Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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周恩来 中国総理
二十世紀の諸葛孔明
随筆 世界交友録Ⅱ(後半)(池田大作全集第123巻)
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桜が結ぶ永遠の友誼
総理の逝去の二年後、北京で鄧穎超女史にお会いした。それは、総理の“分身”との語らいであった。
女史は、にっこりとして言われた。「私は来年、『桜が満開のころに』日本へ行きたいと思います」。総理の“願望”を果たしに行きますよという意味であった。
約束どおり、女史は来日された。国賓扱いである。総理が京都の桜に別れを告げてから、ちょうど六十年目の春であった。(一九七九年四月)
あいにく、その年の桜の開花は早く、東京の桜は、春嵐にほとんど散ってしまっていた。そこで、せめてもの思いをこめて、私は八重桜と、創価大学の「周桜」「周夫婦桜」、そして留学生の元気な姿を収めたアルバムを、迎賓館で女史にお見せした。
「これは私たちの友情を象徴するものです」と、喜色を満面に浮かべて喜んでくださった。
「周夫婦桜」は、一対の桜である。じつは、ご夫妻の住まいの庭に、かつて二本の桜があったが、一本が枯れてしまった。「二本の桜のもとで、一緒に写真を撮り残さなかったことが心残りです」と、女史からうかがっていたのである。私は、心に心で応えたかった。
以来、女史とはいくどとなく、お会いした。最後は、北京のご自宅にうかがった折である。(九〇年五月)
部屋には、私がお贈りしたご夫妻の絵が飾られていた。
「私は、この部屋で、外国の友人を迎えるたびに、この絵を見せて、周総理の思い出や、総理と池田先生との友情のことを紹介しています。私の一生のなかでも、こんなすばらしい贈り物はありません。総理も、さぞかし喜んでいることでしょう」
このときも「周桜」「周夫婦桜」のアルバムをお見せすると「ずいぶん、大きくなりましたね……」と感慨深げであった。
別れ際、思いがけなく、総理愛用の「象牙のペーパーナイフ」と、女史愛用の「玉製の筆立て」を贈ってくださった。
このような貴重な品をいただくわけにはいきませんと申し上げると、女史は言われた。
「私は、生前の総理の池田先生への心情をよく知っておりますので、お贈りすることにしました。これをご覧になって、総理を偲んでください。先生と総理の友情の形見として……」
女史は、これが最後になることを知っておられたのであろう。
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総理ご夫妻の勝利
中国の古言にいわく「人と交わるには 心で交われ 樹に注ぐには 根に注げ」
心を大事にし、人の心をとらえる――総理は真の政治を知っている方であった。
あの声、あの眼差し、あの気迫。風雪に、なおも進まんとする“東洋の丈夫”の姿を、私は今も、ありありと思い出す。
逝去のあのとき、周総理は、敵の包囲網の中で亡くなった。しかし、最後に勝ったのは総理であった。
改革・開放へ、心血を注いで国内の状況を整え、米中・日中をはじめとする国際環境をも切り開いて――逝かれた。
そして今、中国は、百年にわたる屈辱と苦難の歴史をはね返して、栄光の二十一世紀へと巨歩を運び始めた。総理が命と引き換えに敷いたレールの上を。
総理は勝った。艱難辛苦の赤誠が勝った。
西の大空を仰げば、総理ご夫妻の晴れやかな笑顔が浮かぶ。
創価大学の「周桜」の碑は、中国のほうに向けて建ててある。
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