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日蓮大聖人・池田大作

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中国京劇院「三国志」 我らは平和と正義の「王道」を進む

2006.7.5 随筆 人間世紀の光3(池田大作全集第137巻)

前後
9  今回の日本公演は、名脚本家として知られる中国京劇院の呉江院長が新たに執筆された、名場面の集大成であった。
 呉院長は、語られていた。
 「五丈原のくだり、病身をおして民のために指揮を執る孔明の姿が、晩年の周恩来総理とだぶり、私は何度も涙を拭いながら筆を進めました」
 その深き心境が、私には痛いほど伝わってきた。私も、中国の人民日報への寄稿などで、最大の敬意を込めて、周総理を「二十世紀の諸葛孔明」と讃えてきたからだ。
 周総理が常に語られた覚悟が、「鞠躬尽瘁きっきゅうじんすいし、死して後己まん」(心身を尽くして、死ぬまで戦い続ける)であった。
 諸葛孔明の言葉である。
 思えば、偉大な中国京劇院を最大に護り、常に励ましてこられたのも、周総理であられた。私たちが間断なく積み重ねてきた文化の交流を、総理も微笑み見守っておられるにちがいない。
 また、こうした文化の偉業を陰で支えてくださっている民音推進委員の皆様に、私は心から感謝を申し上げたい。
 公演の終了後、京劇院の方々と記念撮影をし、懇談のひとときをもった。
 孔明や劉備、関羽、張飛を演じられた方々は皆、口の前に長い髭を付けられている。
 「髭を付けて歌うのは、大変でしょうね」
 私の妻がねぎらいながら尋ねると、孔明を演じた張建国先生は、こう答えられた。
 「初めは大変でした。
 しかし、練習して、訓練して、鍛錬し抜いて、自在にこなせるようになりました」
 芸術の英雄として真剣勝負の戦いに徹すればこそ、歴史に輝く大英雄を演ずることができるのだ。
10  諸葛孔明の「五丈原」は、無念にも、大業の半ばに倒れた悲劇であった。
 しかし「五丈原」の歌に涙された戸田先生は、一切の願業を成就された。
 そして、わが師・戸田先生は晴れ晴れと、勝利、勝利の未来を見つめながら、霊山へ旅立たれた。
 恩師の分身である、不二の弟子がいたからだ。
 今や、獄死した初代・牧口先生も、二代・戸田先生も、その正義が世界中に宣揚される時代となった。
 私たちの胸中に、今、鳴り響く「五丈原」の歌声には、悲哀の音調はない。
 幾百万の正義の青年たちが澎湃と続いているからだ。
 「今に至るまで軍やむ事なし」である。
 広宣流布の闘争は永遠だ。
 ゆえに、「鞠躬尽瘁」――広宣流布の諸葛孔明として、私は今日も指揮を執る。
 永遠なる師弟の誓いを果たすために!
 孔明は、将帥に教えた。
 「進撃するときは疾風のごとく、敗走する敵を追撃するときは迅雷のごとく、敵と矛を交えるときは猛虎のごとく行動する」(守屋洋編訳『諸葛孔明の兵法』徳間書店)のだと。
 この言葉を、若き創価の孔明たちに贈りたい。
 かねてより私は、中国京劇院の先生方から、書の要請をいただいていた。
 感動の舞台を終えたあと、私は最大の感謝を込めて、一幅の揮毫を謹んで捧げた。
 「誓」――と。

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