Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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創立80周年へ創価の上げ潮  

2004.9.3 随筆 人間世紀の光2(池田大作全集第136巻)

前後
3  私の功労者宅への訪問は続いた。その家の後継者や、小さいお孫さんとも親しく語り合った。一家一族を永遠に幸福の軌道に乗せることが、私の願いであり、祈りであったからだ。母親の信心が立派な家庭は、どこも後継者がしっかりと育ち、栄えていた。
 全国を転戦しながら、移動の途中に、会員の家や店があれば、寄らせていただいた。山口県では、離島にも足を運んだ。兵庫県の中堅幹部のお宅では、関西の幹部に「3・16」の意義を後世に留める話をした。大分空巻に降り、坊主たちの苛めと戦い、苦しんできた方がいると知って、直ちにその場に向かったこともある。
 二百軒目は、文京支部で共に戦った田中正一さんのお宅であった。三百軒目は、神奈川の功労者で、ご一家のお母さんが病に伏したことを知り、お見舞いに伺った。
 五百軒目は、坊主の迫害に耐え抜いた愛媛の勇者の家であった。昭和六十年の寒い二月のことである。
 その後も、全国各地、また世界を回るなかで、寸暇を惜しんで、広宣流布の尊き同志のお宅を訪問させていただいている。一軒また一軒と数が増えるにつれ、自分の家族も増えるような思いであった。
 苦労して個人指導、家庭指導に歩けば、その分だけ、人間としての厚みがまし、豊かな境涯になれるものだ。やはり、一軒また一軒と家庭まで足を運び、語り合わなければ、その人の苦しみも、その人の本当の悩みもわからない。すなわち、その人の人生と使命と未来への希望を与えることができない。
 「信心即生活」である。その人の生活がわからなければ、信心もわからない。人前では明るく振る舞っても、人知れぬ悩みを抱えた会員も多くいた。いや、悩みのない人などいない。きめ細かい生活指導こそ、不屈の信心の確立につながることを痛感する一日一日であった。
 会長辞任の直後、地道な家庭訪問から闘争を開始し、今や学会の民衆のスクラムは、世界をも結ぶまでになった。一人を味方にできない人は、世界を味方にできない。一つの家庭の幸福に尽くせない人は、人類の幸福に貢献できない。
 「良き交友ほど優れた味方はない」(『ティルックラル――古代タミル箴言集』高橋孝信訳注、平凡社)と、古代インドの大詩人ティルバッルバルは言った。
 本当に、その通りだ。桂冠詩人である私には、胸を赫々と光らせてくれる名言であった。
 我らは、断じて一生涯、いな永久に、善と正義の連帯を広げ抜いていくのだ。戦うのだ。生き抜くのだ。一対一の対話――これこそ最も確かで崩れぬ、平和と幸福の人間の連帯を築く方途であるからだ。ここに、学会が永遠に栄え伸びゆく生命線があることを決して忘れてはならない。
 「第三代を護りに護れ! そうすれば、学会は盤石であり、広宣流布への道は永遠に大きく開ける」
 これが、戸田第二代会長の最終的な遺言の重要な一つであった。
 フランスの大文豪ユゴーは言った。
 「理想に向かって進めばよい。正義と真理に向かって進めばよい」「宜しく前方へ突進すべきである」(『追放』中、神津道一訳、『ユーゴー全集』9所収、ユーゴー全集刊行会)と。
 そして、ユゴーは叫んだ。
 「反逆者を倒せ!」(同前)

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