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日蓮大聖人・池田大作

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「広布第2幕」の新春を祝す(下) 猛然と獅子奮迅の力を出せ

2008.1.10 随筆 人間世紀の光4(池田大作全集第138巻)

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4  師子の師子たる証は何か。それは、いかなる戦いも「奮迅の力」で猛然と戦うことだ。そして勝ち抜くことだ。
 ゆえに、そこには、瞬時も油断はない。
 有名な「経王殿御返事」にも、「師子王は前三後一と申して・ありの子を取らんとするにも又たけきものを取らんとする時も・いきをひを出す事は・ただをなじき事なり」と記されている通りだ。
 油断は大敵である。
 「歴史の父」と呼ばれる、古代ギリシャのヘロドトスが書き綴った史実がある。それは、古代に繁栄したリディア王国(現在のトルコ西部)の首都サルディスの物語である。
 この都は、金城鉄壁の城塞で護りが固められ、大軍勢が何日かけても決して攻め落とすことができなかった。
 しかし、難攻不落に思えた城塞に、一カ所だけ、警備兵が配置されていない場所があった。そこは断崖絶壁になっていたため、敵も味方も、"攻撃は絶対に不可能である"と思い込み、完全になおざりにされていたのである。
 ところが、誰もが無視していた、その断崖に一人の兵士が勇敢に挑んだ。そして登攀に成功した。ここに無敵の城塞は突破され、栄光を勝ち誇った首都サルディスも滅び去ってしまったのだ。
 「栄耀栄華によって驕慢の心が生ずる」(『歴史』松平千秋訳、岩波書店。引用・参照)とは、ヘロドトスが書き留めた誡めである。
 その「驕慢」から、油断が生ずる。
 ゆえに、順調な時ほど調子に乗ってはいけない。
 勝ち誇って酔い痴れることは、すでに敗北の兆しである。驕り高ぶった慢心から、衰亡が始まるのだ。
 いつしか苦労知らずになり、恩知らずになれば、増上慢に狂い、油断におかされてしまう。
 「師子は油断せず」
 この一点を、指導者は心に刻みつけていくことだ。
5  昨年の十一月、中東・アラブ首長国連邦のドバイで、「世界の子どもたちのための平和の文化の建設」展が盛大に行われた。
 これは、湾岸SGIの友が主催したものである。
 光栄なことに、ドバイ首長国のハヤ王女からも後援をいただいた。
 開幕式には、教育庁のアブドラ・アル・カラム長官、また教育センター「ドバイ・ナレッジ・ビレッジ」のアユーブ・カジム所長など、各界から三百五十人もの来賓の方々が臨席された。
 「多様性の調和」を育んでこられたドバイの識者の方々が、「教育・文化を通して人間的価値を創造する湾岸SGI」に対して、深い理解と共鳴を寄せてくださり、感謝にたえない。
 古代アラブの詩集『ハマーサ』に味わい深い一節がある。
 「われらの系図がどんなに高貴であっても、
 われらは一日たりともその上で休らうことはない。
 祖先たちが築き上げたように、われらも築き続ける、
 そして彼らが成し遂げたようにわれらも成就する」(鈴木邦武『ゲーテとアラビアの詩人たち』南江堂)
 わが創価学会も、どれはどの辛労を重ねに重ねて、広宣流布の道なき道を開いてきたことか。
 草創の師弟の労苦を思えば、断じて、安閑としてなどいられない。
 「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし
 この御聖訓を、よくよく拝してまいりたい。
 地球上、いずこの地であっても、いつの瞬間であっても、不二の弟子が一人立つならば、そこに、創価の烽火は上がる。
 「いつか」ではない。
 「今、この時」だ。
 蓮祖は厳命されている。
 「いよいよ強盛の御志あるべし
 「いよいよ強盛に大信力をいだし給へ
 いよいよ、新しき人間革命の本舞台の幕は上がった!
 師弟不二の大いなる闘魂に燃えた、誠実一路の弟子を、私は待つ。
 その弟子の戦いと栄光を、私は信ずる。
  師子と立て
    師子と進めや
      師子と勝て

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