Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

後継  

小説「人間革命」11-12巻 (池田大作全集第149巻)

前後
19  午後零時四十分、歓迎大会は開会となった。司会は山本伸一である。
 二階のバルコニーに演壇が設けられ、その左右には青年部の旗が林立していた。まず、理事長の小西武雄が歓迎の言葉を短く述べた。
 「先般来、内閣総理大臣・岸信介先生を、お迎えするということで、非常な期待をもって今朝まで待っておりました。天候にも恵まれ、喜んでおりましたところ、突然、総理大臣にやむを得ない事情が生じ、ご出席になることができませんでした。そして、ご
 名代として、奥様をはじめ、ご家族においでいただきました。私どもは、岸先生がいらっしゃったのと同じ気持ちで、本日はお迎えしたいと思います」
 集った青年たちは、首相の欠席が決まったことを知って、いささか落胆したが、先刻、車駕の上の戸田を見た満足感が、胸に温かく燃えていた。首相の欠席を、参加者はあっさりと聞き流すことができた。
 小西理事長の歓迎の言葉に応えるかたちで、首相夫人と娘婿の安倍晋太郎がマイクの前に立った。代表して安倍があいさっした。
 「義父に代わりまして、一言、御礼の言葉やお詫びを述べさせていただきます。義父の岸信介は、かねてから戸田先生を敬愛しておりました。そして、この講堂の完成にあたり、どうしても、お参りをしたいと、本日こちらに来るお約束を戸田先生といたしておりました。昨夜から、一緒に箱根まで来ておりましたが、出発間際の今朝の九時になって、東京から、突然、電話が入りました。外交上の問題で、どうしても帰ってもらわなければならぬということで、義父は仕方なく、東京へ引き返していったのでございます。それで、われわれ家族一同、お詫びにまいった次第です」
 安倍は、ここで参加者に頭を下げてから、さらに話を続けた。
 「義父は昨夜も、皆様方と、お会いして、祖国の再建について、ぜひとも語り合いたいと申しておりました。それが実現できず、非常に残念でなりません。しかし、義父は、また日を改め、必ずまいりますので、そのことを皆様にお約束してくれということでございました。ここに、お詫びを兼ね、義父の次の機会の参詣をお約束申し上げ、私たち一同の、お詫びの言葉に代えさせていただく次第でございます。ありがとうございました」
 安倍のあいさつに、参加者は、大拍手を送った。
 その拍手がやみかけたころ、歓声とともに、再び、ひときわ大きな拍手が湧き起こった。戸田城聖がバルコニーに姿を見せたのである。戸田は、首相夫人の右隣のイスに座った。夫人の左隣には安倍が座っている。
 司会者・山本伸一は、拍手のやむのを待ってから、戸田のあいさつを告げたが、戸田は立たなかった。いや、既に、立てなかったのである。
 三月一日の大講堂の落慶法要の時には、彼は立って、かなり長い話をすることができた。それから、わずか二週間余りであったが、体は立つ力さえ失っていた。
 戸田は、座ったままの姿勢で、マイクに顔を近づけた。彼は、軽い咳払いを、二、三回してから話し始めた。
 声は、やや、しわがれてはいたが、力強い話し方である。
 「少し体を悪くして、口は前より三人前ぐらい達者になったが、足の方が三分の一に減ってしまって、体を洗うのにも骨が折れる。これは、どっちがいいものだか……」
 緊張した空気を解きほぐすかのように、笑いを誘う話の導入であった。さざ波のような笑いが、サーッと広がっていった。
 「いや、岸総理もなかなか立派な方でありましてね。この間、週刊誌か何かで見たといって、ある人が私に報告してくれた。それは、ある大物政治家に、『岸はだめだから、もうすこし立派な人物を、総理として立でなければならぬ』と具申した人がいたが、その大物政治家は、『岸をおいて、ほかに人物がいるか』と答えたということでした。私は、岸総理が幹事長の時から、他党を押さえ、日本の政権を担っていけるのは、この人であると、深く心に思い、尊敬してきました。
 その岸総理が、『一日の落慶法要には行けない』と言うから、『そのあとはどうだ』と言ったら、『十六日なら行ける』というので、楽しみにしておったのです。ところが、今日の昼までに東京に戻らなければだめだと、電話がかかってきたそうだ。岸さんは、『今日は、ほかに約束があるから』と断ったが、どうしてもということで帰ることになった。これは、仕方がないでしょう。
 一国の総理といっても、月給は安いものだ。それで、こき使われることは、ずいぶんこき使われるらしい。大変な商売ですよ。そうしたなかで、お嬢さんご夫妻と奥様と、そのほか、自分がこの人と頼む前建設大臣を差し向けられた。その誠意というものを、私は心から嬉しく思い、感謝しています」
 戸田は、岸が、周囲の反対に屈して、参加を取りやめたことを感じてはいたが、彼の立場も、心の内も、よくわかっていた。個人としては、戸田との約束を果たしたかったにちがいない。そして、詫びる思いで、家族をよこしたのであろう。戸田は、その心を手厚く遇したかった。
 「帰ったら、あらためてお礼を言おうと思っている。しかし、今朝の電話では言うわけにはいかなかった。
 ここから電話しても、よく聞こえないうえに、電話料金も高い。東京に帰って電話すれば、七円ですむ。私がお礼をすませたと言ったら、会長は十四円ぐらいで終わらせたなと思ってください」
 どっと笑い声があがった。戸田は、青年たちの落胆の気持ちを、冗談をもって吹き飛ばそうとしていた。
 戸田は、話を続けた。
 「私は、岸先生が、総理だから偉いと思った覚えはありません。立場ではなく、人間としてお付き合いしてきた。これからも、そうです。それが友人としての真心です。君たちも、そういう心で岸先生と付き合ってください。
 妙法のもとには、皆、平等です。そして、個人も、国家も、幸せと繁栄を得るには、正法を根幹とする以外にはない。ゆえに、われわれには、広宣流布を断じてなさねばならぬ使命がある。それを今日、私は、君たち青年に託しておきたい。未来は、君たちに任せる。頼むぞ、広宣流布を!」
 それは、戸田の命の叫びであった。稲妻に打たれたような深い感動が、六千余の青年たちの胸を貫いた。束の間、凛とした厳粛な静寂が辺りをつつんだ。感動は、決意となって青年たちの胸中に吹き上げ、次の瞬間、嵐のような拍手が天に舞った。空には、広宣流布の誓いに燃え立つ青年をつつみ込むように、白雪を頂いた富士がそびえ立っていた。
 戸田は、一同を見渡すと、力強い口調で語った。
 「創価学会は、宗教界の王者であります。何も恐れるものなどない。諸君は、その後継者であるとの自覚を忘れることなく、広宣流布の誉れの法戦に、花の若武者として、勇敢に戦い進んでもらいたい」
 創価学会は、宗教界の王者である――その言葉は、戸田が生涯をかけた広宣流布の、勝利の大宣言にほかならなかった。また、彼が青年たちに放った、人生の最後の大師子吼となったのである。
 戸田は、こう言って話を結んだ。
 「今日は、少し話が長すぎてしまった。話しておきたいことは、たくさんあるのだが、これくらいにしておこう」
 彼が、名残惜しそうに話を打ち切ると、盛んな拍手が、しばし鳴りやまなかった。青年たちは、病み、衰えた師の体内から発せられた、鮮烈な魂の光彩を浴びた思いに駆られていた。
 このあと、秋月英介男子部長、森川ヒデ代女子部長の指揮で、それぞれ部歌を合唱して歓迎大会は幕を閉じた。
 それから、来賓は、大講堂六階の貴賓室に移り、祝宴が開かれた。戸田は、最後の力を振り絞るようにして祝宴に臨んだ。彼は、岸首相との友情の証として、その家族を、大誠実をもって遇したのである。
 首相夫人ら一行が、総本山を後にしたのは、午後二時半ごろのことであった。
 歓迎大会を終えた戸田城聖は、再び大講堂から車駕に乗り、理境坊に向かった。拍手で戸田を送る青年たちの、どの顔も紅潮し、瞳は決意に輝いていた。
 戸田は、これで一切は終わったと思った。この時、全身から、スーツと力が抜けていくのを覚えた。それは、心地よい、満ち足りた疲労感であった。
 彼は、車駕の上の肘掛けイスに体を沈めた。杉木立の向こうに、雪化粧をした富士が見え隠れしていた。富士を見ると、自作の「同志の歌」が思い起こされた。
  ♪捨つる命は 惜しまねど
   旗持つ若人 何処にか
   富士の高嶺を 知らざるか
   競うて来たれ 速やかに
 今、その若人は、戸田のもとに陸続と集い、妙法の旗を手に敢然と立ったのだ。
 戸田の脳裏に、獄中に逝いた師の牧口常三郎の面影が浮かんだ。牧口が柱と頼む弟子は、自分をおいて誰もいなかったことを、彼は、しみじみと思い返した。
 最愛の恩師を亡くし、憤怒に身を焦がしながら、敗戦の焼け野原に、ただ一人立ったあの日から十三星霜――彼の腕で育った若人たちは、さっそうと広宣流布の″長征″に旅立ったのである。
 戸田は、心で牧口に語りかけた。
 ″先生! 戸田は、あなたのご遺志を受け継いで、広宣流布の万代の基盤をつくりあげ、ただ今、後事の一切を、わが愛弟子に託しました。先生のご遺志は、青年たちの胸のなかで、真っ赤な血潮となって脈打っております。妙法広布の松明が、東洋へ、世界へと、燃え広がる日も、もはや、遠くはございません″
 彼の胸に、にっこりと笑みを浮かべ、頷く牧口の顔が映じた。吹き渡る春風が、彼の頬をなでた。
 山本伸一は、車駕と共に歩みを運びながら、戸田を仰いだ。戸田は、静かに目を閉じ、口もとには、ほのかな微笑を浮かべていた。伸一には、それは、生涯にわたる正法の戦いを勝利した、広宣流布の大将軍が凱旋する姿に思えた。
 しかし、晴れやかではあるが、そのやつれた相貌から、妙法の諸葛孔明・戸田城聖の命は、まさに燃え尽きようとしていることを、感じないわけにはいかなかった。
 伸一は、戸田を仰ぎ見ながら、ひとり誓うのであった。
 ″先生、広宣流布は、必ず、われら弟子の手でいたします! どうか、ご安心ください″
 広宣流布の印綬は、今、弟子・山本伸一に託された。創価後継の旗は、戸田の顔前に空高く翻ったのである。太陽に白雪の富士はまばゆく輝き、微笑むように、その光景を見守っていた。
 この三月十六日は、のちに「広宣流布記念の日」となり、広宣流布を永遠不滅ならしめる、弟子たちの新たな誓いの日となった

1
19