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日蓮大聖人・池田大作

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わが故郷・大田を思う  

2004.4.19 随筆 人間世紀の光1(池田大作全集第135巻)

前後
8   広宣の
    源流 大田と
      誇りもて
    偉大な使命を
      断じて忘るな
 わが大田総区は、いよいよ大発展を遂げている。堂々たる六分区と一圏の黄金の陣列が整い、今年(二〇〇四年)になって、新たに三つの本部も誕生した。
 大田は、いずこにも、深い思い出が刻まれている。
 「大田池田区」は、一九五二年(昭和二十七年)の「二月闘争」の出陣の天地である。区内の鵜の木の会場での緊急組長会から、あの「壁を破る」戦いは始まったのだ。
 近年、大田の山の手の地域でも、広布の伸展が著しい。
 「蒲田常勝区」は、私たち一家が十二年お世話になった、かつての小林町の自宅があった。また妻の実家である白木の家は、今も拠点で使っていただいている。
 この両区は、いずれも大田の本陣の文化会館の地元として、誇りは高い。
 「蒲田広宣区」には、新潟鉄工所があった。
 さらに現在の蒲田文化会館は、もともと学会最初の支部会館であり、幾重にも歴史を綴ってきた。
 「蒲田太陽区」は、私が師・戸田先生に巡り会った天地である。
 羽田空港は、私にとって、世界広布への起点となった。
 「大森正義区」で、私は終戦直後を過ごした。
 友と、入生と信仰を語り合った、詩情豊かな森ケ崎海岸も広がっていた。
 「大森青春区」は、若き日の思い出光る青葉荘や秀山荘があった。忘れ得ぬ同志のお元気な近況を、嬉しく伺っている。
 そして、太平洋に宝石の如く輝く「伊豆諸島栄光圏」がある。
 八丈島をはじめ離島の友は、地域貢献の模範である。
 噴火で都内各所などに避難されている三宅島の友も、互いに励まし合い、懸命に頑張っておられる。一日も早い復興を、私も妻も、心から祈り続けている。
9  ドイツの作家シラーは、その戯曲で語った。
 「偉大な先例が一つ現れますと、後輩は奮起を促されます」(『ヴァレンシュタイン』濱川詳枝訳、岩波文庫)
 一人立つ人間の力は、どれだけ巨大であるか!
 師弟の道に徹した大闘争が、どれほど不滅の金字塔を作れるか!
 これが、私たちが大田から証明し始めた戦いであった。
 わが師の悲願であった七十五万世帯達成は、東の蒲田支部、西の大阪支部が、東西の牽引力となったことは、歴史的事実である。
 その両者の指揮を執ったのは、私であった。
 なんと名誉であることか。今でも、最大の喜びと誇りを忘れることはできない。
 イギリスの革命詩人シェリーは叫んだ。
 「眠りから目覚めた獅子のように立ち上がれ、
 打ち負かされない民衆の力を集めて」(「リァリスティックな書き方」好村富士彦訳、『ベレヒトの文学・芸術論』所収、河出書房新社)
  大東京
    その原動力は
      大田かな
    新たなスクラム
      新たな世紀へ

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