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日蓮大聖人・池田大作

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南秋田支部結成大会 学会精神

1960.11.23 「会長講演集」第1巻

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2  話は変わりまして、私どもは、ただ会員が願うことは、この世の平和であり、幸福に生きていきたいということだけです。
 平和をつくり、全民族を幸福にしてくれる大政治家がいれば、ほんとうに私はうれしいと思います。また、大科学者が、大教育学者が、大経済家、すなわち国民の大指導者がいるならば、ほんとうに私は尊敬しますし、それを願っております。現実はそうではありません。悩める人、苦しんでいる人があまりにも多いのです。
 したがって、私どもは、りっぱな、人々のことを思い、幸福にし、子孫末代まで平和にしてくれる、大指導者がいれば、なにも創価学会は騒ぐ必要はないのですけれども、現実としてはだめです。どうしてもそこに大生命哲学を奉持し、末法の救世主である日蓮大聖人様の三大秘法の大御本尊様によって、それをひろめて、平和と真実の幸福をつくらねばならい宿命に立ち上がっているのが、日蓮正宗創価学会なのであります。
 この大聖人様の御命令に、全民衆の要望にこたえて、慈悲をもって活動していくのが地涌の菩薩であります。したがって、創価学会は、大勢の会員を集めて、金もうけすればいいのだというように世間の人は思う人があると思いますが、また、なにか将来たくらんでいるのではないかと危惧する人も、世間にはあるかもしれませんが、どの世界を見ても、社会を見ても、みんな利害の関係と、派閥争いと、自分一個の個人主義の名誉欲とが浸透しきっているのが、他のいっさいの世界です。宗教界もしかり、政治界もしかり、思想界もしかり。そういう悪世末法のなかにおって、ただ一つ真実の仏法により、真実のつながりをもち、真実の幸福を受けきって、清らかに進んでいるのは、創価学会しかないのです。
 あると思ったならば、どれでもいってみてください。また、しあわせになる道があると思ったならば、どこでもいってください。創価学会にはいってくださいということは、ひとことも言いません。これが学会精神です。
3  大御本尊様のことについては、大聖人様は『習いそこないの学者が知ることができない大仏法である』とおおせです。一念三千という大哲理、草木成仏という大原理のうえにたって、大御本尊様というお力というものは、信じきってみなければわからない。よく戸田先生は『三百年前にテレビやラジオがあったならば、だれも信じないであろう』とおおせになっておられましたが、八万法蔵の極理である、大聖人様出世の御本懐である、永遠の衆生を永遠に救いきると、大確信をもっておのこしくださった御本尊様のことを、そのへんの学者に、宗教学者たちに、わかるわけがありません。それほどの、絶対の御力のある御本尊様なのです。『一枚の紙ではないか』という人があるかもしれませんが、いなかの、おばあさんに、小切手を渡しても、その価値はわかりませんし、家の登記書だって一枚の紙なのです。本だって、ぜんぶ紙です。そこに印刷がなされておりまますが、お金だって紙です。ラブレターだって紙です。すべて一枚の紙であるけれども、人生に大きな影響を与えております。
 『日蓮がたましひすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ』と申された、大聖人様の、御本仏日蓮大聖人様の、御命が、そのまま大御本尊様に盛られており、うつされているのです。その御本尊様に題目をあげることによって、自分自身の仏の生命力が湧現してくるのです。その生命力を湧現しきって、この一生、だれよりも楽しく、幸福にみちみちて、生きていこうではありませんか。
 これだけを教えあい、また味わいあっていくのが、創価学会の和合僧の姿なのです。あとはぜんぶ枝葉です。どうかひとつ、一生涯、御本尊様を放さないで、自分ほどしあわせはないと――やりもしないで功徳がないといってはいけませんよ――きちんと正しい指導をうけ、正しい信仰により、そうして功徳をどんどん湧き出していく。自分勝手な我見をもってはならない場合もあります。おんしつをしてもならない。正しい指導をうけ、正しく実践し、正しく信仰するならば、ぜんぶ仏になることは決まっているのです。それを重ねて申し上げまして、きょうの話といたします。おめでとうございました。

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