Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

転機  

小説「人間革命」11-12巻 (池田大作全集第149巻)

前後
16  組座談会に明け、折伏に終わった十二月も、二十一日に本部幹部会を迎えた。
 果たして折伏の成果の発表となると、五万八千六百九十四世帯と、数字が読み上げられた。本年の目標五十万世帯を、悠々と達成したのである。全国三十二支部の幹部たちは、師走の空に一斉に歓声をあげながら、拍手をもって互いに祝福し合った。
 戸田城聖は、本年最後の本部幹部会にあたって、責任を果たした人びとをねぎらいながら語った。
 「学会の底力、また、皆様が真面目に組座談会を遂行した効果が表れ、五万八千世帯という、大した折伏成果をあげたことは、さぞかし日蓮大聖人様もお喜びのことと思っております。
 顧みれば、今年は、ずいぶん仕事をしてきた。すなわち五十万世帯の完遂。また、お山の坊は四つ、新寺院建立は三カ寺、古い寺の再建が二カ寺、そのほか修理申し上げた寺は数カ寺ございます。また、立正安国の精神のうえから、参議院議員選挙でも、思う存分、支援活動をいたしました。
 今年は、遺憾なく戦い切ることができただろうと思います。来年も同じく、自分たちの信仰のうえに立って、来年の目標を完遂し、凡夫に褒められるのではなくて、仏様に褒められる境涯になろうではありませんか」
 戸田は、このあと、ある地方の平凡な地区部長が、勤行と折伏の地道な信心の基本を貫いて、目覚ましい功徳を受けた姿を通し、来年は、まず幹部という幹部が、功徳を受け、幸福な人生を、落ち着いて慌てず、そして、急いで築いてほしいと言ってから、幹部の信心について、特に注意を促した。
 「幹部として、心得るべきことがあります。信心といっても、勤行と折伏の行の実践がないところに、信心はありません。口は調法です。いかにも教学に精通して、教義を重んじているような顔をしていても、自分が受持した御本尊様さえ念頭になく、行の実践を欠いていては、もう、これは日蓮大聖人の仏法ではない。そうした幹部は、会員を惑わせるだけです。
 こうなると、いつか騎慢になり、先輩や学会さえも批判するようになって、いかにも、それが、広宣流布のためであるかのような言説さえ弄して、結局は、大聖人様の怨敵となっていくことに気づかない。信心の基本を忘却した幹部ほど、哀れなものはありません。気づいた時には、自分がとんでもないところへ、来てしまっていることを知るでありましよう。
 私も長い信心です。多くの同志のなかには、このような幹部も、一人ならずおりました。見かけは有能に見えても、信心の基本を欠いたら、信心は即座に崩れ去るのです。よくよく心得て、来年は思いきり活躍してください」
17  本部幹部会のあと、一つの行事がまだ残っていた。それは歳末の二十三日の男子青年部二万人が結集した大総会であった。当時、東洋一の体育館とされていた東京・千駄ヶ谷の東京体育館は、全国から上京した青年部員で、早朝から混雑していた。午前九時から入場を開始し、午後一時の開会前には、場内外の二万余の男子部員が、整然と戸田城聖を迎えた。
 総会は、熱気につつまれて進行した。「日本民族の使命」と題する研究発表では、米ソ二大陣営に挟まれた日本の現実認識からの論が展開された。
 そして、世界の第三勢力である東洋の十二億の民族のために、仏法の法理に目覚めたわが創価学会青年部こそ、世界平和の指導者として成長すべき使命があると訴えた。
 この日、あいさつに立った山本伸一は、近代日本の思想の流れに触れながら、未来にわたって、すべての思想を指導する哲学こそ、日蓮大聖人の仏法であることを語った。
 「仏法の真髄である日蓮大聖人の教えによって、今、五十万世帯の人びとが、現実に、物心ともに幸福になっているではありませんか。この事実こそが、今後の日本の、また東洋、世界の思想を指導するのは、日蓮大聖人の仏法であることを、証明しているのであります」
 そして、「創価学会は″暴力宗教″である」との、誤解に満ちた世間の批判は、三類の強敵の一分にほかならず、毅然として立ち向かうべきであると訴えた。
 「戸田先生が、あくまでも、慈悲と道理をもって、日本民衆を救わ、なければならないと仰せのように、″青年訓″″国士訓″を心に刻み、実践していく人こそ、真実の男子青年部であります」
 伸一の胸には、戸田が、「新しき世紀を創るものは、青年の熱と力である」と叫んだ″青年訓″、「青年よ、一人立て」と奮起を促した″国士訓″が、永遠の指針として脈動していた。
 最後に演壇に足を運んだ戸田城聖は、研究発表に言及して、力を込めて語っていった。
 「先ほども話があったように、世界的な第三勢力の興るゆえんがあるのであります。ハンガリーの今度の問題など、まことに、かわいそうでならない。民衆は、どれほど苦しんでいるか、今日、平和なわれわれの生活から見たならば、悲惨極まるものです。日本をはじめ、二大陣営に挟まれた国々をして、絶対にあのような苦悩に陥れてはならぬと私は思います。
 そのためにも、東洋で第三勢力として立つべき民族が日本です。東洋は、日本を待っている。本当に待っているんです。
 この推進力となるのは、青年の力以外にない。あなた方こそ、日本の青年を指導する指導者です。この確信のうえに立って、信心強盛に、教学を身につけ、体を丈夫にし、自分の商売に熱心に励みつつ、暮らしていってほしいと願って、私の講演に代えます」
 歳末の最後の行事、二十三日の青年部大総会で、一九五六年(昭和三十一年)は暮れた。まさに激動の一年であったといってよい。
 広宣流布の拡大に徹しぬいた戸田城聖は、心身ともに、いたく疲れていた。山本伸一も発熱した。
 今、師も病み、弟子も病んでいたが、戦い切った遺憾のなさに、二人は、なんともいえぬ満足の微笑を顔に浮かべて、年を超したのである。

1
16