Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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正義の言論は銃剣よりも強し  

2004.10.16 随筆 人間世紀の光2(池田大作全集第136巻)

前後
2  十月末から、東京宮士美術館で「ヴィクトル・ユゴーとロマン派展」が開幕する。
 展示品の中に、フランスの国宝に指定されたユゴーの直筆稿があるとも伺っている。
 書かれたのは一八八五年五月十九日」――死の三日前の絶筆である。偉大な詩人であり、作家であったユゴーが、自らの思想を文字で表現した、最後の記録といわれているようだ。
 「愛するとは、行動することである」
 わずか一行に凝縮された、大文豪ユゴーのこの言葉は、私も大好きであった。
 彼は、行動の人である。人間の王者であった。彼には、勲章など真っ平であったにちがいない。名誉なども、塵の如く思っていたことであろう。胸から湧き出ずる、あふれんばかりの民衆愛、人間愛を、ペンに注ぐだけでなく、そのまま行動に移していった英雄である。
 政界への進出があった。死刑廃止運動の激烈なる戦いがあった。ルイ・ナポレオンへの歴史的な抵抗があった。亡命後の言語に絶する言論闘争があった。その愛から発した行動は、いわゆる甘いメロドラマでは絶対になかった。血がほとばしる、斬るか斬られるかの、厳しい攻防戦であった。
 彼の心底の決意は、深かった。彼の胸中は、気高い闘争心に燃えていた。そして彼は、自らの前途が輝く春ではなくして、気高き廃墟になることも覚悟していた。その決定した心には、清例な滝が流れていた。
 民衆を思うゆえに、彼は、民衆を裏切った者は断じて許さなかった。それまで支持していたルイ・ナポレオンが独裁者の素顔をのぞかせると、攻撃の急先鋒となったのである。
 当然、敵も多かった。僧まれもした。″大事業を成した人間、新しい思想を打ち立てた人間ならば、誰でも敵はいるものです″とは、有名なユゴーの言葉である。
 「光り輝くもののまわりには必ず、雑音を放つ黒雲が群がるものです」(稲垣直樹編訳『私の見聞録』潮出版社)
 彼が友人を励ました、この言葉は、自らの体験に基づく大確信であった。
3  仏法の魂も、ただ実践の二字である。青年たちが調べてくれたが、御書の中には、「法華経の行者」という表現が、実に三百三十カ所を超えて、使われている。いわゆる「信者」でも、「学者」でもない。この「行者」とい、二字に、日蓮仏法の炎の魂があることを断じて忘れまい。
 法華経は、行じる経典である。実践の法門である。「行」の中に「信」と「学」の昇華があるからだ。日蓮仏法は、いわゆる観念観法では断じてない。行動しないことは、反仏法なのだ。真実の信仰ではない。
 御義口伝には、「妙法蓮華経」の五字を人間の体に即して説かれている。「経」とは「足」にあたる。いわば広布のために行動してこそ、真の妙法の実践となるのだ。学会活動は、動けば動くほど、身も軽くなる。心も晴れやかになる。功徳もある。仏になれる。
 ともあれ、永遠の大勝利者となりゆくのだ。足を使い、五体を使って、生き生きと行動するなかに、わが身を妙法蓮華経の当体と輝かせていけるのだ。これが御聖訓である。
4  私は今でも、大好きなユゴーを読むと、偉大なる恩師である戸田先生のことが思い返されてならない。革命の文豪ユゴーのペンは鋭かった。あらゆる銃剣よりも強かった。いつどこにあっても、彼は民衆を愛した。民衆を鼓舞した。民衆の力のみを信じた。その青年の魂を高らかに歌い上げていく反面、この世の偽善や不正を容赦なく暴き立てた。
 戸田先生の心も、常に邪悪に対しては、厳格なる怒りを持っていた。しかし、庶民には限りなく温かく、命を削って励まされた。皆、その真心がいかに尊いかを感ずるのであった。
 青年に対する鍛錬は、限りなく優しく、そして厳しかった。青年を我が子以上に愛しながら、未来の大指導者に育てゆかんとする、至高至純の信念が胸に満ちあふれていた。
 広布の闘争は「衆生を愛さなくてはならぬ戦いである」と常に教えられた。ゆえに民衆を欺く者には、烈火の如く厳しかった。私たち青年に「ユゴーを読め!」と言われた真意も、ユゴー文学の魂こそ、革命児の魂であるからだ。
 ことに先生は、広宣流布を阻む「一凶」とは、いったい何か、その実体とは何かを、ユゴーを通して、激しく教えてこられた。その答えは、一言にして言えば、「民衆を蔑視し抜くという権力の魔性」であった。
 何ものにも民衆を睥睨させるな! 侮辱させるな! もし、それを許してしまえば、真の平和はない。真の幸福はない。そしてまた、真の広宣流布はできない。
 「民衆万歳」――『レ・ミゼラブル』の作中、革命に蜂起した市民が壁に彫り付けたのは、この文字であった。彼らは、民衆のために一番、大切な命を惜しまなかった。特に、この場面の文章は、私の脳裏から、今でも離れることはない。
 砦を敵に囲まれてしまい、厳しき死を覚悟していった絶体絶命の場面で、若きリーダーである一青年は、崇高なる無名の声を聞いた。
 「諸君、死屍となっても抵抗しようではないか」(『レ・ミゼラブル』4、豊島与志雄訳、岩波文庫)
 ″断じて戦い抜こうではないか! たとえ人民が我々を見捨てたとしても、我々は人民を見捨てないことを示してやろうではないか!″と。
 私は、この一節を、今でも感動しながら覚えている。広宣流布とは、全民衆の幸福を実現する尊き大闘争である。人間は皆、平等だ。いったい誰に、庶民を恫喝する権利があるというのか! 庶民を見下すような、宗教屋も、政治屋も、マスコミも、絶対にのさばらせてはならない。
 戸田先生は、学会を侮辱し、同志を軽んずる輩には、それはそれは厳しかった。まるで天井が落ちてくるかと思うような雷であった。臆病な弟子は震え上がった。
 真実、学会を愛するのならば、卑劣な敵を怒り、猛然猛灘と戦いを起こすことだ。それができないのは、狡賢き保身であり、臆病な奴なのだ。
5  徹底的に「偽善」を嫌ったユゴーだが、その最たる例は聖職者であった。自らの死後についての遺言も、痛烈だ。
 「私の葬式には、どんな司祭にも立ち会ってもらいたくない」(辻昶『ヴィクトル・ユゴーの生涯』潮出版社)
 尊き貧しい庶民の味方であった彼は、大切な、大好きな民衆と共に、この世を去りたかったのである。
 「私の遺体は、貧者の柩車で、墓地に運んでもらいたい」「私は教会での祈りをいっさい拒絶する」(同前)
 『レ・ミゼラブル』の主人公ジャン・バルジャンは、臨終を前に、″墓石に名を刻むなかれ″と遺言し、無名の貧しい一人の人間として死んでいった。ユゴー自身の臨終の覚悟と重なり合う場面である。
 ユゴー文学に造詣の深いフランス文学者から、私は伝言を頂戴したことがある。――いかなる教団も、社会的要素を無視した場合、その宗教は独善になる。ユゴーが権威主義の聖職者を責めた理曲も、ここにあると。
 鋭い、また正しき洞察であった。社会に背を向け、自ら布教もせず、信徒を食い物にしてきた教団が、世間の笑い物になり、凋落の一途をたどってきたことは、皆様もご承知の通りだ。
 罪人だったジャン・バルジャンを改心させたミリエル師は、粗末な僧衣をまとい、生活費も切りつめて人びとに奉仕する、高徳の人であった。これこそ、ユゴーの理想とした聖職者であった。その正反対に、贅を凝らした衣で飾り立て、信徒の供養で豪遊する坊主など、ユゴーの精神に照らせば、最も唾棄すべき、最も軽蔑すべき存在だったのだ。
 民衆を軽んじ、民衆を利用し、そして民衆を欺く偽善と戦い抜け! 民衆を見下す、傲慢な奴らを責め抜け! そして断じて倒せ! 断じて倒すのだ!
 これが、広宣流布の急所である。戸田先生が教えてくださった学会の魂の結論である。
 そこに、迫害が襲いかかるのは必定であろう。古今東西を問わず、偉人を妬みゆく黒い心、卑劣にして憎しみの悪口は枚挙にいとまがない。正義の人が中傷され、憎まれ、叩かれ、死刑にまでされゆく、恐ろしき嫉妬の人間と残酷な権力の歴史は、消えることがなかった。
 祖国を追われた亡命先のブリユッセルで、ユゴーは叫んだ。
 「(=わたしは)逆境を好ましく思う。自由のため、祖国のため、正義のために、自分がなめる辛酸という辛酸を好ましく思う。わたしの良心は喜々としている」(前掲書『私の見聞録』)
 ユゴーは勝った。ユゴーは人間として最高の勝利者となった。
 ″自由と正義を守る戦いのなかでこそ、人間の魂は誇り高く輝くのである!″ と叫んだユゴーよ!
 人生は、どこまでも闘争である。
 恩師は、静かに厳しく言われた。
 「大作、君はユゴーたれ!」

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