Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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4 日本とアメリカの使命  

「希望の選択」ディビッド・クリーガー(池田大作全集第110巻)

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6  日本は「過去」を清算すべき
 池田 こうした点について、私たちの共通の知己である「平和学の父」ガルトゥング博士も、「唯一の被爆国」という経験を生かせない日本に歯がゆさをいだいておられました。
 「何よりも日本は、アメリカとの関係において現在の隷属的立場を脱却し、もって対決的でない真の自主性の模範となるべきです。そうすれば日本は、中立国スイスと肩を並べるばかりか、はるかに凌駕すらする世界第一級の調停国たりうるでしょう」(『平和への選択』。本全集第104巻収録)と。
 冷戦の終焉は、日本にとって平和へのリーダーシップを発揮するチャンスであるはずです。
 クリーガー ガルトゥング氏の意見にまったく同感です。日本はアメリカの政策に対して「自主性」を主張しなくてはなりません。冷戦が終結した現在の世界は、日本が平和への世界的リーダーになる絶好の機会なのです。私は、平和のため、核兵器のない世界を実現するために、日本の国民が、世界的リーダーシップを主張することについて、もっと積極的になってもらいたいのです。
 池田 しかし、日本が核廃絶のイニシアチブをとっていくためには、越えなければならない一つの壁があります。それは、アジアに対する戦争責任をもっと明確にすることです。それも、外交戦略が見え隠れする玉虫色ではなく、誠心誠意の言葉と行動が必要です。アジアの民衆の「広島」「長崎」への一般的受け止め方は、「侵略の報い」「核兵器が戦争を終わらせてくれた」というものが少なくない。過去を清算できない日本の態度が、ここにも影を落としているのです。
 今のままでは、広島、長崎の民衆の声は、なかなか他国の「民衆」に届きません。そして、「民衆」が核の脅威を正しく認識しなければ、核廃絶への道のりも遠いものになってしまう。私は、このことを強く訴えておきたいのです。
 クリーガー 日本が過去に犯した残虐行為に関しては、日本は言葉を濁さずに謝罪しなければならないのは、おっしゃるとおりです。かねがね、私は、国家の指導者が、自国の過去の罪科を詫びるのが、どうしてむずかしいのかと思っていました。個人の心理には、自分の属する組織は道義的に正しく名誉に値すると思いたい「何か」があり、それは残虐な行為をも正当化する方法を見つけだすことさえあるようです。戦争のほとんどはそのようにして正当化されます。
 政治的指導者たちは、自分の行動がはなはだ暴力的であっても、それを何とか道義的に正しく名誉に値すると正当化できる「弁明のよすが」を探しだします。
 しかし、ちょっとでも距離をおいて見れば、多くの国家が見苦しい、不名誉なことを、そうとうに行うものだというのは明らかです。それは、アメリカでの先住民に対する大量虐殺、奴隷虐待、ベトナムで行った不法な戦争などについても言えることです。
 謝罪は高くつきません。きちんとした謝罪は、過去を清算します。謝罪は、「過去」のあとに生きる私たちが、「何が正しく何が誤りかをわかっている」ことを明らかにしますし、悪しき過去を繰り返さない証にもなります。まさしく、謝罪は、「受ける側」よりも「する側」がより大きな利益を受けるのです。謝罪は、心の重荷を取り払い、魂を浄化する方法です。国家の名のもとに犯された過ちの場合は、その国の人々の魂を、総じて浄化することになります。そして被害を受けた側の人は、謝罪があるなしにかかわらず、罪を許すことができます。
 池田 本質を突いたお言葉です。正確な歴史認識に立った謝罪は、「過去」を清算するのみならず、「現在」を見つめ直し、「未来」を創り出します。
 個人も、国家も、本能的に、みずからの過ちを直視したくないものです。しかし、そうした「感情」を乗り越える「哲学」を体してこそ、本物の「指導者」です。
7  「強い国」より「尊敬される国」に
 クリーガー 時には過ちを被った側が、謝罪される前に許すこともあります。広島と長崎で私が出会った生存者の方々の多くが、そうでした。アメリカ政府は謝罪していないにもかかわらず、被爆者たちは自分たちに原爆を落とした者たちを、すでに許しておられました。
 アジアの諸国民に対して、日本が一九三〇年代と四〇年代にもたらした苦しみを謝罪するのは、日本にとって浄化の行為になるでしょう。それは日本がアジアにおける、また世界における平和の建設者、紛争の調停者として自分自身を確立するのに役立つはずです。過ちを詫びるには勇気がいります。しかし政治の指導者は、えてして勇気がありません。ですから、政治の指導者に謝罪の意思がない場合になすべき次善の行為は、私たち一人一人が、個人の立場で詫びることです。
 池田 おっしゃるとおりです。私も、一人の日本人として、韓国の人々、中国の人々、すべてのアジアの人々に、誠心誠意、日本の非道をお詫びしてきました。それを大前提として、アジア各国との文化・教育・平和交流を進めてきたつもりです。
 それに、極東に位置する島国の日本は、歴史的にそれらの国々から多くの文化的恩恵を受けてきました。そうした文化の"大恩の国"に恩返ししたい、というのが私の心情なのです。
 クリーガー 広島と長崎に滞在した折に、私は、謝罪することができました。もちろん、それは公式的なことではなく、個人的なことでしたが、あの原爆投下が両都市の人々にもたらした言語に絶する苦しみに対して「アメリカ人」としてお詫びを言えたことで、私は正しいことをしたと感じました。過去に他者にもたらした苦しみに対し、きちんと謝罪する勇気のある政治指導者たちが、いつの日か、アメリカにも現れるようにと、私は祈っています。
 アメリカに勇気ある指導者が現れることは、アメリカが行使できる軍事力よりも、配備できるどんな武器よりも、蓄積できるどんな富よりも、私たちが偉大な国民になった重要な証となるでしょう。
 池田 片手で握手していて、もう片方の手で武器をつきあわせるような友情はありえません。仲たがいしているより、仲直りしたほうが、心が晴れやかです。間違ったことをして謝らない人間は、嫌われます――国と国の関係も、人間の関係と同じでしょう。「真理」は、明快で単純なものです。「強い国」「金持ちの国」だから偉大なのではない。「心を大切にする国」こそ、真に偉大です。「尊敬される国」です。

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