Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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ソクラテスが戦ったもの  

2004.10.3 随筆 人間世紀の光2(池田大作全集第136巻)

前後
3  「悪口、中傷をひっきりなしにこの舌先にのせ、それを世界各国のことばでしゃべりまくり、人々の耳に偽情報を詰めこむのがおれの商売だ」(『ヘンリー四世』小田島雄志訳『シェイクスピア全集』5所収、白水社)
 これは、イギリスの劇作家シェークスピアが、「噂」の権化に語らせた有名な言葉である。
 古代のアテネでも、ソクラテスの「偽情報」が、大衆の耳にひっきりなしに注ぎ込まれていたといってよい。たとえば、ソクラテスが讒訴される何年も前から、彼を揶揄し、中傷した喜劇も上演されていた。その劇中、ソクラテスは、いかがわしい研究をし、邪を正と言いくるめる詭弁を教えているなど、実像とは似ても似つかぬ姿に仕立て上げられていった。
 今でいえば、テレビや週刊誌で、面白おかしく嘲笑したようなものになろうか。悪意の噂、デマの類は、じわじわと人の脳髄を侵していく「毒薬」と同じだ。そうして、「偏見」「誤った固定観念」「悪のイメージ」等々を、大衆の心に植え付けてしまうものである。
 ソクラテスが、直接の告発者よりも「もっと手ごわい連中」と言った告訴人こそ、この姿の見えない「偏見」という敵であった。
 偏見は、時間がたてば自然に消えていくものではない。木っ端微塵に粉砕する、言論戦が絶対に必要となるのだ。偏見に気づいた人が、間髪入れず、その場で打ち破っていくしかない。誤りを正し、偏見の根を抜き取るまで、真実を叫び抜くことである。
 学会に対しても、私に対しても、十年一日、似たり寄ったりのデマや中傷が、繰り返し浴びせられてきた。たとえば、「学会は葬儀の香典を持っていく」という、有名なデマがある。最近も聞いたという人がいたが、それでは「いつ」「どこで」「誰が」やったのか、一つ一つ質していくと、具体的な根拠など、ただの一度も出てきたことはない。何十年も前からの、古典的、いや、化石的デマだ。しかし、何かあると、生き返った蛇のように、誹謗の鎌首をもたげてくる。このしぶとさこそ、偏見の根深さである。
 だから、民衆の魂の奥底に響きゆく、深くして強き「精神の革命」が必要となるのだ。それは、どこまでも、「一対一の対話」で、正義と真実を知らしめていく戦いである。仏法の方程式の縮図である。
4  ソクラテスは、常に「対話」を貫く信念を叫んだ。
 「わたしは、たとえ何度殺されねばならないようなことになっても、これ以外のことはしないだろう」(前掲『ソクラテスの弁明』)
 そして彼は、自身を陥れようとした連中に向かって、こう予告していた。
 「諸君よ、諸君はわたしの死を決定したが、そのわたしの死後、まもなく諸君に懲罰が下されるだろう」(同前)
 わが弟子による正義の復讐が必ずなされるというのだ。
 その通り、一人の若き弟子が激怒し、仇討ちに立ち上がった。プラトンである。彼は、師匠が命を賭して守り抜いた哲学の道を究め、生涯かけて師匠の正義を宣揚せんと誓った。いな、その誓願通りに、師を陥れたデマを跡形もなく粉砕していったのだ!
 その後の歴史は、ソクラテスを、偉大な「人類の教師」と仰ぎ見るに至っている。
 真実は勝った。正義は勝った。師弟は勝ったのだ。
 私も、御書に示された「讒言による難」に、断固として勝ってきた。
 作られた「月刊ペン事件」など、陥れんがための一切のデマの陰謀に、完全勝利した。
 「断じて恐れてはならない。いよいよ強く進んでいくならば、必ず正邪がはっきりする」(御書一四五五ページ、通解)
 この御聖訓の通りに戦い、そして晴れ晴れと勝ったことを、大聖人も喜んでくださっていることと確信する。
 「立派な善き人が、男でも女でも、幸福であるし、反対に、不正で邪悪な者は不幸である」(プラトン『ゴルギアス』加来彰俊訳、岩波文庫)――このソクラテスの信念は即、弟子プラトンの叫びであったにちがいない。
 ソクラテスに、プラトンがいたように、牧口先生には、戸田先生がいた。戸田先生には、私がいた。そして今、私には、新しき弟子の歴史を創りゆく、幾百万の正義の青年がいる!
 私は、無上の幸福者だ。
 わが弟子よ!
 若き後継の青年諸君よ!
 創価の正義の旗は、堂々と諸君に託したい。
 君たちよ!
 二十一世紀の大舞台で、正義を師子吼し抜いて、勝ちまくってくれ給え!

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