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日蓮大聖人・池田大作

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今こそ生命の極理を学び抜け(上) 「行学絶へなば仏法はあるべからず」

2007.10.19 随筆 人間世紀の光4(池田大作全集第138巻)

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5   御聖訓
    不惜のままの
      精進に
    一人ももれなく
      仏になるかな
 「哲学することなしに生きるということは、まさしく眼を閉じて少しも開こうと努めないことであります」(「哲学原理」三輪正・本多英太郎訳、『デカルト著作集』3所収、白水社)
 これは、大哲学者デカルトの厳しい戒めである。
 私は、戸田先生の膝下で、来る日も来る日も、徹底的に御書を学んだ。
 なかでも「生死一大事血脈抄」の「臨終只今にあり」との一節について、先生の甚深のご指導は、生命に焼き付いて離れない。
 「臨終只今」とは、第一に、「自分はいつ死んでも、成仏するに決まっているという信心をしなさいということである」と、先生は深き心境で語られた。
 「信心の目的は一生成仏である。それは、一瞬一瞬の一念に、何を思ったか、行動したか、行動しなかったか──その積み重ねの差で、成仏・不成仏が決まっていくのだ。
 信心は形式ではない。一瞬一瞬を、大事に生き切っていくのである」
 さらに、先生は厳しくいわれた。
 「『臨終只今にあり』とは、『仏の臨終只今にあり』と拝するのだ。
 仏は、いつまでも生きておられるとは限らない。だから今、仏にお目にかかれなくなっても、悔いのない、真剣な求道が大事なのだ。
 『臨終只今』という切実な求道の心を持ちなさい」
 「師匠の指導を、いつまでも聞けると思ったら、大間違いだぞ!」
 身震いする感動で、私は、師匠に一心不乱にお仕えし抜く名誉と責任を感じとった。
 ともあれ、今も私は、この師匠と生命で対話をしながら、広宣流布への「行学の大道」を歩み抜いているのである。
6  「不思議なもので、御書を拝すれば、他の一切のものがやすやすと読めるようになる。生活のことも、明確な判断ができるようになる。
 ゆえに、人生には行き詰まりはないのだ」と、戸田先生は確信を持たれていた。
 全く恩師の言われた通りである。仏法は、人生の絶対勝利の法理である。宿命転換、変毒為薬の宗教である。人間革命の希望の哲学である。
 これは、幾多の大難を勝ち越えてきた、"信心六十年"の直弟子の私の結論だ。
 スイスの哲学者ヒルティは言った。
 「人類の永続的思想のたからに属するすべての実り多き思想は、実に苦難から生れ出でたのである」(『ヒルティ著作集』10、高橋三郎訳、白水社)と。

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