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日蓮大聖人・池田大作

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「山光」に生きる誇り(鳥取・島根)  

2004.7.2 随筆 人間世紀の光2(池田大作全集第136巻)

前後
5  一九八四年(昭和五十九年)の五月、私は再び鳥取に飛んだ。
 あの宗門事件の焦点の地・倉吉市で、「鳥取青年平和文化祭」が開催されるのである。倉吉駅前の大通りに歓迎の横断幕が張られ、希望の祭典を祝ってくださっていた。
 文化祭に先立って、倉吉会館を訪れた。問題の寺が側にわびしく立っていた。私は、車で寺の前を横切り、凱旋門をくぐるように、我ら正義の会館の門を入った。
 「倉吉は勝ちました!」
 私が皆に宣言すると、歓声があがり、歴戦の闘士たちの顔がぱっと輝いた。
 声は炎である。声は剣である。声は弾丸である。偉大な庶民の英雄たちは、その正義の声をあげ、厳然と戦ってくださった。
 「反逆は常に反逆者を裏切る」(『追放』中、神津道一訳、『ユゴー全集』9所収、ユゴー全集刊行会)とは、ユゴーの確信であった。反逆者が使った刃は、必ず彼自身に返る。さんざん悪口の限りを尽くした悪侶も、反逆の輩も、今は見る影もない。
 「始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」と仰せの通り、生命の因果はあまりにも厳しい。我らは断じて勝ったのだ!
 約四千人の若人が出演し、延べ一万七千人が入場参加した文化祭も、それはそれは美事な、大成功の舞台であった。勇気の光、勝利の光、生命の光が、全参加者の胸を晴れ晴れと照らしていた。文化祭の翌日、鳥取から島根に向かった私の心の空には、「山光」という言葉が太陽の如く輝き始めていた。
 十一年ぶりの島根訪問であった。安来、そして松江へと走る私は、あまりにも清く、健気な、島根の友の祈りを感じてならなかった。松江城にも宍道湖にもほど近い、我らの島根文化会館に到着した私は、直ちに、万感込めて提唱したのだ。
 ――ここ山陰を、光り輝く地の意義から、「山光」と申し上げたい――と。
 松江での夢のような三日間。松江・安来方面をはじめ、多くの友にお会いできた。出雲、平田、木次など出雲方面の友よ! 大田、江津、浜田、益田、さらに森鴎外の故郷の津和野など石見方面の友よ! また隠岐の友よ!
 私は、絶対に忘れない。松江でのスピーチで、私は二十一世紀への「世界広宣流布」の展望を確認した。
 ここ「山光」から、広布の法戦の火蓋を切るのだ! 栄光燦たる二十一世紀へ、私と共に、共々に! 仏法の眼で見れば、いずこであれ、一人立つ英雄がいるところ、そこが「広宣流布の電源地」となるのだ。わが偉大なる山光よ!
 島根・八雲村(現・松江市)の山光平和記念墓地公園――松江市街にも近く、心の行き届いた美しき平和の園と讃えられている。桝水高原の鳥取研修道場――秀峰・大山を間近に仰ぐ、気宇壮大な環境だ。いつか、この生命の園林を皆様と愉快に歩きたい。
 さあ、今こそ戦おう!
 強くあれ、山光の友よ!
 強く立て、山光青年部よ!
 さらにまた、師子の中国の英雄たちよ! 君らしく、君の声で、どこまでも正義を、毅然と叫び抜いていってくれたまえ!

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