Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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「大震災十年に祈る」  

2005.1.18 随筆 人間世紀の光2(池田大作全集第136巻)

前後
4  ノーベル文学賞作家のウォレ・ショインカ氏と、神戸でお会いしたことがある。兵庫青年平和文化祭に、来賓として出席してくださった時である(一九八七年九月)。今もって、その姿は、私の脳裏にから消えない。
 かつて氏は、正義のペンを振るって権力の不正と腐敗を糾弾し、弾圧を受けて二十二カ月間も投獄された。この獄中闘争を振り返り、ショインカ氏は、「投獄以前よりも、私自身の信念は強くなった」と断言された。獅子の言葉である。
 その氏は、「ほかの人の身になって想像力を働かせること」が「正義の基本」であると力強く言い放たれた。苦しんでいる相手の身になってみるーーその豊かな想像力は「同苦」に通ずる心の叫びだ。
 それがない人間は、人間の心がわからない。ゆえに、独善となり、対話拒否となる。その社会は、息の詰まる人間疎外、身勝手な民衆蹂躙の世界となる。腐りきった売名の政治家。腐りきった金持ちの人間の愚昧な姿。人びとを救うべき坊主たちが、困り果てた人びとを睥睨して救おうともしない、愚劣な野獣の姿よ!
 「悪侶を誡めずんばあに善事を成さんや」とは、大聖人の厳しき叱咤である。
 ともあれ、最後に勝てば、「勝利の人生」である。途中、どんなに悩み、苦しいことがあろうと、最後の勝利を目指し、歩み抜き、生き抜き、今世を戦い抜くのだ。
 スイスの哲学者ヒルティは誇り高く語った。
 「何事が起ころうとも、そこから利益をひきだす力は私の中にある」(『幸福論』1、氷上英廣訳、『ヒルティ著作集』1所収、白水社)
 仏法の「変毒為薬」に通ずる信念である。
 ヒルティは、こうも言った。
 「あなたとともに多くを耐え、その真価を示した人びとを忘れてはならない」(『幸福論』3、前田護郎・杉山好訳、同著作集3所収)と。
 自分一人ではない。胸奥に行き続けている近しい方々の分も、断じて勝つのだ!
5  過日、聖教新聞に紹介されていたが、震災後の都市復興のシンボル「HAT神戸」(神戸東部の新都心)で、まちづくり協議会委員長を務める友がいる。仮設住宅で、葛の籠作りに出あい、全国コンクールで最優秀賞を勝ち取られた友もいる。お二人は、震災の時、六十歳を越えていた。自宅も全壊し、これまで築き上げてきた一切を失われた方々である。
 やはり自宅が全壊しながら、看護師として震災当時の尊き救助活動にあたった友は、昨年の中越地震の救援活動にも駆けつけておられる。
 「すぐれた人間の大きな特徴は、不幸や苦しいでき事に対して不屈であることだ」(津守建二『ベートーヴェンの言葉』朝日新聞社)とは、音楽の英雄ベートーベンの信条であった。
 「妙とは蘇生の義」との法理のままに、わが同志の勝利劇は、枚挙にいとまがない。兵庫の皆様は、歴史に残る蘇生の戦いを示し抜いてくださった。
 「わざはひも転じて幸となるべし
 我らに絶望は断じてない。日蓮仏法の信仰は、永遠の希望の光源であるからだ。
 常勝関西の皆様は、この希望の大哲理を、厳然と証明してくださった。今も、世界の被災地の人びとが、「神戸を見よ!」「兵庫に続け!」「関西の如く!」と勇気づけられている。
 神戸の天地を幾たびとなく踏みしめたインドの大詩人ダゴールは論じている。
 「道徳的な世界に達した人は、圧しつぶすほどの苦難に襲われても、悪意にみちた迫害に遭遇しても、超人と思われるような辛抱強さを示すのである」(『サーダナ』美田稔訳、『タゴール著作集』8所収、第三文明社)
 正義の中の正義に生きゆく我らは、いかなる苦難があろうとも、断固として勝つ!
 勇気凛々と、いよいよ創価の難攻不落の大連帯を、完璧に築き上げ、前へ前へと進みゆく時は、今だ!

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