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日蓮大聖人・池田大作

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フランス革命二百周年委員会 バロワン委… 世界に友愛を伝えたい

随筆 世界交友録Ⅱ(後半)(池田大作全集第123巻)

前後
4  バロワン氏はアルジェリアなどで警察署長を務めた後、行政の道に進み、実業界でも活躍した。
 多彩でエネルギッシュな活動を貫く信条は、「個人を変えなければ社会は変わらない」であった。
 政界では、何かする前に「市民の声を聞き」「現場の住民に相談せよ」と説いた。そうできるために、行政担当者は自分自身を人間革命せよ、と。
 企業家としては「人間のための経済」を唱え、「消費者に奉仕し、その声を聞き」「ともに働く会社の仲間の声を聞け」と主張した。そうできるために、経済人は人間革命しなければならない、と。
 氏は歯がゆかったに違いない。世界は、これほどまでに科学が発達し、教育は普及し、万人の人生をすばらしくする条件は整っている。それなのに、何をいつまでも、いがみあい、世界の富を浪費しているのか!
 その心は、フランスの国民詩人と響きあう。ユゴーは書いた。「佛蘭西革命は完成して、人類の革命を始めることを理法として居るこの世紀」(一八七六年のジョルジュ・サンの葬儀での弔辞、神津道一訳、『ユゴー全集』10所収)と。
 氏は、私の小説『人間革命』も読み、会見の数年前から連絡をくださっていた。
 東京富士美術館での「フランス革命とロマン主義展」(八七年)が、二百周年記念行事の「世界第一号」に公認されたのも、私どもの文化運動への氏の共感の表れであった。
 東京でお会いできたとき、私が語る仏法の「人間革命」論を、大地が水を吸いこむかのように探求された真剣さが忘れられない。
 「池田会長、現代世界は、ますます悪化の方向へ進んでいるように思います。人間の生きる時間には限りがあります。だからこそ私は、人類の一員としての責任を果たす意味からも、二百周年の行事を『第三の千年』――三十世紀への幕開けとしていきたいのです」
 限りある命だから――その言葉の十九日後であった。氏の乗った飛行機が墜落した(二月六日)。西アフリカのカメルーンだった。
5  死よりも悪いことがある
 六月、私はパリを訪れた。夫人と子息を弔問し、ともに墓参した。
 ボージラール墓地の白い墓石が、雨に洗われて光っていた。
 「お父さまは偉大な方でした」。私は、ご家族に申し上げた。「波浪は障害にあうごとに、その頑固の度を増す」の言葉も引いて語った。生き抜いていただきたかった。
 五十六歳。短い生だったかもしれない。しかし、人生には、死ぬことよりももっと悪いことがある。「生きていない」ことだ。
 氏は生きた。いつも、生き生きと生きていた。すべてを乗り越えて、さらに前へ進もうとしていた。氏は、いわば「前のめりに」倒れたのだ。その姿自体が、氏の勝利だったと私は思う。
 八九年、氏が「三十世紀への幕開け」にしたいと願った年は、劇的な「東欧革命」と「冷戦終結」の年となった。
 それは、だれもが力を合わせて未来を拓いていける、開かれた「友愛社会」への出発だったと私は見たい。
6  令嬢の死を機に書き始めた自伝を、氏は『愛の力』と名づけた。墜落事故は、その原稿を出版社に渡した数日後であった。
 原稿は、こう結ばれていた。
 「……さて、わが娘ヴェロニックよ、きみは幸運の星を手に入れる方法をよく知っている娘だった。さあ、私といっしょに、静かに最後のワルツを踊ってくれるね……」(前掲『愛の力 人類精神の啓発を求めて』)
 命果てようとも、志は残る。
 一体の父娘が願ったのは、「友愛の力」で“地球をもっとうまく回転させること”だった。地球の回転とともに、今も、父娘のワルツは続いているに違いない。

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