Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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若き正義の英雄・男子部(中)  

2004.12.24 随筆 人間世紀の光2(池田大作全集第136巻)

前後
2  一九五四年(昭和二十九年)、二十六歳の私は、青年部の室長となった。中枢中の中枢の立場であって、「師弟直結」の最も重要な役職であった。とともに、この年、初代の渉外部長に就任し、一切の外交戦、攻防戦の指揮を執ることになったのである。
 当時、戸田先生や学会に対して、無認識の誹謗や悪意のデマが急激に渦巻き始めていた。
 御書には「法華経の行者をあだまん人をば父母のかたきよりもなをつよいましむべし」とある。最も正しき広宣流布の闘士に対する侮辱は、絶対に放置しない! 父母の仇敵以上に、厳しく鋭く責め抜く! この決心は、また、蓮祖の厳命であられた。
 新聞が嘘を書けば、私は自ら抗議に飛んでいって、真実を叫び、訂正させた。中傷記事を見つければ、記者に会い、誠意をもって正義を打ち込んだ。誹謗を垂れ流す無頼漢のところへ、単身、乗り込み、偉大な師の真実を訴え抜いたこともある。
 社会的な地位もない。財力があるわけでもない。恰幅もない。ただ一人の正義と誠実の青年として、私は全生命を凝結して師子吼したのである。
 十九世紀のドイツの法学者イェーリングは叫んだ。
 「人格そのものに挑戦する無礼な不法、権利を無視し人格を侮蔑するようなしかたでの権利侵害に対して抵抗することは、義務である」(『権利のための闘争』村上淳一訳、岩波文庫)
 まったく、その通りだ。なかんずく、人間の尊厳を踏みにじる嘘八百のデマを、完膚無きまで粉砕することは、青年の特権であり、責務であるからだ。君たちよ、若き人権の師子たれ! 邪悪の心臓を射抜くが如く、正義の言論をば痛烈に放ちゆくのだ!
 「声に出して言わないことがときとしてもっとも多くの禍をもたらす」(『言行録』稲垣直樹訳、『ヴィクトル・ユゴー文学館』9所収、潮出版社)とは、文豪ユゴーの鋭き洞察であった。
3  私は、歴史上、幾多の冤罪に苦しめ抜かれた先人のことを、忘れることができない。
 釈尊も、そして大聖人も、そうであられた。高邁なフランスの哲学者ボルテールや、ドイツの哲学者カントも、マハトマ・ガンジーも、あのアインシュタイン博士も、そして周恩来総理さえも、低劣な女性問題などを捏造された。
 釈尊は厳然と喝破された。――悪意や復讐の心に囚われた野心家は、嘘をついて人をたぶらかし、自らの野望に立ちはだかる正義の人を必ず誹謗中傷する、と。
 デマを言いふらす連中は、それが事実無根の嘘であることは百も承知である。自分たちが嫉妬し、敵視する正義の存在に泥をかぶせ、汚せれば、それでいいのだ。
 大聖人は、末法濁世の実相について――「讒人(讒言を構える者)」「佞人(こびへつらう者)」「和讒の者(陰に回って人を陥れる者)」「曲理の者(道理を曲げる者)」ばかりが充満する時代であると断定されていた(御書一〇九五ページ)。ゆえに、そうした輩から根も葉もない虚偽で圧迫されること自体が、大仏法を正しく実践している証なのである。
 私も、法華経と御書に説かれた通りの「悪口罵詈」「讒言」「讒訴」「不実の濫訴」などの難を、矢面に立って一身に受け切ってきた。そして、すべてを勝ち越えてきたことを、最大の誉れと思っている。
4  最も私が信頼し、未来の一切を託しゆく、わが優秀なる男子部のご健闘と大活躍を祈りたい。素晴らしき歴史的な新年を迎えようではないか!
 一年間、本当にありがとう。ご苦労さま。いつまでも健康で! いつまでも勝利を!

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