Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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トルコの国民的歌手 バルシュ・マンチョ氏

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

前後
4  トルコに、こんな伝説がある。
 はるかな昔、ユーラシア大陸のまん中に、清らかな川があた。川のそばには美しい丘があった。丘の周りには緑の草原が広がっていた。そこには仲の良い民族が楽しく暮らしていた。
 ところが、あるとき、敵の圧迫にあって、ある人々は東へ東へと渡って海を越えた。ある人々は西へ西へと動いて海の見えるさいはてにぶつかった。一方が日本人であり、他方がトルコ人である、と。
 伝説の真偽はともかく、トルコ民族が大陸を縦横に駆けた歴史は事実である。
 中国、旧ソ連にまたがる中央アジアの広大な「トルキスタン」地域。これも「トルコ族の居住地」の意味である。今でも、トルコ語がかなり通じるという。
 土地の文化と柔軟に交流しながら、トルコ民族はユーラシア大陸全体を、わが「王庭」として雄大に生きた。シルクロードの花形であった。その血が、マンチョ氏にも流れているのだろう。
 番組のため各国を回った距離だけで、四年半で四十八万キロ。地球を十二周である。
 トルコ共和国から「文化大使」の称号も受けた氏は、世界に「音楽のシルクロード」を広げている。
 かつてトルコのヌレシュ大使は、「創価学会は、現代における『文化のシルクロード』ですね」と言われたが、平和への思いがマンチョ氏とは鋭敏に響きあった。
 「バルシュという名前は『平和』という意味なんです」。ポスポラス海峡を望む部屋で、氏が言われた。
 「アジアから来た旅人は、そこにヨーロッパを、ヨーロッパから来た旅人は、そこにアジアを見る」と言われる東西南北の要イスタンプール。
 海峡は、欧亜の治乱興亡を、じっと見つめてきた。諸民族が共生できる、その日を祈り、待ちながら。
 「平和の歌人」と語りあうのに、これ以上の場所はなかった
 氏は二ヵ月前に、母上を亡くされたばかりであった。「母は、トルコの伝統音楽が専門で、多くのことを私は学びました‥‥。このCD(コンパクトディスク)は、母に教えてもらった古典音楽を現代的に編曲したものです」
 父上は早くからなく、高校を卒業後、氏はヒッチハイクで旅をし、ガソリンスタンドや炭鉱で歌の″流し″などをしながら勉強された。フランス、イギリス、ベルギーへ。
 ベルギー王立美術学校を卒業後、初めての曲「山々」が大ヒットした。
 「当時、トルコの民と家族から離れて六年。望郷の思いを歌ったものです」
 世界市民マンチョ氏の″根っこ″には、祖国への熱い思いがあった。
 「池田会長、私は──」
 話題がトルコの将来に移ったときである。氏が私の目をじっと見た。
 「心の底から申し上げるのですが、私は名声も地位もいりません。私の幸福は、人々が『もう一人の家族』として私に寄せてくれる信頼と愛情なのです」
 「私は『トルコの人々が今、何を必要としているのか』をいつも考えてやっているつもりです」
 「私は、トルコの子どもたちのためなら、この身の血の最後の一滴までささげます」
 その言葉で、私はわかった。氏の歌声に、なぜ、あれほどの気迫がこめられているのかを。「何のため」を、しっかりと胸に抱いた芸術家の強さだったのだ。
 人々のため、社会のため、子どもたちのため、大いなる何かのために──自分のエゴではない、だれかのためにという愛情から、魂を揺さぶる芸術は生まれる。
 虚飾の人生からは、虚像の芸術しか生まれない。自分をつくらず、人気や虚栄に振り回され、焦りながら生きている──残念なことに、そういう人が多くなってしまった。
 氏は百を超える賞を受賞し、約五千万枚のレコードが売れたという。しかし、少しも傲らない。
 道を行くと、だれもが親しげに声をかけ、氏も気軽に応じて、子どもたちとふれあいを楽しんだりしておられる。
 心には、いつも愛情が燃えているのである。
 男は偉大なるほど、その愛も深い。
 氏に、「ふるさとは『世界』」という曲がある。
  一人の男が聞いた
  おっさん ふるさとはどこだ
  この「世界」が わしのふるさとさ
  
  こんな人間がいる
  友情とか平等とか さんざん話したあげく
  「どうして、あんたの皮膚は私より黒いんだ?」ってね
  
  人間は安っぽくなった
  まったく生きにくい
  「スープを飲んでいきなよ」とは だれも言わない
  家を作る人はドアを閉めきって
  「泊まっていきなよ」とは
  
  「世界」は十分バラバラになっているよ
  生きていけないよ
  これ以上 切り刻んでどうしようっていうんだ──
5  「世界の新秩序」を論じることも大事である。
 それとともに、この歌のごとく、「泊まっていきなよ」「スープを飲んでいきなよ」という、大らかな人間愛を復活させることが、より大切なのではないだろうか。
 表面の「つきあい」だけならば、人格がなくともできる。「友情」は、人格なくしてはできない。
 「世界に友人がいない」ことを憂慮されている日本人に求められているのも、この「開かれた人格」ではないだろうか。
 そのためにも、私どもは「文化のシルクロード」を広げたい。
 九五年五月の民音公演を前に、「遠く離れた兄弟へ」と、氏からメッセージが届いた。
 こんなことが書かれていた。
 「老賢者いわく『世界は″新しい友人″に満ちている。ただ、まだ会っていないだけなのだ』と。まったく、そのとおりです!」
 (一九九四年十一月六日 「聖教新聞」掲載)

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