Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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人権闘争の巌窟王 ネルソン・マンデラ 南アフリカ大統領

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

前後
5  「民衆が自由にならない限り」
 「戦いこそわが人生」。マンデラ氏は裁かれる法廷をも堂々たる言論闘争の場に変えた。氏の要求は黒人をふくめた全国民の選挙権である。「自分が選挙権をもたない議会によって制定された法律によって、私がなぜ裁かれなければならないのでしょうか?」。だれも答えられなかった。
 私は九四年の「SGI(創価学会インタナショナル)の日」記念提言の中で、在日韓国人・朝鮮人に参政権を認めるよう提言した。永住を決めている約七十万人もの方々が、日本人と同じように税金を払いながら、選挙権がない。義務だけあって権利がないのである。
 この問題にはさまざまな議論や複雑な経緯があることも承知しているつもりである。
 そのうえで、今なお続く就職差別など、言うに言われぬ差別と迫害のなかで生き抜いてこられた、この方々の基本的人権を認めないまま日本が二十一世紀を迎えることは、過去の″負の遺産″を次世代に持ち越すことになる。
 戦後も半世紀を迎えた。今こそ、勇気をもって改革の流れを起こすべきである。そうでなければ人権後進国としての汚名をぬぐい去れないのではないだろうか。
 マンデラ氏は獄中から南アの人々を鼓舞し続けた。通信はできなくとも存在そのものが「希望」であった。だれかが雲でおおい隠そうとしても、太陽は太陽であった。
 経済制裁をはじめ、世界からも連帯のエールが続いた。
 たまりかねた政府から何度も妥協案が出た。そのたびに氏は妥協を拒否し、出獄を拒否した。「民衆が自由にならない限り、私の自由もない」。氏の目には祖国全体が牢獄であった。
 ついに釈放の日が来た。九〇年の二月十一日。その日は私の恩師(戸田城聖第二代会長)の誕生日であった。南アの「夜明け」に喝采を送りながら、私は同じく巌窟王であった恩師を偲んだ。
 この日、マンデラ氏は民衆の歓呼と熱狂に応えて語った。
 「私はここに予言者としてではなく、あなたがた民衆のつつましやかなしもべとして立っています。みなさんの不屈の英雄的な犠牲によって私は今日ここにこうしていることができるのです。ですから私は、私の残りの人生をみなさんがたの手に委ねます」(ファティマ・ミーア『ネルソン・マンデラ伝』楠瀬佳子・神野明・砂野幸稔・前田礼・峯陽一・元木淳子訳、明石書店)
 氏を動かすエネルギーは人気とりでもなく、利害でもない。ただ民衆へのあふれんばかりの愛情であった。苦難を勝ち越えてきた同志が愛おしかった。一人一人をたたえたかった。肩を抱きたかった。
 この人たちのためだけに私は生きているのだ──。その黄金の信念は周恩来総理をほうふつさせる。
 大統領の悲願は、白人支配も黒人支配もない、どんな肌の色の人も平等に暮らせる「虹の国」である。「これが、私が生涯をかけ、そのためなら死をも覚悟している理想です」と。
 今、日本の指導者層の胸に、死をも覚悟し、一万日の地獄にも耐え得る「理想」があるだろうか。民衆に限りなき「希望」をあたえているリーダーがいるだろうか。
 大統領は言われた。「五年前の出会いを私は忘れません。あの輝く瞳の青年たちとともに温かく迎えてくださった」
 「ああ」。あらためて私は思った。「希望を奪われてきた南アの青年たちに『輝く瞳』を取り戻す。それこそ大統領の″夢″なのだ」と。
 人類は一つの生命体である。ゆえに、世界のどこかで苦しんでいる人がいる限り、私たちの真の幸福もない。
 人類は一つである。ゆえに、私たちは肩を組みたい。南アの人々と。世界の青年と。すべての抑圧された民衆と。そのスクラムに二十一世紀がある。
 ああ、その明日へ! 私は声を限りに呼びかけたい。
 「明日よ! 永遠に、汝こそが偉大なり」と。
 (一九九五年七月三十日 「聖教新聞」掲載)

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