Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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創価の使命の花咲く天地  

2004.6.3 随筆 人間世紀の光1(池田大作全集第135巻)

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6  御本仏が、わが門下の「明鏡」として、習い伝え、「未来の糧」としていきなさいと言明された言葉がある。
 「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る乃至随う可らず畏る可らず」の一節である。
 江戸時代に″金沢法難″が起こった北陸では、昭和五十年代、あの第一次宗門事件の狂風が吹き荒れた。
 傲慢きわまる坊主たちが、陰険なる迫害をもって執拗に信徒をいじめた。その驚くべき狂態ぶりは、呆れ果てたものであった。幹部でありながら、それらの″狂団″に紛動され、尊い同志を裏切っていった、哀れな人間もいた。
 しかし、今は、皆、敗北の無惨な姿をさらけ出しているのは、皆様、ご存じの通りである。
 一九八二年(昭和五十七年)の九月八日、私が名誉会長になって三年半を経て、遂に石川の小松空港に降り立った。烈風に耐え抜き、断固と打ち勝った、石川・富山の尊き英雄たちを励まさんと、六日間に及ぶ北陸指導に臨んだのである。
 「とうとう来たよ!」
 石川文化会館で筆を手にした私は、わが魂を北陸に置き留め、同志を守り抜かんとの決意で、こう認めた。
 「誓」――。
 荒れ狂う迫害の吹雪のなかにあっても、創価の旗を掲げ抜いた、愛する北陸の母よ、父よ! 若き息子たち、娘たちよ!
 わが偉大なる「誓願の同志」たちよ!
 「誓」とは、歴史をつくる「力」である。
 「誓」とは、暗闇を照らす「光」である。
 「誓」とは、邪悪を破する「剣」である。
 私もよく知る、富山の多宝の母がいる。わが聖教新聞を配ってくださる、″無冠″の誇りに燃えた母であった。
 二十五年前(一九七九年)、彼女の地域では、坊主らに騙され、多くの同志が去った。
 聖教新聞も激減した。配達に走りながら、彼女は悔し涙で誓った。
 「負けない! 絶対に私は負けない! 私が拡大して、購読者を取り戻そう!」
 以前から聖教の拡大に挑んでいた彼女の勇気は、猛然と燃え上がった。その執念の挑戦は、昨年(二〇〇三年)で遂に通算二千部を突破した。
 聖教購読が仏縁となって入会する友も多く誕生し、地元の組織は、かつての世帯数をはるかに超え、二地区に発展している。無冠の母は勝った!
 美しき、また強き北陸の母は、勝ったのだ!
7  北陸の富山といえば、大地を赤や黄に彩る、あの「チューリップ畑」が目に浮かぶ。
 その歴史は、八十六年前(一九一八年)、一人の青年の誓いから始まったことは有名だ。
 「チューリップの父」と呼ばれる、故・水野豊造氏である。
 ″農家の人びとの生活を、もっと楽にしたい″――菩薩の心ともいうべき、この水野青年の決意が、幾多の苦難を乗り越え、やがて郷土を豊かにし、世界の人びとに平和の心を届ける、壮大なる花園を咲かせていったのだ!
 まことの「誓い」の種は、必ず花と咲いてゆく。大事なのは、絶対にあきらめることなき執念と、前進ヘの戦闘を続けゆく負けじ魂だ。
 北陸に広宣流布の一粒種が誕生したのは、五十年前の昭和二十九年のことであった。以来、妙法の種は、十年を節に大きく開花してきた。
 十周年――金沢会館、富山会館が誕生。
 二十周年――記念の北陸の大総会。
 三十周年――五万人による第一回北陸平和文化祭。
 四十周年――第一回の北陸栄光総会。
 そして本年、遂に広布五十周年を迎えた!
 北陸広布の百周年に向かって、大勝利で折り返す、新たな大発展への大いに記念すべき新世紀の年なのだ!
 昨年の七夕(七月七日)のことである。その日、開港した能登空港の一番機に飛び乗って、北陸の友が学会本部に駆けつけてくださった。
 能登から羽田まで一時間。「さらに″本部直結″の信心で戦います!」との、共戦の「心」が嬉しかった。本当に嬉しかった。涙が出た。
 今年(二〇〇四年)もまた、北陸の完勝の一番星が、七月の空に輝き光ることを、私は深く祈る。
 石川の友よ! 富山の友よ! 誇り高き北陸の同志よ!
 妙法は、永遠に勝利だ。
 師弟は、永遠に一体だ。
 次の五十年へ、断固として、共に勝ち進もうではないか!
 共に、そして共々に!
 朗らかに愉快に!
 強く、また強く!
 断固として、勝利の金字塔を創りながら、不滅の歴史を誇り高く勝ち残していこうではないか!

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