青年部の結成式が、旧本部の二階においてなされました。その時に集まった青年部員は、百数十名でありました。その時の戸田先生のお話は『必ず、このなかから第三代の会長が出る』とお話をくだされ『その会長にあいさつをして、自分のあいさつにかえる』と申されました。
 その時に、同時に申されたことは、諌暁八幡抄ならびに顕仏未来記のおことばを引かれて『どうしても、東洋の広宣流布をしなくてはならないのである。もしか、自分が東洋の広宣流布まで、できえなかったならば、ここに残った男子青年部員が、自分の遺志を継いで、大聖人様の御金言を達成せよ。どんなことがあっても達成せよ』と申されました。そのおことばは、私の脳裏にこびりついて、寸時として離れることがありませんでした。
 今、日蓮上人猊下の御慈悲により、また御仏智により、東南アジアに向かって、東洋広布の第一歩の、先駆の法戦がしかれることにあたり、皆さま方を代表して、外護の任をおおせつかりまして、これほどの名誉はございません。
 猊下をお守り申し上げつつ、私ども一行は、物見遊山の気持ちで、回ってはまいりません。この身で東洋民族の現状を、現象というものを体得して、これからの東洋広布への、大きい糧にしたいと思っております。
 以上かんたんでございますが、ひとこと申し上げまして、お礼かたがた、あいさつにかえさせていただきます。本日はありがとうございました。

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