Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

佐藤栄作総理 日本の将来を語りあったノーベル平和賞受賞者

随筆 世界交友録Ⅱ(後半)(池田大作全集第123巻)

前後
8  「私生活は質素に」
 その三カ月後であった。佐藤元総理が倒れた。六月三日、逝去。
 うかがったところによると、佐藤家の蓄えは、周囲が驚くほど少なかったという。「これが八年も総理をやった人の財産か」と。それでも佐藤家では、故人の信条を尊重し、香典も一切受けなかった。
 佐藤さんは、疑獄事件の後、ことさらに厳しく身を律しておられた。総理になったときも、一切祝儀は受けず、かえって「祝いを返すとは何ごとか」と怒りを招いたことがあったのは有名な話である。
 政治家は私生活を質素にすべきだという厳しい考えをもたれていたようだ。
 田舎から出てきたお手伝いさんが、総理邸のあんまり質素な生活に失望し、華やかな暮らしへの夢が壊れて、一週間で帰ってしまったこともあるという。
 日本には珍しい大型の指導者であった。「平凡にして非凡なる人」「日本の憲政史上の巨星」という人も多い。
 強運の人と呼ばれたが、それだけの「徳」のある方であった。よく不遇の人に陰で手を差し伸べておられたようである。
 死後、そういう人々から、思いがけなく「お世話になったんです」と聞かされて、奥さまも驚き、感激することが、しばしばだったという。
 信義の人であった。自分が少しでも世話になった人には、とことん恩返しをした。その分、人を裏切るような人間は許さなかったとうかがっている。
 昭和五十六年暮れ、私の妻は女性週刊誌の企画で寛子夫人と対談した。気取らない、明るく、さっぱりした気性の方だった。その夫人も昭和六十二年に亡くなられた。
 八王子に東京牧口記念会館ができたとき、私は佐藤ご夫妻の「夫婦桜」を、記念庭園に、妻と二人で、そっと植樹させていただいた。
9   今日は明日の前日
 佐藤さんのモットーは「今日は明日の前日」であった。これを著書の題名にもしておられる。
 今日という日を「昨日の翌日」ととらえるよりも、むしろ「明日の前日」ととらえて、未来を積極的につくっていこう、という意味だったと思う。
 事実、総理は、一国の指導者として、「国民の未来」への責任を、ずっしりと一身に受けとめておられた。
 最高責任者の孤独に、じっと耐えておられた。
 ときに、あまりにも理不尽な攻撃もあったが、歴史の審判を信じ、毀誉褒貶を達観しておられた。
 目先のことではなく、自分の死後のことを考えて仕事をしておられた。
 お会いするたびに「日本の将来が」「日本の将来が」と繰り返しておられた佐藤先生の太い声が、今でも懐かしく思い出される。

1
8