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日蓮大聖人・池田大作

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東洋哲学研究所の使命  

2004.2.4 随筆 人間世紀の光1(池田大作全集第135巻)

前後
3  私が東洋哲学研究所を創立したのは《思想戦の王者》になってほしいからである。
 あれは会長就任の翌年、一九六一年(昭和三十六年)の一月であった。私はアジア歴訪の旅に出た。香港、セイロン(スリランカ)、インド、ビルマ(ミャンマー)、タイ、カンボジア。
 旅の間中、私は考え続けていた。
 日蓮大聖人の御遺命である「仏法西還」をどうすれば現実にできるのか。恩師・戸田先生の「東洋広布を頼むぞ」の一言にどう応えゆくのか。
 ――独善的な主観主義であってはならない。
 思想は、誤れば大変な悲劇をもたらす。
 あの凄惨な「インパール作戦」も、そうした破局の実例であった。ビルマでの日本軍の無謀きわまる作戦のことである。
 その中で、私の長兄も戦死した。いな、戦死させられた。超国家主義という誤れる思想の犠牲になったのである。
 「二度と戦争を起こさせない世界にするには! 法華経の真髄たる生命尊厳の思想を広めきっていくことが根本となる。
 しかし大聖人の教義をそのまま説いても、すぐには理解できないだろう。アジアだけでも、南伝仏教の国もあればイスラム教の国もある。文化も社会構造も多様である。その内実を正確に認識しなければ対話にならない……」
 釈尊が悟りを開いたとされるブッダガヤの大地に、私は立った。そして決意した。
 「東洋および世界の思想・哲学・文化を多角的に研究する機関が絶対に必要だ。学理・理性は『普遍性の広場』だ。その場で広々と開かれた対話を重ねていこう。誰人も納得のできる『文明間の対話』『宗教間の対話』をやっていこう。法華経は一切を生かすからこそ王者なのだ!」
 ブッダガヤの空は、突き抜けるように青かった。大いなる未来へと輝きわたるかのような空だった。私の脳裏には、御義口伝の明文が浮かんでいた。
 「此の経の広宣流布することは普賢菩薩の守護なるべきなり
 普賢菩薩とは″法華経の行者を死守いたします!″と誓願した菩薩である。
 こうして翌六二年、東洋学術研究所――後の「東哲」は誕生した。
 私はその翌年には音楽の広場「民音」を創立した。妙音菩薩である。そして教育界へも、政界へも、平和のための布石を続けた。頭の中を「思索の嵐」が吹き荒れていた。
4  「東哲」は今、各国の学術機関とも交流を重ね、イギリス・インド・香港・ロシアに海外センターもある。法華経原典の写本刊行等の事業にも世界的評価をいただいている。
 すべて多くの方々のご支援のたまものであり、創立者として感謝にたえない。
 機関誌『東洋学術研究』も通算百五十一号を数えるまでになった。
 同誌にかつて田中美知太郎氏と貝塚茂樹氏の対談「東洋と西洋」が載った。(一九七七年)
 対談の結論にこうあった。
 「貝塚 日本の指導階級、トップレベルの一番悪いことは、本を読まないということだ」
 「田中 明治時代までは読んでいた。徳川時代から、それはうけついでいた」
 特に人間観・世界観を鍛える「古典」を読まないゆえに、政財界の指導者層に哲学性が薄くなったという両碩学の指摘であった。
 指導者に哲学がなくなれば、時とともに必ず政治・経済も行き詰まってくる。対症療法だけでなく、人間をどう見るか、その根源からの思考が不可欠なのである。
 「人間を『神の子』と見るか、『生産の道具』と見るか、『運動する物体』と見るか、あるいは『霊長類の一種』と見るかによって、社会や政治のあり方は著しく変わってくる」(ジョン・C・エックルス、ダニエル・N・ロビンソン『心は脳を超える』大村裕・山河宏・雨宮一郎訳、紀伊國屋書店)
 ゆえに〈経済の成長〉だけでなく〈魂の成長〉を!
 〈情報の爆発的増加〉に見合う〈智慧の爆発的増加〉を!
5  あのブッダガヤの地に、私は『東洋広布』の文字を刻んだ石碑を埋納した。
 埋めた日は二月四日だが、碑に刻んだ日付は「立宗七百九年一月二十八日」であった。
 この日が東洋広布へ旅立った日であり、日蓮大聖人の立宗の日が四月の二十八日だったからである。あの日から四十二年目、昨年(二〇〇三年)の「一月二十八日」に私は研究所を訪問した。久方ぶりの訪問であった。知性と人格光る若き人材が伸びていた。
 今から三年後の創立四十五周年、そして二〇一二年の五十周年へ、思想戦のあらゆる最前線での活躍を私は願っている。
 思想は種子である。冬の間は見えないが、春になれば、山野にいっせいに緑を芽吹かせるのは種子の力である。
 経済思想家のケインズは、代表作『一般理論』の最後を、こう結んだ。
 「思想は急には実を結ばない。しかし一定の時間がたてば、確実に現れる」
 「遅かれ早かれ、世界を支配するものは思想である」(The General Theory of Employment Interest and Money, Macmillan)
 二十一世紀、いかなる思想、いかなる運動が、世界の民衆の心をとらえ、引っ張っていけるのか。熾烈なデッドヒートが、今、始まっている!
 思想は、様々な内容の哲学と意義をはらんでいる。しかし、その骨格には「人間主義の哲学」「平和主義の思想」、そして「幸福への大道」という明確にして納得のできる核の光がなくてはならない。

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