Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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「希望の柱」は創価にあり 我らは永遠に生気溌剌と前進!

2005.9.27 随筆 人間世紀の光3(池田大作全集第137巻)

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5  仏法荘おいても、悪を見て見ぬ振りをするのは、重大な「裏切り」に等しい。
 大聖人が繰り返し引かれた経文には、こうある。
 「若し善比丘法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり
 仏法破壊の悪人と戦わず、悪を放置する者は、「仏法の中の怨」であると、峻厳に断ぜられている。
 悪と戦い、断固と打ち勝つ大生命力が「仏」である。
 ゆえに、戦えば戦うほど、力が出る。強くなる。
 わが恩師は、「悪と戦う根性のない意気地なしは戸田の弟子ではない!」と、それはそれは厳しかった。
 先生は、どこかで理不尽な悪口罵詈、デマがあれば、健気な学会員を守るために、真っ先に反撃の声をあげられるのが常であった。
 もしも青年部が知らなかったら、大変だった。
 「情報が遅い! それでも学会青年部か!」
 百雷が落ちるような叱責を受けたものである。
 ともあれ学会は、迅速果敢な破折の言論闘争で、魔軍を破り、勝利、また勝利の大道を切り開いてきたのだ。
6  私が対談させていただいた平和の闘士・ロートブラット博士(パグウォッシュ会議名誉会長)は生前、遺言の如く語っておられた。
 「私は、楽観的でなくてはならないと思います。その反対は何でしょう。互いに悲観主義に陥って、破壊し合うことしかありません。楽観主義しか道はないのです」
 そして「楽観主義には努力が必要だ」と、行動の大切さを訴えられた。
 「『私は楽観主義である』と言う時、それは単純に『世界は良くなる』と信じているわけではありません。私たちがより良くするために何かをしない限り、世界は良くなりません。自分にできる何かを、自分にできる貢献をしなくてはなりません」と。
 全く同感である。
 さらに、博士は、私にこう語ってくださった。
 「楽観主義は、私の倫理です。それは宗教ではありませんが、あなたの宗教に似ているかもしれません。
 私と池田会長は、異なる立場から出発して、同じ結論に達しました」
 人類の幸福と平和への戦いは、暗く悲壮なものでは絶対にない。ここには、正義を行っているという不動の信念と輝く希望があるからだ。
 今、異体同心で勝ち飾りゆく創立七十五周年の山は、なんと晴れやかなことか!
 険難の峰に挑んで流した、苦闘の汗も涙も、すべて充実の喜びと変わる。
 見よ! 広宣流布の栄光の未来は、燦たる光に包まれ、洋々と広がっている。
 さあ、新たな快進撃だ!
 朗らかに進もう! どこまでも、またいつまでも!

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