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日蓮大聖人・池田大作

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桜花の「4.2」に恩師を思う(上) 学会は師弟不二の団結の城

2007.4.1 随筆 人間世紀の光4(池田大作全集第138巻)

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10   君よ 勝て
    君よ 負けるな
      人生は
    厳しき勝負の
      闘争なりせば
 先生はよく、維新回天の原動力となった、吉田松陰と高杉晋作の師弟の話をされた。
 この松陰と晋作の師弟の覚悟は、「死して不朽の見込あらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込あらばいつでも生くべし」(山口県教育会編『吉田松陰全集』9、岩波書店)であった。
 先生と私も同じであった。先生のお体は、戦時中の二年間の過酷な投獄で極限まで痛めつけられていた。
 その先生のお心のままに、私は純粋に、確固たる誠心を捧げ抜いて、お仕え申し上げた。
 当時、私自身も、結核を患っていた。
 結核は、一九三五年(昭和十年)から五〇年(同二十五年)まで、ほぼ連続して日本人の死因の一位を占め、毎年数万人もの生命を奪ってきた。
 私は医者から三十歳まで生きられないと言われ、微熱や咳に苦心み、時に血痰を吐きながら、ただ一人、苦境の先生を支え抜いた。私は、自分自身の寿命も、先生に差し上げて、その分、長生きしていただきたい、そして、先生に広宣流布の雄渾の指揮を執っていただきたいと、ひたぶるに祈り抜いていたのである。
 先生は、その私の心を見抜かれて言われた。
 「お前は死のうとしている。俺に命をくれようとしている。
 それは困る。お前は生き抜け。断じて生き抜け!
 俺の命と交換するんだ」
 これが、先生と私であった。
 後に先生は、最高幹部との語らいの席上、こう言われたという。私の義父母も同席していた。
 「大作は、体が弱いのに、学会のため、私のために、命を削り、奮迅の努力をしてくれた。
 苦労をかけすぎて、三十まで生きられるか、どうか。大作がいなければ、私の後継ぎはどうなるか。学会の将来はない。自分の命を代わりにあげて、なんとか長生きさせたい」
 そう言われながら、慟哭され、落涙される師であられた。
 一九五八年(昭和三十三年)の年頭、私は、「生きられない」と言われた三十歳になっていた。
 恩師のおかげで、宿命を乗り越え、まさしく「更賜寿命」させていただいたのである。
 一日また一日、私は、妙法流布のために先生から頂戴した命と思い、師の生命と一体融合して、「臨終只今」の決心で生き切ってきた。戦い切ってきた。
 師弟不二の偉大な法則を、護り抜き、語り抜いてきた。
 師弟不二の究極の人生を、一点の曇りもなく、悔いもなく、戦い抜いてきた。そして、勝ち抜いてきた。
 「勝利は団結をもたらすが、敗北は分裂をもたらす」(『ある人質への手紙』山崎庸一郎訳、『サン=テジュペリ・コレクション』6所収、みすず書房)
 これは、フランスの作家サン=テグジュぺりの透徹した洞察であった。
 戸田先生のご指導の通りに、広宣流布の完壁なる「勝利の団結」を築き上げてきた私の人生には、後悔など何もない。
  咲きにけり
    創価桜は
      勝ちにけり

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