Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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世界の指導者との対話 我らは「精神世界」の開拓者

2007.10.20 随筆 人間世紀の光4(池田大作全集第138巻)

前後
1  私の永遠の師匠は、戸田城聖先生である。
 その弟子として、師匠と共に、三世永劫にわたる人間の極致、そして大宇宙の本源まで説き明かした大仏法を知った喜びに、私は感涙にむせんだものだ。
 ともあれ、大切な人生だ。大切な一生だ。
 長い長い価値ある旅路を、永久不滅の正義と大勝利の金字塔を打ち立てゆく天地まで、歩み、走りゆくのだ。
 嵐が何だ! 怒涛が何だ! 中傷批判が何だ!
 名声が何だ! 財宝が何だ! 権力が何だ!
 偉ぶった、嫉妬深い畜生どもが何だ!
 私には、大法という金剛不壊の宝の中の究極の宝がある。
 朝な夕な、常に語り、常に励ましてくださる師匠が胸に生きている私は、最高に幸福者だ。永遠に幸福者である。
 私は勝利者だ。三世にわたる祝杯を上げながら、光り輝く"不滅の正義"という松明を高く掲げているからだ。
2  戸田先生は、よく言われた。
 「中国では『高徳の人物との一夜の対話は、十年の読書にも勝る』という言葉がある。
 第一級の人物に会っていくことだ。その語らいは、百科事典を凝結した如き内容にもなるだろう。自分自身の心の世界を豊かに広げてくれる」
 その通り、私は世界の著名な指導者と、たびたび対話し、深い思い出を残してきた。多くの方々が、尊く立派な人格者であられた。
 自分自身の哲学によって立ち、その信念に基づいた論調は明快であり、人柄は誠実であった。いわゆる、はったりやごまかしや気取りなどは、まったくない。
 胸襟を開き、本当に充実した対話の歴史を作ることができた。
3  忘れ得ぬ会見の一人は、アメリカの大経済学者のレスター・サロー博士である。
 博士は、現代経済学の最先端をリードしてこられた。
 『ゼロ・サム社会』『資本主義の未来』など、世界的なべストセラーも多数である。
 世紀の転換期である一九九九年の年頭と秋に、二度、対話を重ね、さまざまな角度から深い論究ができた。
 私にとっても、まことに実り多い対話となった。
 博士は語られた。
 「『まず自分が変わる』ことが先決です」「変化は、トップからやるべきです」
 「本当のリーダーは、『この人についていきたい』と人に思わせ、納得させる人です。
 皆が自発的についていくのがリーダーです」と。
 私たちと相通ずる、明快な指導者諭であった。
 惰性ではない。刷新である。
 押しつけではない。励ましである。
 リーダー率先の決意新たな「人間革命」への挑戦から、一切の回転が始まるのだ。
4  「二十一世紀のフロンティア(開拓最前線)とは、何でしょうか?」
 私が尋ねると、サロー博士は即答された。
 「地理的な探検はやりつくされていますが、『精神世界の探検』には、ニューフロンティアが残されています。
 そこで、宗教の問題になります」
 「宗教には『人間を向上させる力』があります。『人間は、より良くなれるんだ』ということを、宗教は資本主義社会の中で教えるべきです」
 時代の「急所」を突いた論点であった。
 「精神の世界」「生命の世界」こそ、いよいよ本格的に人類が挑むべき、最大のニューフロンティアである。
 「人間を向上させる力」をみなぎらせた仏法を実践しゆく、わが創価の青年群こそ、この新たな人類史を開拓しゆく"先鋒"であることを、誉れも高く自負されたいのだ。
 なお、サロー博士と私は、関西の中小企業にみなぎる、突破口を開く技術力や、変革を推進しゆく創造性などについても、大いに語り合った。
 「関西こそ、人材が雲集する、日本で最も魅力的な天地であれ!」──これが、サロー博士の期待であった。
 ともあれ、まず「新しい自分」を作り、そして「新しい人材」を育てること。これが「今」を勝ち抜く要諦である。
5  戸田先生にお会いした十九歳の頃に、本を繙いて学んだ詩歌や名文は、今も私の胸に光っている。
 青春時代に読み、わが心に刻まれた詩人の声、そして文豪や哲人の文章を、私は自分自身の大いなる人間の成長のためにと、書き留めてきた。
 私にとって、宝石の如く輝きわたる一文また一文である。
 これからの若き弟子のために、これからの広宣流布という道を戦い、切り開いていく後輩のために、私は折々に、その読書ノートを開いてきた。
 さらにまた、年々歳々、新たに学び生命に刻んできた、思い出に残る幾つもの箴言を、そのまま紹介させていただいている。
 「怖れることはない」
 「善徳にはいかなる道もとざされることはないのだ」(『転身物語』田中秀央・前田敬作訳、人文書院)
 これは、古代ローマの大詩人オウィディウスの名作で読んだ言葉であった。
 正義に生きゆく人生には、この「勇気」と「確信」がみなぎっている。
 この詩人は、さらに語った。
 「怠惰は私には死と考えられる」
 そして、「新しいということもすべての中で最も貴重であり、
 遅れた賛辞には感謝の念も遠ざかります」(『悲しみの歌/黒海からの手紙』木村健治訳、京都大学学術出版会)と。
 反応は、スピードが大事である。遅くなってしまえば、真心は十分に伝わらない。
 創価学会は、打てば響く、誠実な反応の早さで、勝ってきたのだ。
 この点、イギリスの詩人ジョン・ダンも、「やろうと思っただけでは遅れを取る。今すぐ実行せよ」(『ジョン・ダン全詩集』湯浅信之訳、名古屋大学出版会)と綴っていた。
 なお、このダンは、友情を讃え、こうも言い切っている。
 「君は僕である。
 (友達なら、そんなことは当り前の話)」
 さらに──
 「何事が起ろうとも、そこから利益をひきだす力は私の中にある」(『幸福論』1、氷上英廣訳『ヒルティ著作集』1所収、白水社)
 これは、スイスの大恩想家ヒルティの断言であった。
 仏法の「変毒為薬」の法理に通ずる至言として、若き私の魂に強く響いた言葉である。
6  私が、大中国の偉大な人民の指導者・温家宝総理と再会したのは、今年の爛漫の春、四月十二日であった。
 ご多忙のところ、長時間を割いてくださり、忘れ難い歴史の劇となった。
 この語らいの中でも話題となった、温総理の尊く光る名言の一節がある。
 それは、「私は人民の子である。我々が成し遂げた一切は、人民のおかげである」と。
 いかなる立場になっても、「人民の子」であるという原点を忘れない。そして、すべての目的は「人民のため」であり、すべての功績は「人民のおかげ」であるという精神を、貫き通しておられる。
 ここに、温総理が周恩来総理と並び称されて、「人民の良き総理」と敬愛される所以がある。
 温総理ご自身、中国の大発展を指導し切ってこられた周恩来総理を、心から尊敬されている。
 温総理にとって、周総理は、同じ南開中学で学んだ、同窓の大先輩でもある。
 温総理は、十四歳の時、周総理から、この南開中学に届いた"体も強く、頭も強い、英知の人材と育ちゆけ!"との激励のメッセージを胸に刻んで、向学の青春を歩んでこられた。
 母校を大切にされる温総理もまた、一九九〇年、激務のなか、南開中学を訪問され、後輩たちを励まされている。
 母校に到着した温総理が真っ先に向かったのは、校内に立つ周総理の銅像であった。
 温総理は、その像を仰ぎながら、周総理との思い出を、若人たちに感慨深く語られたのである。
 温総理は、私との会談でも、「青年の交流」を重視する心情を述懐されていた。
 「人民のため」、そして「青年のため」「未来のため」──周総理の精神を、そのまま継承しておられる姿に、私は深く感銘した。
7  一九九八年、中国では「百年に一度」といわれる長江の大洪水が起こった。
 当時、副総理であった温総理は、江沢民主席らと共に、現地へ何度も何度も足を運ばれて、被災者を見舞い、警備兵をねぎらわれている。
 大雨の中、ぬかるんだ道を歩き通して、危険な堤防の状況を、自分のその目で視察された。
 そして堤防が決壊するたびに、直ちに現場に急行し、泥まみれになりながら、人びとを励まし、救援・再建の陣頭指揮を執られたのだ。
 ある現場では、洪水を分散させ、下流の大都市を守るには、"大堤防爆破もやむなし"という意見が大勢のなかで、温総理は、あらゆる情報を冷静に精査して、大堤防を守る決断を下した。この英断が被害を最小限に食い止めたと、今もって感謝されている。
 思えば、周恩来総理も、大災害の際には、即座に駆けつけ、危険を顧みず、一軒一軒を回られた。
 そして「私は人民の雑用係です」と言って、皆に温かな励ましの声をかけながら、復興への手を一つ一つ打っていかれたことは、有名な史実である。(蘇叔陽『人間周恩来』竹内実訳、サイマル出版会。参照)
 温家宝総理は就任の折、周総理も大切にされていた「鞠躬尽瘁きっきゅうじんすい(心身を尽くし抜く)」という言葉にも触れて、強い決意を語っておられた。
 周総理と温総理が、人民のために戦い勝ってきた歴史的輝きの姿は、二重写しとなって、私の胸に迫ってくる。
 お二人とも、平和への大革命家であられた。そして平和主義の大先達であられる。
 温総理は、こう訴えられた。
 「困難を知ることは難しくない。大事なことは、困難に立ち向かい、困難を知りながら敢えて進むことだ。そして永遠に退くことなく、断じて勝利していくことだ」
 日本への訪問も、温総理は、幾多の困難が立ちはだかるなか、この決定した断固たる信念で断行してくださった。
 ご存じの通り、「氷を溶かす旅」は大成功であった。
 温総理が来日の折、贈ってくださった自筆の書には──
 「慈航創新路
  和諧結良縁」
 (慈航は新たなる路を創る
  和諧は良縁を結ぶ)
 と流麗に認められている。
 総理は「創価」という言葉から「慈悲」と「創造」の二つの意義を汲み取られ、この書に織り込んでくださった。
 文化の大国の哲人宰相から頂戴した、かけがえのない友誼と信頼の宝である。
 温総理も、私からの返礼の漢詩を喜んでくださったと伺った。
 この九月、両国の国交正常化三十五周年を祝う北京での諸行事も、総理のご出席のもと、晴れ晴れと行われ、慶賀にたえない。
8  周恩来総理、そして温家宝総理にゆかりの南開大学とは、創価大学も、またアメリカ創価大学も、有意義な交流を結ばせていただいている。
 この南開大学には、学生の有志の方々によって、光栄にも「周恩来・池田大作研究会」が結成されている。
 先日も、その英才たちから、嬉しい便りをいただいた。
 その香しき文面には、中秋の名月に寄せて、大詩人・蘇軾そしょくの詩が引かれていた。
 「ただ願わくは
  人長久にして
  千里に嬋娟せんけん(月)を
  共にせんことを」(「水調歌頭」)
 ──互いに、いつまでも健在で、千里の彼方に離れていようと、心は共に、美しき名月を仰いで、賞でようではないか、と。
 この詩に託して、南開大学の俊英は、こう綴ってくれた。
 「遠く離れていても、池田先生と共に名月を観賞できることに、私たちは最高の幸福を感ずるものであります」と。
 私は冴えわたる月光の如き、若き英知の光彩に感動しながら、このお手紙を拝受した。
 そして、この友誼の大月天が、両国の青年の心を黄金の光で、無窮に照らしゆくことを祈りつつ、中国の方角へ向かい、妻と二人して合掌した。
9  世界の識者との対談の席で、相手の方々が、思わず居住まいを正して語られる場面がある。
 それは、ご自身の「師匠」のことを話される時だ。
10  昨年の一月、ロシアの名門ウラル国立大学から、名誉博士号を拝受した折であった。
 トレチャコフ総長は、芳名録に、一文字一文字、丁重に著名されながら、こう語っておられた。
 「これも師匠の教えなんです。決しておろそかにせず、丁寧に心を込めて書くんだよと教えてくれたのです」
 総長の恩師は、大数学者のクラソフスキー先生であられる。四十年以上もご一緒に仕事をされてきたという。
 師を語る、その声は、敬愛と感謝に満ちあふれていた。
 師を思えば、人は力が湧く。勇気がみなぎり、喜びがあふれる。背中を押してもらったように、胸を張って前に進めるのだ。
 師恩を踏みにじるような忘恩の人間は、誰一人として、晴れがましい人生を全うすることは絶対にできない。
 「恩知らずで地獄はいっぱい」とは、南米ベネズエラの格言である。
11  あの世界史上に輝くアレキサンダー大王が、十三歳から数年間、大哲学者アリストテレスを師匠として、学問を教わったことは有名である。
 この師匠から、若き大王が学んだものは、何であったか。
 フランスの思想家モンテーニュは、こう指摘している。
 すなわち、それは「勇気と果敢と剛毅と節制と何ものも恐れぬ自信」であったと──。
 苦難に挑む勇気!
 構極果敢な行動!
 嵐に揺るがぬ剛毅!
 勝利のために労を惜しまず、自身を律する節制!
 失敗を恐れず、自らの可能性を信じて挑戦する自信!
 すべて、戦う厳たる青年の美徳といってよい。
 モンテーニュは、そうした魂が「師弟」を通して受け継がれたと洞察したのだ。
 弟子が師匠から何を学び、何を継承していくか──。
 私も、世界広宣流布の大業を実現するために、戸田先生から、万般の学問と、一切の戦いを学んだ。
 あらゆる激戦の最前線を切り開きながら、「絶対勝利の信心」の極意を体得した。
 今、そのすべてを、わが池田門下の弟子たちに、滔々と伝え抜いていく時が到来しているのだ。
12  本年五月、欧州マケドニアから賓客をお迎えし、八王子の創価大学でお会いした。
 美しき湖畔の古都オホリッドの名に由来する、「オホリッド・ヒューマニズム・アカデミー」のプレブネス会長のご一行である。
 マケドニアは、アレキサンダー大王の深き縁の大地だ。
 光栄にも、プレブネス会長は論じてくださった。
 ──アレキサンダー大王は「世界の扉」を開いた。
 そして、二千三百年を経た現代において、戸田会長の弟子である池田博士が、「人類の希望の扉」を開いたのである──と。
 世界を結ぶ創価の師弟に寄せられた信頼として、謹んでご紹介させていただきたい。
13  アレキサンダー大王の心は、常に兵士と一体であった。
 大王は、生死を共にしゆく勇者を「この男もまた、アレキサンダーなり」と宣言した。
 自分と一緒に、自分と同じく勇敢に戦う者は、皆、アレキサンダーだというのだ。
 戸田先生も、「全員が戸田城聖たれ!」と訴えられた。
 私は、この戸田先生の若き分身として、日本中、世界中を走り抜いてきた。
 人と会い、人と語り、友情を結び、一瞬の邂逅を永遠の出会いにする思いで、仏縁を全地球に広げに広げてきた。
 若き君よ! 青年たちよ!
 君もまた山本伸一となって、私に続いてくれ給え!
 人を当てにするのではない。自分自身が「希望」の太陽となって、行く所、向かう所に、勇気の光を送りゆくのだ!
 雄渾なる前進また前進で、勝利また勝利の大光を自分らしく赫々と放ちゆくのだ!
 君たちよ! 二十一世紀の新世界の扉を開きゆく、若き創価のアレキサンダーたれ!
  法難に
    断固と護れや
      師弟城
  
  喧燥の
    嵐に勝ちゆけ
      師弟山

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