Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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本門の師弟の出発 三世永遠に晴れ晴れと指揮を執れ!

2006.5.10 随筆 人間世紀の光3(池田大作全集第137巻)

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3  ところで、大聖人の御在世当時、「日蓮」の御名前は、「悪名一天にはびこれり」と仰せの通り、あろうことか、あたかも"悪僧"の代表のごとく日本中に喧伝された。
 大聖人一門も、悪意と偏見の標的となった。
 竜の口の法難の直後、「日蓮の弟子たちが放火した!」と、事実無根のデマが流されると、「彼らならやりそうなことだ」と、世間は何ら検証もせずに信じ込み、門下を重罪の者のように迫害したのである。
 うち続く大難のなかで、臆病な弟子たちは、「自分は日蓮の弟子ではない」と裏切り、次々、脱落していった。「千人のうち九百九十九人は退転した」とさえ言われたのである。
 だが迫害に屈せず、「わが師は大聖人なり」と叫び抜いた弟子たちは、七百数十年後の今まで、真実の偉大な門下として不朽の名を残した。
 仏法の因果は峻厳であり、苦難の嵐は、本物と偽物を明確に峻別した。
 真実の弟子と、忘恩の裏切り者、邪悪な迫害者どもの、勝敗は明白である。
 極善は不滅の太陽と輝き、極悪は無間の堕獄の末路を晒した。
 ともあれ、一九五一年(昭和二十六年)五月三日、戸田先生が第二代会長に就任されてより、この五十五年間も、学会が真実であるがゆえに、経文通り、御書通りに三障四魔、三類の強敵を呼び出してきた。
 「暴力宗教」だの「ファッショ」だの、学会はあらゆる悪名のレッテルを投げつけられた。
 私も、無量の誹謗中傷の集中砲火を受けてきた。
 しかし、何を恐れることがあろうか。
 大聖人は仰せである。
 「過去の宿縁追い来つて今度日蓮が弟子と成り給うか・釈迦多宝こそ御存知候らめ、「在在諸仏土常与師倶生」よも虚事候はじ
 「かかる者の弟子檀那とならん人人は宿縁ふかしと思うて日蓮と同じく法華経を弘むべきなり
 我らは、甚深の宿縁ありて師弟となり、広宣流布の庭に集った同志である。
 尊い地涌の菩薩の使命を覚知すれば、受難もすべて正義の誉れである。
 創価学会が、そして三代にわたる会長が、大聖人直結の「法華経の行者」である証なのだ。
 文豪ゾラは、自らの"分身"といわれる作中人物に、こう語らせている。
 「ぼくは、世間から浴びせられる侮辱なんて問題にしない。それはぼくを不快にするどころか、むしろいい刺激だ。よく見れば、世間には、攻撃されると完全にまいってしまう連中、そして、共感を得ようと汲々としている連中が多くいるものだ」
 「だがな、非難・中傷というものは、けっこういい薬だ。いわば人をたくましくする学校だ。ばか者どもの野次以上に人を強壮にする薬はないよ」(『制作』下、清水正和訳、岩波文庫)
 ちょっと叩かれたぐらいで「まいってしまう」、信念なき弱虫など必要ない。学会は最強の師子王なのだ。
4  「牧口先生を、必ず世界に認めさせてみせる!」
 獄死された先師の『価値論』を補訂・発刊した折、号泣なされた恩師の姿を、私は絶対に忘れることはできない。
 私もまた、世間に悪口罵詈され続けた恩師を、世界中に認めさせると誓った。
 そして、今や、あらゆる下劣なウソ、デマの遠吠えを圧して、正義は勝った。創価の師弟は勝った。
 全世界で、「創価学会」と「初代・二代・三代の会長」の名が、人類の希望の光として、晴れ晴れと賞讃される時代になった。
 「創価学会は名実ともに『平和の新世紀を築く希望のシンボル』です」と、声を大にして讃える識者がいる。
 創価学会員は「『素晴らしい人』の代名詞」と絶讃してくださる文化人もいる。
 創価の「師弟の精神」に、二十一世紀を開きゆく勇気と智慧を見出した感動が広がっている。
 私が師弟不二の戸田門下生として、「第三代」の今世の法戦を始めて四十六年。
 いよいよ、わが直弟子である本門の池田門下生が、偉大な指導者として、社会と世界へ躍り出る時代である。
 「力を自覚することは力を大きくする」と、かのボーブナルグは言った。
 尊き使命をもつ、君たちの夜明けが来たのだ。
 偉大な力を涌現させて、戦おう、わが同志たちよ!
 一人も残らず、断固と勝ちゆけ! 勝ちまくれ!

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