Nichiren・Ikeda
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北海道総支部幹部会
何事も大御本尊様第一
1960.5.22 「会長講演集」第1巻
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2 それには、題目をあげ折伏をしなくてはならない。堅くなって死んだ人でも、御本尊様に題目をあげるならば、成仏の相に変わる。その偉大なる大御本尊様に五体満足のわれわれが唱題して、なんで病気がなおらないわけがありましょうか。永遠の幸福を、福運を積んでくださる御本尊様です。仏さまにしてくださる御本尊様、なんで御本尊様が、貧乏人をそのまま放置しましょうか。
また、私どもは、諸天善神、三世十方のあらゆる仏菩薩、梵天帝釈等から守られております。安心立命し、絶対なる生活に確信をもって大功徳の生活を湧現しきっていける信心修行をしとおしていきたいと思います。
そうなるためには、どういう一念が必要か。あくまでも大御本尊様中心主義で『大御本尊様第一、大御本尊様第一』この一念を忘れているならば、幸福生活は樹立できない。座談会といおうが、幹部会といおうが、生活活動といおうが、講義といおうが、教学といおうが、せんぶが大御本尊様から出発するのです。偉くなるためでもありません。自分の人気取りでもありません。
また、いっさいの折伏も、いっさいの会合も、いっさいの教学も、いっさいの活動も、詮ずるところは、ぜんぶ、大御本尊様に帰一するための活動でなくてはならない。
どうか『学会活動も、また、われわれの生活の源泉も、ぜんぶが御本尊様第一である』、この決心をもって進んでいただきたいと思います。
最後に、大聖人様のおことばのなかに『ぬれる木を燃やすがごとく、かわきぬる大地の砂を掘って清水を出すがごとく、そのような一念で強盛なる信心をしなさい』(御書1132㌻)というおおせがございます。
過去遠々劫の罪業によって、一年、二年、三年で生活の大転換ができえない人々もいるかもしれません。そういう福運のない、罪障の深いわれわれでありますが、ぬれたる木に火をつけ『普通では燃えないけれども、断じて燃やしてみせるそ。かわいた砂地から水は出ないけれども、絶対にこのかわける砂地から清水をコンコンと出してみせるぞ』という、強い強い信心で、題目をあげきって、宿命転換をしていただきたいと思います。