Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

新しき若き同志の拡大  

2005.2.4 随筆 人間世紀の光2(池田大作全集第136巻)

前後
4  蓮祖大聖人も、信心の日が浅い門下の成長に対し、細やかな心配りで薫育された。
 青年信徒・南条時光に与えられた諸御書から、妙法の人材を育てる御心を拝することができる。若き時光に対し、「恩の大切さ」「水の信心」を教えられ、真心からの御供養の精神を愛でられている。富士方面の中心者であった時光にも、常に迫害の手が身辺に及んでいた。
 「あなたに向かって『日蓮御房を信じていては、さぞかし苦労するであろう。主君の覚えも悪かろう』と味方のふりをして近づき、そそのかすのである」(御書一五三九ページ、趣意)
 大聖人は、まだ十代後半の時光に、敵が和合僧をかく乱し、分断させようと仕掛ける、卑劣な工作の常套手段を、率直に明かされている。
 「大魔がついた者たちは、一人をきっかけにして多くの人を攻め落とすのである」(御書一五三九ページ、通解)
 ゆえに、一人を徹して守らなければならない。
 さらに大聖人は、少輔房、能登房など、退転者に共通した生命の傾向性も、時光に示されている。いずれも「欲が深い」「心が臆病」「愚かな心」「智者を気取っていた」というのである。まったくその通りだ。私の経験からしても、全部、広宣流布の反逆者になった者は、この仰せの通りだ。寸分も違っていない。
 また、別の御手紙では、仏法弾圧の構図を端的に示されている。
 法華経を怨敵としていても、表面には、仏法以外の社会的な事にかこつけて憎み、非を唱えてくるのである」(御書一五六四ページ、趣意)
 学会も、常に社会的なデマを捏造され攻撃されてきた。全く御文の通りである。そして、ことごとく虚偽であったと証明されたこと、さらに、嫉妬深き哀れな彼らが、苦悶の結集として、皆、悲惨な敗北の姿で倒れていることは、皆様もご存じの通りだ。
 あの熱原法難の際も、若き時光は、みごとな外護の活躍を見せ、青年門下の鑑となった。時光、ニ十歳のころのことである。法難のなかで戦う時光には、多くの苦悩があったに違いない。しかし、その苦悶の日々を受難の記念日として、卑劣な悪の本質を見破る力を養った。正義の大闘士として成長していくいことができたのである。
 大聖人は、迫害に勝った時光を「賢人」と讃えられた。そして、「願くは我が弟子等・大願ををこせ」「法華経のゆへに命をすてよ」と叫ばれた。
 青年よ、いかなる困難にも屈しない「強さ」と勇気ある「正義」の勝利者として、胸を張れ! 嫉妬深き、いかなる卑劣な連中をも倒しゆく正義の賢人たれ! そして「勝利」――これが私の信条であると、嬉々として広宣流布の大願に生きよ!
 永遠に諸天善神が歓呼して、君を讃えるに違いない。
 君よ!
 意気揚々たる広布の歌を歌いながら――
 満天の星をじっと見つめながら――
 そして、胸に歓喜の充ち満ちたる、永遠の勝利の春の人生であると、微笑しながら、歩みゆけ!
 本年は、創立七十五周年である。この一念、共々に広宣流布のために、思い出深き汝自身の歴史を築いていこう!

1
4