Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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5 エイズと人権
「健康と人生」ルネ・シマー/ギー・ブルジョ(池田大作全集第107巻)
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一人の女性外科医の人道活動
ブルジョ
「生命の尊厳」については後でふれたいと思いますが、会長のおっしゃった「同苦」し、ともに戦うということに関して、カナダの女性外科医ルシル・ティースデール博士のことを、ぜひ述べさせてください。
彼女は、一九九七年、エイズで亡くなりました。彼女は、他の人々の生命を救うためにその生涯を、中央アフリカのウガンダに近代的な病院をつくることにささげました。
ウガンダで起きた八〇年代の内戦で、彼女は多くの負傷兵を厳しい環境のなかで治療したのです。そのために、八五年、イギリスで定期検査を受けたさい、HIVに感染していることがわかりました。明らかに、負傷したウガンダ兵の治療中に感染したのです。
自身がHIV感染者であることを知った彼女は敢然と勇気を奮い起こし、死ぬまで中央アフリカにおいて人道活動に努め、資金調達に奔走しました。彼女は、モントリオール大学で最初に学位を受けた女性の一人です。
池田
貴大学の崇高なる“教育精神”のみごとな「開花」ですね。民衆への奉仕――それこそ、「人間の尊厳」を守る「人権闘争」です。
生命を賭して人々を救った彼女の“殉教の精神”は、ウガンダの人々のみならず、人類の心に深く刻まれ、永遠に称賛されることでしょう。
仏典には、勝鬘夫人という「人権擁護の誓願」を立てた女性が登場します。
彼女は、釈尊の前で凛然と宣言しています。
「私は孤独な人、不当に拘禁され自由を奪われている人、病気に悩む人、災難に苦しむ人、貧困の人を見たならば、決して見捨てません。必ず、その人々を安穏にし、豊かにしていきます」(「勝鬘経」大正十二巻)と。
「苦悩」の人を決して見捨てない――無関心を装うのではなく、みずからの生命を賭してでも、その人を救おうとする実践を、仏法では菩薩道と呼びます。これが、エイズ患者や家族の方々に対する仏法者の姿勢でもあります。
ブルジョ
ティースデール博士は、HIVに感染したときでさえ、自分よりもはるかに困難な現実を生きている人々のこと、また彼女の援助と慈愛を必要としている何百、何千もの人々のことだけを考えていたのです。彼女は最期まで哀れみを受けることを拒否し、自己の使命に忠実な生き方を貫きました。
池田
仏法の菩薩道にも通じる、崇高な人生です。ティースデール博士は、“使命に殉ずる”ことによって、「病苦」に勝利し、人生に勝利したと言えるのではないでしょうか。
エイズの問題は、これまで宗教がもっていた倫理性や性への視点を大きく揺さぶる性質をもっていると思います。またそれは、エイズの問題やHIV感染者に対し、宗教は何をなすべきか、という宗教の“社会的使命”への深刻な問いかけでもあります。
このようにエイズの問題はさまざまな側面をはらんでいますが、HIVの感染に、麻薬、道徳・倫理の衰退、家庭の崩壊、貧困等の、まさに現代文明のマイナス面が深くかかわっていることからすれば、宗教は、これらの問題に、積極的にかかわる役割を担うべきでしょう。とくに、道徳・倫理の衰退や麻薬等による“精神の荒廃”に真正面から取り組むべきだと考えます。
ブルジョ
ご指摘のとおりであると思います。カナダとケベック州ではキリスト教系の宗教、とくにローマカトリック教会がもっとも有力ですが、これらの宗教は広く行われている性的行為のあるものを厳しく非難しています。たとえば、同性愛、婚外交渉など、です。たしかにそのなかには、エイズの拡散を促進させるリスクにつながるものがないとは言えません。
また、さまざまなグループが、時に宗教的関心や社会的問題意識から、あるいはまた倫理的な良心に導かれて、エイズ患者の援助に積極的に参加しています。収容センターが設けられたり、医療機関も利用されています。しかしそれでも、まだ十分とは言いきれませんが、今日、カナダとケベックでは連帯感と同情はもはや断片的なものではなく、宗派や信仰の差異および自分たちの習慣と他の人々の習慣といった垣根を超えたものとなっていることはたしかです。
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6 クローン技術と生命観
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「クローン人間」の技術的な可能性
池田
さて、ここで、「クローン」の問題に入りたいと思います。
シマー
「クローン」は将来、生命科学の重要な課題となるでしょう。
池田
そこで、まずシマー博士におうかがいしたいのですが、「クローン」とはどういう意味でしょうか。
シマー
「クローン」とは「挿し木」という意味で、同じ遺伝子をもつ個体の仲間をさす言葉です。このクローンをたくさんつくる、いわゆる「クローン技術」は、畜産・水産の分野、また植物・果物栽培の分野などでは、その有用性がよく知られているところです。
池田
その技術が人間に応用されようとしているわけですが、人間への応用を含めて、クローン技術は、どこまで進んでいるのでしょうか。
一九九七年二月、イギリスのウィルムット博士らが、成長した羊から取り出した細胞を使って、「クローン羊」を世界で初めてつくることに成功していたことが発表され、大きな話題となりました。
シマー
ウィルムット博士が発表した実験結果を見ますと、博士がとった手法で得られた胚が正常に成長する可能性は、きわめて少ないのです。「ドリー」と名づけられたクローン羊は成長しましたが、この雌羊が何歳まで生きられるか、現在のところ明らかではありません。
ドリーは、最近出産したようですから、生殖能力があることはわかりましたが、その仔羊が正常に育つかどうかはこれからの問題です。
しかし、純粋に科学的見地から言えば、やはりたいへんな事件です。この実験を行ったチームは、技術的には「クローン人間」をつくることができると言っています。
池田
しかし、「クローン人間」が技術的に可能であるとしても、その必要性はあるのでしょうか。
シマー
以前には、臓器移植で拒否反応が起きないように、自分の「クローン人間」をつくっておいて、ちょうどスペアタイヤのように、そこから新しい臓器を取ってきて、移植すればいいと言う主張もありました。
池田
人間を手段視する恐ろしい考え方ですね。
シマー
そうです。これではまるで、ハクスリーの書いた『すばらしい新世界』になってしまいます。
ハクスリーは、その書名とは反対に、この本のなかで、「クローン人間」を国家プロジェクトとして大量生産し、社会に一糸乱れぬ秩序をもつ「人間疎外」の地獄を描いたのです。
池田
「自由」も「人権」もない悪夢の世界が想像されます。
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人間は手段化を許されない存在
シマー
アメリカでもカナダでも、人間のクローンは禁止されています。
ブルジョ
私も「クローン人間」に反対したクリントン大統領やユネスコの宣言に、大筋において賛同します。
池田
ユネスコで採択された「ヒトゲノムと人権に関する世界宣言」(一九九七年十一月十一日)の「第十一条」では「ヒトのクローン個体作製のような人間の尊厳に反する行為は、許されてはならない」と禁止していますね。
ブルジョ
ユネスコの宣言は、科学者、法律家、政策担当者などの多くの人々が論じあった総意として発表されたことに、意義があります。
池田
私も、仏法者として「人間の尊厳」を踏みにじる行為である「クローン人間」には反対です。
仏法において「人間の尊厳」は、次の二つの観点から基礎づけられております。
第一には、「縁起」の思想です。人間は他の人々と、相互に依存しあい、助けあいながら、生きていく存在です。したがって、他者を犠牲にして、自分の欲望を満たしてはならないのです。この観点からも、「クローン人間」の根底にある、自分のために人間を手段化する発想そのものに反対です。
ブルジョ
私も会長の意見に深く同意します。西欧の伝統的倫理では、カントの定言命法のように、行っていい行為とは、どこでも、だれにでも、自分にも行っていいものに限られるのです。
また、ユダヤ・キリスト教の伝統のなかに「自分がなされたくないものを、他の人に行ってはならない」という律法もあります。
池田
みずからを顧みることによって他者を慈愛する発想は、仏法の黄金律でもありました。「己の欲せざるところを、人に施すことなかれ」(『論語』)とは、仏法を含めて東洋の普遍的倫理です。
ブルジョ
ひとたびどこかで人間の手段化が行われれば、あらゆるところで、すべての人間を手段化する危険性が生じてきます。
池田
第二に仏法では、人間は、それ自身として尊厳であり、手段化を許さない存在であるととらえます。
仏法では、すべての人間は「仏性」を内在するゆえに「尊厳」であると主張するのです。この「仏性」という無限の可能性は、その内発する自律性によって、多様な姿を現します。これを「自体顕照」と表現しております。
「クローン人間」は、この人間の自律性と多様性を否定するゆえに、「人間の尊厳」に反するのです。
ブルジョ
その点でも、会長に賛成です。生物学的に言えば、人間は、生殖によって遺伝子が多様に組み合わされて、一人一人が、ユニークな存在となるのです。
しかし、為政者や大国が、クローニング(クローン個体作製)を用いて、「望ましい人間像」を国民や他国に押しつけることもできます。「クローン人間」は多様な人間性に反します。
もう一点、「クローン人間」に反対する理由をあげていいでしょうか。
池田
どうぞ、続けてください。
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