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日蓮大聖人・池田大作

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民主主義は「民衆の戦い」 グレド ジブチ共和国大統領

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

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5  「ともに生きる」心で二十一世紀へ
 一九六〇年十月。私はニューヨークの国連本部にいた。委員会や本会議を傍聴した。
 この年は「アフリカの年」とも言われ、十七ヵ国が一挙に独立した。国連でも、アフリカの代表の生き生きした表情が、私の目に焼きついた。
 老いた大国の傲りや、ずるさは、そこになかった。
 「さあ、これから国づくりだ!」。長い長い間の鎖を断ち切った喜びに、目が燃えていた。
 私も第三代会長に就任し、人権の夜明けへの長征を始めたばかりであった。
 私は万感の思いを、友に語った。「二十一世紀は、アフリカの世紀になるよ。その若木の成長を世界は支援していくべきだ」
 「アフリカの世紀」とは、一番苦しんだ人が、一番幸せになる世紀である。屈辱の泥をなめさせられた人々が、胸を張って太陽を仰ぐ世紀である。
 人類史の主役は代わる。
 世界から頭上に苦悩を押しつけられた人々こそが、次は、世界の未来を担う人々になる。
 人類の残酷さを極限まで味わった人々こそが、人類を変革する歴史的使命をもつ。
 アフリカの世紀。それは生きとし生けるものが調和して生きられる「生命の世紀」でもある。奪われても、奪われても、命の陽気な鼓動を失わなかったアフリカのエネルギーに、強さに、英知に、「世界が学ぶ」時が来たのだ。
 遅れた国を「助けてあげる」のではない。その心は、「未開人を導いている」と称した植民地主義者に通じてしまう。
 同じ人類の一員として、「ともに生きる」のだ。同じ人類として、アフリカの人々は、困難な挑戦を続けている。ならば私たちも、苦しみを「ともに生きる」べきであろう。世界市民であるならば。
 グレド大統領は、阪神大震災の報を聞くや、直ちに個人として一万ドルの義援金を送ってくださった。給与の三カ月分という。
 ジプチも地震国であり、人ごととは思えません──と。
 日本の多くの指導者の冷淡さと、何という違いであろうか。
 「人ごととは思えません」
 この心の中に「二十一世紀」があると、私は信ずる。
 (一九九七年四月六日 「聖教新聞」掲載)

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