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第二章平和の橋
「平和と人生と哲学を語る」H・A・キッシンジャー(全集102)
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1
SDIの危険性について
あらためて胸に迫る「核時代の闇の深さ」
池田
今回の訪米のさい(一九八七年二月)には、ご多忙のなか、わざわざ滞在先のマイアミまでお電話をいただき、ありがとうございました。
キッシンジャー
本当はロスにでもお訪ねしようと思っていました。急にスケジュールが立て込んでしまい、電話で失礼しました。
池田
モスクワでゴルバチョフ書記長と会見されたようですね。
最近のソ連の印象を電話でもうかがいましたが、米ソ間にはそれぞれの事情があるにせよ、軍縮への歩み寄りの兆しが見られる。今後の進展が注目されるところです。
今回から「平和の橋」の章に入りますので、まず、そのへんの基本的な問題からこの対談をつづけたいと思います。
一九八三年三月二十三日にレーガン大統領が、いわゆる“スターウォーズ演説”でSDI(戦略防衛構想)を初めて明らかにして以来、いまだ“構想”の域を出ていないにもかかわらず、SDIは国際政治の“台風の目”として取りざたされてきました。
ここでは、科学技術上の観点での実現性に対する疑問や経済性(コスト)の問題など、SDIの現状について詳述することは避け、この問題について考えるとき、あらためて胸に迫る「核時代の闇の深さ」について申し述べたいと思います。
ミサイルの命中精度の向上と核弾頭の破壊力の増大といった、近年の軍事技術のめざましい進歩により、かつての核抑止力理論は大きく揺らいできました。
つまり先制第一撃が有利になり「相互確証破壊」という概念の終焉をもたらしたわけです。
ソ連がSDIを脅威としてとらえるところも、第一撃力とミサイル防衛力の役割を果たすSDIによる、米国の一方的な軍事的優位であると考えられる。
しかし、それはダレス時代を思わせる大量報復戦略の焼き直しであり、復活を意味するでしょう。ここにSDIが世界の政治・戦略上の焦点となった要因があります。
このようにSDIは、レーガン演説でいう「一切の核兵器を無力化し、時代遅れにする」というような“完全防衛=絶対平和”の至福を現代世界に実現するどころか、実際には、辛うじて“核抑止力”の理論下で保たれてきた(それさえ危ういものだと私は思っていますが)、国際的安定性さえも崩壊させる危険な存在となっていると言えます。
さらに一九七二年に米ソ間で結ばれたABM協定(弾道弾迎撃ミサイル制限条約)やSALTⅠ(第一次戦略兵器制限交渉)と、それにつづく一連の軍備管理上の合意の精神と内容が、一挙に死文化してしまうという問題も看過できないでしょう。
私はこれまでも、米ソが宇宙空間での武力行使を禁止する条約を締結、という項目に加えて、核時代の人類の生存の絶対的条件はあらゆる戦争の否定であるという考えから、仮称「世界不戦宣言」の国連決議採択をNGO(非政府組織)レベルで推進すべきことを主張し、また提言の中で訴えてきました。
所詮、核の脅威という軍事・安全上の不安を、SDIという新しい科学技術(ハイテク)による兵器体系の開発で解決しようとする、いわば“ハードな
発想”自体に誤りがあり、限界があると思えてなりません。
核の脅威を解消するためには、まず核超大国である米ソ間の「利害の調整と共存への合意」という交渉による努力と、政治の主体者である民衆による国境や体制の違いを超えた核軍縮・廃絶への国際世論のいっそうの形成、といった“ソフトな側面”での働きかけこそが、最大のカギとなると考えるからです。
博士は、最近の米ソの動きとあいまって、このSDIの問題についてどのように考えておられるでしょうか。
キッシンジャー
SDIが平和を増進するか、それとも核軍拡を助長するかは、それがどのように立案され、どのような形で交渉が行われるかにかかっています。
まず平和に貢献するほうを考えてみますと、現在超大国の核戦略では大量破壊の必要性が重視されていますが、SDIはそうした必要性を減少させたり、あるいは皆無にすることができるでしょう。
今もてはやされている核抑止力理論は、一般市民や産業に甚大な損傷を与える能力のあることを前提にしています。
これは暴力至上主義的な考え方です。なにか一つでも手違いがあれば、世界が破滅するという結果になるでしょう。
レーガン大統領は、一般市民大量殺傷という考えに代わるべきものがなければならない、と主張しましたが、それは正鵠を射ております。
同大統領はまた完全防衛が可能であることをほのめかしましたが、こちらのほうは目標があまりにも欲張りすぎているという感がします。
万一可能だとしても、今度は相手国がそれを無力化するために、新しい、大規模な攻撃準備に努めるきっかけとなることは確実です。
他方、防衛努力を完全にやめてしまったと仮定しましょう。
それは事実上、人類と平和の未来を、最も情け容赦のない国――つまり、みずからの目的を達するためには核戦争も辞さないという姿勢を保つ国――の手に委ねる結果になります。
そうした理由から、戦略防衛については戦略攻撃と関連させながら、外交手段を通じて交渉すべきであると私は考えます。
兵器制限交渉は、戦略攻撃に課せられる制限に比例して防衛にも制限を加えることを目標とすべきでしょう。攻撃力が減少すれば、防衛力もそれに応じて小さくすることができるはずです。
しかし核兵器が完全に廃絶されたかどうかを検証することは不可能です。したがって、攻撃力・防衛力のいずれにおいても、核保有量がゼロになることは決してありえないでしょう。
2
核時代と政治指導者
核戦争に反対を唱える人はいても、反対の気持ちだけは激しいが、それを実現する実際的な手段をもたない人が多すぎる
池田
多くの人々が危惧するのは、新たな戦略の開発は必ずそれを打ち破る新たな開発を引き起こすという悪循環があり、人々が期待する方向とはまったく正反対に進む可能性をもつからです。
今日、核超大国の指導者の責任は、限りなく大きいと言わねばなりません。
昨年(一九八六年)の八月、米国務省が公表した一九五五―五九年の対中国、台湾関係の外交文書があります。
その要約によると、当時、アイゼンハワー米大統領は中国軍の金門島(チンメン島)砲撃で始まった台湾海峡危機のさい、中国軍の攻勢しだいでは中国本土に対して核兵器を使用する方針を決定していた、という新たな事実が明らかになりました。
かつてニクソン元大統領は、「タイム」誌のインタビューに答え、在任中、少なくとも四回、核兵器の使用を“考慮した”ことがある、と述べています。
博士ご自身、このインタビューに対する感想を問われ、当時、政府が核兵器使用を考慮したような具体的な状況や危機はなかった、と断言されております。
ただし、ニクソン氏がホワイトハウスの執務室や居室にこもって、どのような対応策を考慮したかについては定かでない、というものでした。
そして政府の枢要なポストに任命されると、まず知らされるのは、核戦争の結果が、おおよそどんなものか、ということだと述べ、自身、これまでのどんな政治家も直面したことのない責任を負っているという実感をもつ、と語っておられます。
さらに、国家の安全保障を核兵器による大量破壊の威嚇に求めるという、戦後一貫して西側防衛の根底をなしてきた政策が、妥当性を失いつつあることは明白であり、核兵器への過度の依存こそ、戦略思考の麻痺と軍備管理の役割の矮小化の元凶、という認識を示しておられる。
この発言は、核戦争の危険性を熟知し、“恐怖の均衡”に依存する戦略の矛盾を正しく認識されたうえでのものであり、私自身の考え方とも軌を一にするものであります。
かつてケネディ、ジョンソンの両政権時代に国防長官を務め、権力の最中枢にいたロバート・マクナマラ氏は、その著『安全保障の本質―回想録』(一九六八年)の中で、次のように述べています。
「われわれはいまだに、国家安全保障を巨大な恐るべき兵器類の貯蔵、という武装態勢としてのみとらえがちである。また安全をもたらすものは、主として純粋な軍事的成分と考えがちである。われわれは軍事的ハードウェア(兵器)の概念にとりつかれているのである。
この概念がいかに狭いかは、たとえば米国とカナダのあいだに存在する平和がどのようなものかをたたき台にしてみればはっきりする」(原康訳、サイマル出版会)
マクナマラ元国防長官にしてなお、軍事力への過度の傾斜を戒め、非軍事的な手段によっても国家間の平和が維持しうることを論じているのは、現代にあってきわめて示唆的だと言わねばなりません。
博士自身も述べられているように、核戦争の破局的な性格からすれば、米ソ共存の道を探ることがまず肝要です。
また超大国の国内事情を見れば、今、軍拡競争回避に突破口を開く好機にあるとみたい。こうした基本認識に立って“恐怖の均衡”という核戦略から脱却した、具体的な新たな平和の構造を求めるべきであると考えます。
キッシンジャー
私が国際問題について執筆を始めたときから、私は、核兵器が人類の歴史に質的変化をもたらしたことを指摘してまいりました。
過去の時代に国家が戦争を遂行したのは、戦争よりも悪い事態を回避するためでした。
今日、核兵器は人類を破壊させる力をもっており、考えられる最悪の結果を招来することもありそうです。
われわれは、チェルノブイリ原子力発電所の事故を通して、一度の核爆発であっても壊滅的な大惨事をもたらしうること、そしておそらく核爆発を引き起こした国民が、最もひどい被害を蒙るだろうということを実感しました。
しかし、それにしても、ここにジレンマがあるのです。もし、なによりも核戦争を恐れているという印象を与えたならば、きわめて残酷でおそらくは暴力革命を信ずる者に、核兵器による恐喝の隙を与えることになります。
われわれは核戦争も核兵器による恐喝も回避しなければならないのです。
この問題のむずかしさは、何度交渉を重ねても、多くの場合、象徴的な意義しかもたず、現実の変革につながらない事柄を提案したい、という誘惑に勝てないことです。
ところが交渉の決定的な面は、実際に違いをもたらすような協定を結ぶことなのです。
ただ核弾頭の数を減らしても、残った核弾頭だけでも人類を一度ならず滅亡させる力があるとすれば、それでは象徴的な変化にすぎず、現実にはなにも変わりません。
実質的に核戦争の危険を減少させる解決策を見いだすことが大きな課題なのです。核戦争に反対を唱える人はいても、反対の気持ちだけは激しいが、それを実現する実際的な手段をもたない人が多すぎるのです。
池田
私は、米ソ首脳会談が開催されるときに現実
に変化がもたらされるよう、博士にもご尽力をお願いしたいと思います。
さまざまな機会を通し、私も軍縮への具体的提言をしてまいりました。なかんずく、米ソ首脳が緊張緩和への突破口を開くため、粘り強く対話を持続すべきであります。
キッシンジャー
核兵器の管理という問題は三十年来、私の心から離れなかった課題です。私は生涯、この課題にわが身を捧げる所存であります。
3
まず発想の転換が必要
「解放された原子力は、われわれの思考様式を除いて、一切のものを変えました」
池田
そのお言葉は、百万言の重みがあります。また私も一仏法者として、平和こそが最大の使命と思っております。
一九七九年に博士と会談した折、私は「平和とは戦争のないことではなく、美徳であり、精神のあり方であり、慈悲と確信、そして正義への性向である」とのスピノザの言葉(『政治論』より)に共感をおぼえると申し上げました。
それは、人間の精神の中に確たる文化的状態をいかに実現していくかが、「平和」への出発点であり、仏法は、人々の生命の内に深い知恵と広大な慈悲の精神を打ち立てる「法」を明かしているからです。
恒久平和が人類共通の願いでありながら、人類史が戦争につぐ戦争の歴史であり、わずかにその幕間に束の間の平和があったという指摘は、残念ながらあながち的外れではない。
私は、そこにも戦争と平和の問題を、たんに軍備体系や政治システムの問題としてのみとらえるので
はなく、人間の問題に即して考えなければならない大きな理由があると思うのです。人間にとって戦争は、外から襲いかかってくる災いというより、人間の心の中から起こり、人間自身が演ずる悲劇であると言ってよい。
かつてローマ・クラブ会長の故アウレリオ・ペッチェイ氏と対談したさい、氏も平和とは一つの無形の価値であり、心と精神の文化的な状態であると定義づけていたのが、強く印象に残っております。そこには、戦争は人間精神の醜い一面が噴出した結果として起こるものである、との基本認識があります。
今、このことをあえて強調しなければならないと思うのは、近年の核戦争を頂点とする軍事戦略的思考が人間を“物”に見立て、いかにして人命を効率よく殺傷するかという、きわめて非人間的な論理に立脚しているからでもあります。
核先制攻撃による確証破壊能力の計算などに取り組む人々の発想に流れるものを見ると、そのことが私は痛感されてならない。
近代文明の特徴は、ある意味では、種々の人間的営為の中で、科学と政治が、決定的に優位に立ったという点に求めることができましょう。
その底流にあるものは、主観と客観世界とを明確に立て分け、客観世界を人間能力の支配下に置こうとしてきた、近代ヨーロッパ主導型の思考様式であります。
その結果、解放された人間能力は、その裁量する領域を、前代とは比較にならぬほど拡大してきました。これが、現代の巨大科学であり、巨大な政治システムであります。
こうした文明のあり方が行き詰まりを呈し、逆に、拡大された客観世界が、人間それ自体を支配しつつ、不信と対立の闇を深めていることは、あらためて指摘するまでもありません。
その意味では、核兵器という“ダモクレスの剣”に脅えた殺伐たる現代の姿は、科学や軍事、政治などが先行しつつ、人間がそのもとに従属化してきた近代史の一側面の極北に位置すると言ってよいでしょう。
キッシンジャー
当然のことながら、人類はこの問題への回答を長い間探し求めてきました。
一つの次元から言えば、平和とは戦争のない状態であります。しかし、それにしても非常に長い間戦争が起きなかったということは、かつてありませんでした。
私は、世界平和を実現するには、諸国家、諸国民が、既存の国際機構について、それがいかなるものであるにせよ、本質的には自分たちの欲求や希望を満たしてくれるものであるという点で、合意する必要があると思います。
自明のことでありますが、いかなる国際機構といえども、すべての地域の、すべての人々の希望をことごとく満たすというわけにはいきません。
したがって、自分たちの重要な願望は実現に向かっているのだ、という思いをもつことが必要なのです。そして、平和を維持するためには、少なくとも、不満を解決する道は、現在の制度を破壊するところにあるのではなく、現在の制度の中にこそ、その解決があることを確信する必要があります。
池田
私も、まず発想の転換が必要と思う。
もとより、博士が指摘してこられたように、核兵器の問題を“すべてか無か”(オール・オア・ナッシング)という極端な形でとらえることは、戦略思考の次元での怠惰を生むという側面もありましょう。
しかし、核兵器の出現および核戦争の脅威というものは、たんに従来の兵器や軍事といった問題の延長線上の次元のみでは考えられない。
それらを包み込んだ文明史的位置づけからの発想が急務であります。
つまり、アインシュタインが「解放された原子力は、われわれの思考様式を除いて、一切のものを変えました」(O・ネーサン、H・ノーデン編『アインシュタイン平和書簡』2、金子敏男訳、みすず書房)と述べたように、人類は、その英知の結晶であったはずの巨大な力に、みずからも屈服してしまうか、または、それを克服する偉大な精神性と行動を発揮しうるかの運命的な分岐点にあるからです。
ともあれ、この問題は、これからも一生の間、お会いするたびごとに語りあっていきたい。当然、博士と私の立場、また見解にさまざまな相違点があることも、私はよくわかっております。
しかし、対話は論争や勝ち負けが目的ではない。互いにその信条、思想、また意見を自由に語りあい、また昇華させあいながら、そのうえで多くの第三者の方々が、どう未来への方向づけの鏡とするか――そこに価値と真髄があると思ってきたからです。
4
朝鮮半島の安定と平和
朝鮮民族の勇気と粘り強さは賛嘆すべきものです
池田
まもなく、博士は韓国に旅立つ(一九八六年九月四日)そうですね。そこでぜひうかがっておきたい。今日の大事な焦点になることですけれども、日本でも世界でも、一つの焦点になっている「朝鮮半島の安定と平和」について――。
むろん、この問題の解決については韓国、北朝鮮両国が自主的な判断で進めていくことが原則であり、内政干渉めいたことはいささかもあってはならない。また日韓、日朝関係の不幸な過去の清算という課題に目をつぶって、韓国・北朝鮮の問題をうんぬんしてはならないことも、よく理解しているつもりであります。
これらの事情を十分承知したうえで、あえて私がこの問題に言及するのは、あくまでも世界の平和を願う一人の人間としての立場からであります。
かつて博士が、一九七五年と七六年の国連総会で現実的な提案をされたことに私は注目したい。それは、①南北朝鮮で議題や場所を決め、②成功したら米中両国が参加、③最後にその他の関係者を含む拡大会議を開催する――との内容であったように記憶しています。
韓国、北朝鮮の分断問題は世界平和実現にとって大変重い課題となっています。このことは、一九八五年の国連四十周年記念総会に、韓国、北朝鮮両国が招かれ、演説していることからも明らかであります。
四十年間の南北双方からの多くの提案を検討し、今後を展望するとき、まず、すべての前提として必要なことは、南北の最高責任者が直接会い、同じテーブルで率直な話しあいをすることでありましょう。
南北対話の経過をみても、双方の不信感は深いものがあります。
この対立を大きく転換していくためには、ちょうど、イスラエルとエジプトの長い抗争の関係に突破口を開いた、サダト大統領のイスラエル訪問によ
る、最高首脳の対話のような方式に類するものが考えられるべきであります。
積み重ねた合意にもとづいたうえでの最高首脳の対話という帰納的な外交方式では、朝鮮半島においては、相互の不信感と対立が大きくて、前進はむずかしく思われるからです。
形式的なショーのようなものでなく、キャンプ・デービッドでのイスラエル、エジプト首脳の対話のように徹底して話しあい、話しあいのパートナーとしての信頼関係を結ぶ。
ともかくも一日も早く会って話しあうという演繹的な外交回路こそが、今最も必要な気がしてなりません。
では、南北最高首脳の対話は何をもたらしうるか。
従来の南北の提言を吟味し、合意事項を点検するならば、まずなしうることは「相互不可侵・不戦」の誓約です。
北朝鮮も「南進はしない」と言い、韓国も北へ侵攻する意図を否定しています。最高責任者が、あらためてその意図を明確にし内外に宣言することが、一切の出発点になるというのが、私の基本的見解であります。
キッシンジャー
朝鮮民族の勇気と粘り強さは賛嘆すべきものです。外国による占領が終息したと思ったら、五年もたたないうちに国全体を破壊するような戦争が勃発し、荒廃してしまいました。しかし、それ以後、巨大な産業を樹立したのです。
今日、朝鮮半島には二つの国家があり、それぞれが異なる経済機構と社会制度をもっております。
そして、当然のことながら、理想的な解決策は両国が直接交渉することです。また、友好国が双方に交渉を進めるよう奨励することも考えられます。
われわれが避けなければならないことは、たとえば北朝鮮が韓国についてアメリカと交渉するというような企てです。なぜならば、そのようなことをしたら、韓国政府は傀儡政権のように見えることになるからです。
もし他の国、たとえば中国が参加すれば、アメリカも参加できるでしょう。しかし他に大国の参加がなければ、朝鮮の二つの国家は直接互いに交渉を進めるべきです。
あるいは、多数の国が参加する国際会議を開くことも可能でしょう。
これらの方法のうち、どれでも選ぶことができます。
池田
よくわかります。大事なポイントです。
キッシンジャー
私が韓国へ行きましたら、必ずこの問題について話しあいます。
5
平和教育について
私が研究した偉大な政治家はすべてと言ってよいほど、歴史感覚をもっております
池田
そこで今日、青少年の健全育成という問題は東西、南北間のいずれの国でも、重大な関心の的であり、一九八五年が国連「国際青年の年」として定められたという事実にも端的に表れております。
ご存じのようにこの「国際青年の年」のテーマは、「参加」「開発」「平和」の三点でありました。
このうち「平和」についていえば、一九七八年に開かれた国連の軍縮特別総会でも、各国政府とNGOに対して軍縮教育・平和研究のための諸措置を求めております。
6
ことにユネスコに対しては軍縮教育のためのプログラムを要請し、これに応えてユネスコは、一九八〇年六月に各国の教育専門家、NGOのオブザーバーなどの参加を得て「軍縮教育世界会議」を開催しております。
いうまでもなく「軍縮教育」とは、人権教育・開発教育と並んで、平和教育の不可欠の構成部分であります。
その大きな目標は、核時代における軍縮の重要性への理解、また政治的・経済的側面についての科学的認識の獲得、そして軍縮を促進する積極的態度と活動力の形成にあります。
これは学校教育・家庭教育などとともに、マスメディアによる世論の形成、大衆運動の教育活動、平和のための文化活動など多岐にわたることが期待されています。
軍縮教育世界会議においても、NGOの活動が大いに期待されていたと聞いていますが、創価学会インタナショナルは、仏法を基調として平和・文化・教育を推進する団体として、国連を支持する立場から、出版、展示、講座などを通し平和への世論形成の活動を展開しております。
また、平和・軍縮教育は、それぞれの国内にとどまるのではなく、国際的な連帯を築くものでなくてはならないとの信念から、私は創価大学の創立者として各国の大学を訪問し、教育者や学生との対話、図書の贈呈、また交流協定の締結など、教育・学術交流を推進してまいりました。
さらに、平和教育といっても、現実の公教育にあっては、往々にして平和の価値よりも軍備拡張に結びついた国益が重視されているという状況があります。ゆえに、教育を政治権力から切り離し、平和のために国際的視野・基盤から教育を行おうという仮称「教育国連」の構想を提唱してまいりました。
これは教育者、父母、学生、学識経験者をもって「教育国連」を構成し、諸国民の偏見、敵意、差別を取り除き、平和な二十一世紀の世界を築くため、全世界の青少年に教育を実施しようとするものであります。
この平和教育という点についてもぜひ、博士のご意見をお聞きしたいと思います。
キッシンジャー
国際的分野における目的を達成しようとする場合すべてに共通することですが、平和実現への努力にも、目的の明確化とそれを成就する手段の選択という二つの要素があります。
効果的に目的の達成をめざすならば、この両方の課題に取り組む用意がなければなりません。
もちろん、平和に貢献した多数の偉大な人々は、男女ともに、平和について思索を重ね、自分たちの哲学的知見を人類の共有物とすることによって貢献した例が多いのです。
しかし、彼らの目的は、他の人々を、自分たちのビジョンを実現する政治行動へと駆り立てることでありました。
青年がこれらの課題の一つ、または両方に取り組む準備をするのに最上の方策は何か。当然、国際的な活動の実際的側面、つまり経済・政治制度および地理的な現実(これは合衆国ではだいぶ等閑に付されている問題です)を学ぶことにもメリットはあります。
しかし、実際面のみに偏った方法では、失敗に終わりそうです。
国際問題で決断を下すことがむずかしいのは、賛否両論が伯仲している場合です。この場合、実際的なやり方一本でいけば、複雑性と内心の疑惑が増すばかりです。
したがって、目標を省察する方法を習得することが重要になります。そのためには、哲学の素養が必要です。
同時に、参考にしようと思えば利用できる唯一の経験は、歴史の研究にあります。
確かに歴史はまったく同じ繰り返しをすることはありません。歴史から学べるのは類似の経験を通してです。
ですから、一つ一つの事例について、歴史におけるどの状況が比較の対象になるのかを判断する必要がありましょう。
しかし、私が研究した偉大な政治家はすべてと言ってよいほど、歴史感覚をもっております。
要するに、哲学と歴史の研究こそ、平和への貢献を志向する者にとって最上の準備である、と私は思います。
7
アショーカ王、カニシカ王の治政
仏教に深く帰依し、仏教の慈悲の精神を根底に政治を行い、世界史的にも有名な平和国家、仏教文化を栄えさせた
池田
博士の学問の方法論の一つに「歴史的視点(ヒストリカル・パースペクティブ)」というものがあるとうかがっています。
それとは若干次元も異なるとは思いますが、ここでは私の立場から古代インドの二人の偉大な王の治政について多少申し述べたいと思います。一九七九年に日本でお会いしたときにも、博士からお話が出まして、インドのアショーカ大王について少し論じさせていただきました。
ここでは仏法の法門上のことは略させていただきますけれども、歴史的にちょっと説明したいと思いますが……。
キッシンジャー
それに関しては、私はまったく仏教を知らないので、教えていただかなければならない立場です。
池田
恐れ入ります。一般的にも、為政者の理想像として、しばしば引き合いに出されるのが、古代インドのアショーカ王、そしてカニシカ王です。
この二人の王は仏教に深く帰依し、仏教の慈悲の精神を根底に政治を行い、世界史的にも有名な平和国家、仏教文化を栄えさせました。
アショーカ王(在位前二六八―前二三二頃)はマウリア朝第三代の王です。もと暴虐であったが、のちに仏教の精神にもとづいて数々の善政を行いました。
彼は統治政策として、戦争の放棄、平和主義の政治、福祉政策、平和外交を行いました。また武力による征服をやめ、法による勝利を最上としたのです。
たとえば、病院を設け、井戸を掘り、薬草を栽培させ、街路樹を植え、休息所をつくるなどの社会事業をおこしています。
刑罰についても、厳刑主義とは異なる寛刑主義をとり、辺境の民族、外国人とも親しく交渉をもったとされております。
特筆すべきは、アショーカ自身は仏教徒であったが、仏教を国教とせず、ジャイナ教、バラモン教等、他の宗教への信教の自由を守ったということです。
今日、アショーカの事跡は、仏典や、石柱・磨崖法勅によって知ることができます。
一方、カニシカ王(二世紀中期)はクシャーナ朝の第三世であり、アショーカ王と並び仏教の保護者として知られています。
有名なガンダーラ文化は、このカニシカのときに最も盛んになり、仏教文化の精華が花開いたわけです。
私は、これらをたんに遠い過去の、ある特殊な出来事としてすましてはならないと思います。私たちが平和と繁栄のため、政治を含めた社会の動向にも関心をいだき、参画していくのは、人間として、また信仰者として、当然の社会的使命と考えるからです。
さもなくば、たんに宗教のための宗教に終わり、人間のための宗教たる日蓮大聖人の仏法の精神から遠ざかってしまいます。
もちろん、古代インドと現代の社会では、国際環境や諸条件が大きく異なり、アショーカやカニシカの治政を今日そのまま再現することが可能であるなどと、牧歌的な希望をいだいているわけではありません。
しかしながら、為政者が正しい法にもとづいて政治を行った場合、どのような社会の建設が可能であるかを示す事例として、私は歴史的視野から見ても、これら二人の王の治政はきわめて示唆的であると考えてきました。
キッシンジャー
ただ今のお話には大変感銘を受けました。
あなたが創立された大学を訪問するため日本に戻って来るときには、このテーマについて対談できるように、アショーカ王とカニシカ王について十分勉強しておきたいと思います。
8
太平洋の時代、文明
「その偉大な思想とは、インドに起こり、中国を経て、日本で大成した、平和的な、生命尊重の仏教の思想です」
池田
博士は、あるインタビューに答えて、「歴史的にみると、世界の重心は間違いなく大西洋から太平洋に移動していくだろう。したがって、米国としても、創造的な太平洋政策といったものを考えなければならない」と述べておられる。
私も、世界の重心が、徐々に太平洋に移っていくであろうと予測する一人であります。これはなにも、軍事力を背景にした力のバランスが、大西洋から太平洋に移行するなどといった次元の問題ではありません。
政治、経済、文化等を含めた、文明総体のあり方が問い直されていくなかで、抗しがたい傾向性の流れとなってくると思っております。
キッシンジャー
今日、ダイナミックな社会の多くが太平洋地域に存在することは、疑問の余地がありません。もちろんヨーロッパ諸国の重要性に変わりはありませんが、多くのアジア諸国における進歩の速さはヨーロッパ諸国を抜いております。
アメリカ国内においてさえ、太平洋岸のほうが大西洋岸よりもダイナミックになっております。これが現実なのです。
池田
私もそう思います。しかし、その流れの全体像は、まだまだ混沌たる状態にあり、基軸となる“精神性”のうえでも、明確な輪郭をもつにはほど遠いというのが現状でありましょう。古来、およそ優れた文明というものは、なんらかの形で基軸となるべき“精神”をもっておりました。
太平洋時代への移行といっても、まだまだそれは、軍事、政治、経済的な次元のものである。
かつて、ECの生みの親とも言われてきた故クーデンホーフ=カレルギー博士と種々対談したさい、博士は、日本は世界平和のためにベストをつくすべきであり、明日の太平洋文明を築いていくことを期待したいと、次のような感想をもらしておられた。
「大事なことは、偉大な思想を外国に向かって、世界に向けて紹介することです。私は、その時が、すでに来ていると信じております。その偉大な思想とは、インドに起こり、中国を経て、日本で大成した、平和的な、生命尊重の仏教の思想です」(『文明・西と東』サンケイ新聞社。本巻収録)と。
もとよりこれは、クーデンホーフ=カレルギー博士の個人的な見解である。しかし太平洋に世界の重心が移り、そこに太平洋文明ともいうべき新たな台頭が見られるとすれば、それにふさわしい“精神”の基軸が据えられるべきであります。
それは、大西洋を中心とした、数百年にわたるヨーロッパ近代文明の良質なる成果を継承、発展せしむる、新たな歴史的理念型とでもいうのでしょうか。私どもの平和と文化の運動も、ささやかながらその一助にもなればと念じつつ、推進しているのであります。
キッシンジャー
太平洋でアメリカが相手にする数多くの国々は、アメリカとはまったく異なる文化的伝統をもっております。中国、朝鮮、日本をはじめ、東南アジア全体も、われわれアメリカ人が知っている国々とはまるで違っています。
いずれもアメリカとは異なるうえに、多くはそれらの国々の間にまた相違があるのです。
したがって、アメリカがまず第一になすべきこと、そして実際アジアのすべての国々がなすべきことは、そうしたさまざまな国民の考え方に対する理解を深めることであります。
たとえば、日本人は「イエス」と言いますが、それは「はい、それを実行いたします」(Yes,Iwilldoit.)という意味ではありません。それは「はい、あなたのおっしゃることはわかりました」(Yes,Ihaveunderstoodit.)とか「はい、やるよう努力はしましょう」(Yes,Iwilltrytodoit.)という意味なのです。(笑い)
しかし、われわれアメリカ人には、それを理解することは容易ではありません。日本の大臣がそうした発言をした場合などはとくにそうですね。(爆笑)
また日本でも中国でも気がついたことですが、ユーモアの感覚が違います。アメリカ人は、自分が面白いと思うからジョークを言うわけです。
しかし私の体験から言えば、日本と中国では冗談を言えば相手は笑いますが、同時に言外になにか深刻な意味があるのではないか、と考えるのです。冗談を言った真意はどこにあるのかを真剣に理解しようとします。これは間違っているかもしれませんし、些細な例にすぎませんが。
池田
幸か不幸か、そのとおりです。(笑い)
キッシンジャー
まあ、不幸といったものではありません(笑い)。ただ違うということなのです。
ですから、われわれがアジアで対話をする場合、少なくとも中国文化圏においては、ムードをつくることが大切です。西洋文化の場合、相手を納得させようとしますが、そういうやり方はアジアでは通用しません。そういうわけで、われわれは非常に重要な文化的課題をかかえております。
池田
いいお話ですね。そうしたパースペクティブ(展望)のため、一つの布石として、昨年(一九八六年)初頭、私はアジア・太平洋諸国間における協力関係の進展と連携の拠点となる「アジア・太平洋平和文化機構」の構想を提示しました。
私はクーデンホーフ=カレルギー博士との対談でも、東京に国連の「アジア・極東地域本部」を新設するよう提案いたしました。この「アジア・太平洋平和文化機構」構想は、その後の世界の動向を見つめつつ、発展させたものです。
それは、アジア・太平洋地域の諸国が地域的な問題を討議し、平和を守り、経済を発展させていくには、なによりも平等な立場で話しあえる、国際的な対話の場を提供することが不可欠と思うからです。
キッシンジャー
日米両国間の貿易問題も、一面では文化的な問題であるということも十分考えられます。
太平洋文化、統一性のある太平洋文化を創造することはできるでしょうか。まず第一に、お互いの相違点をよく理解しなければならないでしょう。
それから、十分敬意を表したうえで申し上げるのですが、日本文化は普遍的な文化となるにはふさわしくないように思われます。アメリカ文化の場合も同じでしょう。それに比べると、中国人は普遍化に成功しております。
9
世評について
「汝の道を征け、世人をして語るに任せよ」
池田
よくわかります。博士は、中国との交渉にさいして新たな形の外交を行い、大成功を収められたわけですが、それが秘密外交だったということで、いくつかのメディアから非難されました。
西洋の俚諺に「民の声は神の声」とあり、東洋の格言に「民に信なくば立たず」(『論語』)とあるごとく、つねに民衆の声や要望の中に、時代の動向を鋭く感じとっていくことは、リーダーとしての必須の要件と言ってよい。
しかし、そうした民衆の声と、いわゆる世評や世間一般の表面的な評価とは、往々にして別物であります。カール・マルクスは、大著『資本論』を世に問うにあたって、ダンテの言葉――「汝の道を征け、世人をして語るに任せよ」をモットーとしてかかげました。
まことに信念の言葉であり、私は、マルクスとは信条を異にしておりますが、その強き信念には、人間としての共感を禁じえません。世評とは、つまるところ利害や興味本位に終始しているものであり、そうした雑音にいちいちとらわれていては、生産的な仕事はいっこうに進まないでしょう。
その意味では、真実の民衆の声――あるときは“声なき声”であったとしても――それと、世評とを峻別していくことは、リーダーとして避けて通ることのできない道かもしれません。
あのころ、博士は、政策とは今日、明日の新聞にどう出るかではなく、五年先、十年先に人々がどう評価するかが大切だと言われていた――。私は感銘深くその言葉を聞きました。
衝撃的で華々しい国際舞台へのデビュー以来、博士も、ずいぶん、浮き沈みの激しい世評の波にさらされてこられたと思います。
キッシンジャー
秘密外交が魔法の妙薬のように、いつも効果を表すとはかぎりません。また同様に、公開外交が必ずしもできない場合があります。アメリカの対中国外交は、もし秘密外交が行われなかったら、おそらく所期の目的は達せられなかったであろうという一つの事例です。
当時の中国は、おおかたのアメリカ人にとって一つの神秘でした。ニクソン大統領やその顧問官たちは、アメリカが公式交渉の申し入れをした場合、中国がそれにどう応じるか、あまりよくわかりませんでした。
池田
そうでしょうね。
キッシンジャー
またその当時、アメリカには、いかなる形にせよ、中国との国交回復に反対する強力な政治勢力がありました。
北京側の反応を知る前に政府による交渉を企てたならば、国内に激しい論争が起こったことでしょう。そしてベトナム戦争が引き起こした内戦に近い状態を、さらに険悪にしたことでしょう。
そこでまず中国の出方を見なければならなかったわけですが、それには密使を送る以外に方法がありませんでした。いかなる外交関係もまったくなかったからです。口上はすべて仲介者を通じて伝えられました。
そして当然のことながらきわめて短いものでした。これこそまさに、最初の接触を設定するのに秘密外交が不可欠である典型的な事例だったのです。
池田
なるほど。
キッシンジャー
ニクソン大統領は、中国への接触という秘密の任務が成功裏に完了したことを見届けたうえで、その旨を公表しました。こうして米中の外交関係が公然と遂行されるようになったのです。
もちろん、この秘密外交のために、多少の犠牲を払わなければなりませんでした。つまり、これによって幾人かの親しい友人、とくにあの傑出した日本の佐藤首相に、気まずい思いをさせる結果となってしまったのです。
アメリカとしてはたとえば、ニクソン大統領が私の北京行きを公表する前に佐藤首相に知らせておくというように、もっと手際よく事を運べたのではないでしょうか。そのとき以来、私はどうも日本への知らせ方がまずかったと、後悔しつづけているのです。
池田
一番の当事者であった博士ご自身からの、今の言葉は貴重です。日本の読者の多くも同じ思いであると思うし、重要な発言と私は受けとめたい。
10
対話がもたらすもの
水の流れがよどみを一掃するように、ともかく動き、語る――そこから突破口が
キッシンジャー
外交の技術は、双方が納得しうる利益を見いだすこと、あるいは、双方の利害が異なる場合には、それを一致させることにあります。しかし、これは十分な話しあいをすれば達成されるというものではありません。
これは私が貫いてきた信念ですが、外交で効果をあげるためには、交渉相手の心理や文化、動機を理解することが不可欠です。
しかも、相手を本当に理解するための関心をもつべきです。それがテクニックであるなどと思ったら、とんでもありません。
外交官として成功している人は、なんでも相手が言ってほしいと思うことを言っているのだ、と批判する人がいます。しかし、それは間違っています。
功績のある外交官というのは、利害が対立しているなかで、本当の意味での調整を行っているものです。
外交においては、同じ人々に何回も会うわけです。ですから、たとえ一度はうまくだませたとしても、二度と信用されなくなってしまうでしょう。さらに、協定を結んだとしても、それが明らかに自国の利益に反する協定であれば、守ろうとする国家はないということです。
池田
その意味からも、私は、博士が従来の固定観念にとらわれず、大胆、率直な外交を展開され、世界平和に貢献してこられたことに敬意を表したい。
ともあれ、対話は、個人レベルであれ、国家レベルであれ、社会に平和と安定をもたらしゆく「王道」である。
対話を欠いた社会では、流れのないたまり水が、しだいによどんでいくように、際限ない不信や猜疑心、憎悪、恐怖心が芽ばえていく。しかも、それは一種の固定観念となり、放置しておけばますます増進していくという、やっかいな性格を帯びていることを忘れてはならない。
私は、こうした袋小路を突破していくためには、腹を割った、率直にして勇気ある対話しかないと思います。
対話がすべて、確かな実りをもたらすとはかぎりません。しかし、水の流れがよどみを一掃するように、ともかく動き、語る――そこから、なんらかの突破口が見いだせるものであります。
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「軍事力なき政治力」
「日本の経済力をどう政治力にするか。つまり軍事力なき政治力という実験だ」
池田
ところで博士は、ある日本のジャーナリストとの対談の中で、「日本の経済力をどう政治力にするか。つまり軍事力なき政治力という実験だ」と語っておられた。
私はこの発言に注目し、重く受けとめた一人である。と言いますのも、「経済大国」が「軍事大国」化しない理由は歴史的にみて考えられないという従来の博士の説――は、リアルなだけに重々しい問題意識として私の脳裏にあったからです。
貿易摩擦の問題が端的に示すように、今や有数の「経済大国」となった日本の進路は、世界の動向に重大な影響をおよぼす存在と言えます。
であるからこそ私は、過去の歴史がどうあれ、よしんばそれが未踏の道であっても、日本は「軍事大国」以外の道を歩まねばならない、と強く念じておりました。
ゆえに「軍事力なき政治力という実験だ」との博士の的確な現状把握に強い共感をおぼえたのであります。
さて、そこで私が言及したいのは「政治力」の内実です。ここで言うところの「政治力」とは、たんに国際政治上の、いわゆるパワー・ポリティクス(権力政治)の次元における駆け引きの道具といった、旧態依然のもので良しとしてはならない。
あくまでも平和国家日本としての確たる理想の火をかかげながら、経済と文化の力を使いきっていくという意味での「政治力」であるべきでしょう。
このような行き方の選択こそ日本が世界から期待されているところであり、国際社会の中で果たす役割と私は考えたい。
キッシンジャー
日本は、中国に次いで、世界で最も長くつづいた自治の歴史をもっており、非常に長い期間、実際、何世紀もの間、世界から孤立していました。日本が世界の舞台に登場したとき、世界
の人々は、日本人の努力と規律、また同質性がもたらした、日本の工業化の迅速さに目を見張りました。
しかし、当然のことながら、日本には国際的な事業における協調の経験がほとんどなかったのです。これは、アメリカと日本が敵として対峙しあう戦闘の一原因ともなりました。
その後の日本の進歩は、明治維新以後の時代と比べても、はるかにめざましいものでありました。日本は、工業生産高において、世界第二位の工業先進国になりましたし、質の面では第一位です。東京は金融の中心地にもなりつつあります。
現在、世界経済の相互依存性がますます高まっているときに、日本の発展がつづいているのです。そういうわけで、日本の経済・金融における影響力は増大し、かつ世界的になっております。
日本の工業は多くの場合、優れた競争力をもっていますが、それが必然的に他の工業国との緊張を生むことになったのです。
したがって、保護主義とそれに対する報復という循環が始まる前に、協調的な解決を図る必要があります。個々の商品を対象に交渉しても、均衡とコンセンサスは得られません。
まず総体的な目標を設定して、主要工業国の政策によってその目標を達成する必要があります。
池田
日米の経済問題は、日本の企業も国民も、深刻に受けとめています。これは、両国内にあまりに多くの複雑かつ困難な事情があり、一朝一夕に解決する見込みはありません。
幸いにも、最近の調査結果にも裏付けられるように両国の国民の間には、信頼感があります。
私は、それがあるかぎり、両国の努力いかんで協調の方向へと道を見いだせると思う。その意味からも、日本は大局観に立った個々の課題への誠実な対処が大切である、そして真の平和国家、文化立国への道を歩むべきであると、一貫して考えてまいりました。
キッシンジャー
日本が、その経済力にふさわしい政治的役割を果たさなければならないことは、目に見えています。その場合、日本は適切な心配りと抑制と各国の理解を求める態度を必要とするでしょう。
この流れの中で、日米両国間の友好関係が中枢となります。両国が共通の問題を解決するために協力しあっていくかぎり、数々の困難を克服し好機へと転換していくことができます。もし日米両国がこの課題に失敗するならば、太平洋世界の未来は暗いものとなるでしょう。
12
資本主義・社会主義と今後
精神的欲求を充足するためには、資本主義を補足する他の要素が必要になる
池田
そこで現代の世界の社会体制は、大別すれば資本主義(自由主義)と社会主義に分けられる。その二つの体制は、今後、どのような方向をたどるかという見通しとなると、そう簡単にはいかないようです。
私は、自由主義社会と社会主義社会とが、軍事ブロックによってイデオロギー的に区分けされ、対立しているような状況は、長期的にみれば徐々に解消されるであろう。また国内体制の面でも、それぞれ、互いに良いところを採り入れあっていく混合経済体制的な方向へ向かうであろうし、そうあったほうが良いと思っております。
問題は、資本主義(自由主義)か社会主義かという二者択一の選択の問題が、もはや、欧米諸国や日本などの先進工業国において、青年をひきつける魅力あるテーマ、スローガンではなくなっているという事実でしょう。
日本でも、戦後十数年ぐらいまでは、資本主義から社会主義、共産主義への移行が歴史的必然であるとする、マルクス主義のテーゼ(綱領)が一定の“磁力”をもっていました。
とくに、戦後まもない一時期には、幾度となく“革命前夜”が叫ばれ、青年たちの行動には、善悪はともかく、凄絶というか、考えられないほどの情熱があった。現在からみれば、文字どおり隔世の感があります。
現代の若者に、そうした時代を理解させることは、おそらく不可能でしょう。
博士は、“イデオロギーの終焉”が言われて久しい現在、資本主義(自由主義)と、社会主義の今後の動向に、どのような感触をおもちですか。これは簡潔で結構です。
キッシンジャー
まず私は、経済機構は手段であると思います。目的ではありません。
池田
そのとおりです。
キッシンジャー
私が共産主義に反対するのは、だれが何を所有することになっているか、という問題からではありません。
私が共産主義に反対する理由は二つあります。第一に、共産主義は、少数支配による全体主義体制に通じているからです。
その少数の支配者は、みずからを歴史創造の前衛と任じております。
第二に、彼ら少数者が、民衆の物質的な次元の願望さえ満たすことのできない経済制度をつくりあげた、ということです。そのために、自由を抑圧するとともに、耐乏生活を押しつけているのです。
池田
欧米諸国の事情については、つまびらかではありませんが、日本でも社会主義や共産主義の魅力は、薄れています。
若者は、エネルギーのはけ口を見いだすことができず、“ミーイズム”と呼ばれる自分だけの閉ざされた世界に引きこもったり、保守化の波に身をゆだねる、という現状ではないでしょうか。
キッシンジャー
現在は、民衆の物質的欲求を満たすという点においては、資本主義のほうが優れております。
しかし、精神的欲求を充足するためには、資本主義を補足する他の要素が必要になります。
13
多すぎる情報の中で
現代に生きるわれわれは、情報の洪水が個人の孤立化を進めるというパラドックスをかかえている
池田
今日、先進諸国は工業化社会の段階を終えて、情報化の波が洗い始め、それぞれ新しい対応を迫られています。情報化社会の最大の問題点は、すでに指摘されているように、極度の人間疎外にあります。
ご存じのように、情報化社会は、すべての知識を情報の断片に還元して問題を処理してしまう社会である。一個の人間、あるいは人類がこれまで蓄積してきた知識の体系が、連関性を失って拡散してしまう性格を強くもっています。
しかも情報というものは、その性質上、より多く集められることによって力を発揮するものです。生活次元で言っても、私たちは朝から晩まで、じつに大量の情報洪水の中で生きていると言ってよい。しかしそれをどう受けとめ、活用していくかについての訓練は、往々にしてなされていないのが現状ではないでしょうか。
大衆は一方通行の情報の流れにさらされ、主体性を喪失して、その中に埋没し、無気力化を余儀なくさせられております。その事態が、必然的に行き着くのが、情報操作による大衆操作の問題です。
いうまでもなく、情報はすべての人に平等に与えられているわけではない。この情報の偏在という問題があります。日常、情報が洪水のごとく流されているといっても、本当に重要な情報、価値ある情報は、ごく一部の層によって握られ、管理されているのが常である。まさに、情報を握る者は力を握るのです。
こうした一部の層による情報の独占・管理は、民主制社会の基盤を掘り崩す恐れを多分にはらんでいます。
私の知人であるオックスフォード大学のブライアン・ウィルソン教授は、情報化社会では、一方に情報を独占する巨大機構、他方に無気力化した大衆という二極分化が進む。その中で、その中間にあって大衆の参加意識をくみあげ、他方、巨大機構にも一定の制約、影響を与えていく点に、宗教組織の社会的意義を見いだしておられました。
また近年、日本でも職場のOA化(オフィスオートメーション化)がめざましい速度で進んでいる。従来の作業の多くの部分がコンピューター・システムに置き換えられ、これを使いこなせないと、職場に適応していくことができなくなります。中高年者が慣れないシステムに悪戦苦闘し、そのストレスで神経をすり減らしている姿は、今や決して珍しいものではありません。
キッシンジャー
今日以前のほとんどの世代においては、情報不足が問題となっておりました。
しかし現在では、一人ではだれも処理できないほどの情報があります。
池田
多すぎる。
キッシンジャー
その反面、情報の意味に対する理解は不足しております。
情報というものは、なんらかの価値観や目的観と結びついた場合に、初めてそれ自体の意味をもつものです。
したがって、現代に生きるわれわれは、情報の洪水が個人の孤立化を進めるというパラドックスをかかえております。
14
いわゆる“メディアの権力”について
“時代の空気”“実態のない告発”“言論の凶器”
池田
それに関連して、マスメディアは「第四の権力」と言われるように、現代において強大な力を得ております。
しかし、司法、立法、行政の三権は、その分立関係が憲法などによって明文化され規定されているのと異なり、報道界の権力には他のような規定が明確でありません。
言論・表現の自由、「知る権利」などの一般的な規定は存在しても、明確に制度化されたものではなく、チェック・アンド・バランスの相互抑制の枠外にあります。
その運用はただただ人為的努力にゆだねられていると言えましょう。ここに報道界のありようの問題点があります。
マッカーシー反共旋風は、その一つの象徴であったと思います。すなわち、“時代の空気”に流され、長期にわたりマッカーシーの跳梁を許した弱さ、客観報道の名分のもと、結果的に彼の“実態のない告発”を喧伝しつづけることとなったもろさが、無実の被告発者に対して、“言論の凶器”とさえなったのです。
また、報道界が、民衆の知る権利に応える“公器”という、本来の目的と理想を忘れ、言論・表現の自由の名分のもとに、恣意的でかつ明らかに偏向的な報道、人権無視の報道の猛威を振るったならば、社会に与える悪影響ははなはだしいものがある、と言わざるをえません。昨今のわが国の言論界、マスコミ界をめぐる現状の中で、私はこのことを痛感してきた一人でもある。
もちろん、これは安易に他の政治権力や法規定にその掣肘役をゆだねることが、言論の自由そのものをいちじるしく制限し、失わせかねないというむずかしさを十二分に理解し、また大前提として申し上げるのです。
キッシンジャー
まずメディアについてですが、もちろん私の場合は、アメリカのメディアについて語るのが適任でしょう。他の国のメディアについては詳しく語ることができません。
最初に、アメリカのメディアは多くの優れた業績を残してきました。政治権力の濫用を抑制する役割を果たし、多くの社会悪を摘発してきました。
メディアの活躍がなかったら、そうした社会悪が暴露されることはなかったでしょう。その点では、わが国のメディアは十分信頼に値します。
池田
そうでしょうね。
キッシンジャー
しかしまたメディアは、アメリカ社会の中で〈抑制と均衡〉の対象とならない唯一の制度であります。メディア同士が互いに批判しあうということは絶対にありません。
したがって、あるメディアが不当な行為をしたとしても、他のメディアがそれを指摘することはありません。むしろその行為を支持する傾向があります。
池田
そのとおりです。
キッシンジャー
第二に、多くのジャーナリスト、とくに若い世代の人は、既存の制度に敵対的な態度をとりながら成長してきました。ゆえに彼らはきわめて批判的であり、しかもその非協調的な態度を中和する前向きの視座を欠いているのです。
このように、社会全般におよぶメディアの影響は、非常に狭い、ときには破壊的ですらある見方から出てくる傾向があります。
池田
そうですね。日本と同じだ。(笑い)
キッシンジャー
しかし私は、政府がメディアを統制すべきではないと信じております。メディアが、効果のある自粛の制度を、みずからの手でつくるべきだと思います。
池田
賛成です。とくに十五年ぐらい前から、私もそのように思っておりました。
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