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日蓮大聖人・池田大作

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脈動  

小説「人間革命」9-10巻 (池田大作全集第148巻)

前後
23  この日、伸一は、勇んで一人、大阪への列車に乗った。夕刻、大阪に到着すると、ブロック座談会、女子部教学研修会などに出席し、師子奮迅の活動を開始した。翌四月一日は、寸暇を惜しんでの会合と個人指導を続けた。昼間の地区部長会に続き、夜は組長指導会、翌二日は班長指導会というように、関西一円の幹部の、信心の急速な向上に、額に汗を流して奮闘したのである。
 また、今度の目的には、来る四月八日の大阪・堺二支部連合総会のための、周到在準備も含まれていた。なにしろ難波の大阪球場を使用しての野外集会である。二万人の結集を、事故なく歓喜のうちに遂行するには、その準備のために、並々ならぬ労苦を必要とした。
 任務を分担する多くの役員の決定から、会場の設営、対外交渉、地方支部員のためのバスの駐車場の指定にいたるまで、遺漏のない配慮に、心を千々に砕かなければならなかった。
 関西は、ちょうど春たけなわで、いつか桜の季節となっていた。伸一は、二日午後、暇を見つけると、一人の青年部の幹部を伴い、奈良に向かった。
 若草山に着くと、彼は、ごろりと横になって、春霞の空を仰ぎ、萌え出る草々の、かぐわしい空気を思う存分に吸った。
 忙中の閑は、彼にとって極めて貴重な蘇生の瞬間であったが、それも二十分で引き揚げなければならなかった。彼は、大阪へ、とって返した。夜の班長指導会が待っていたからである。
24  四月一日、戸田城聖は仙台にいた。仙台支部の、支部長の交代にともなう支部幹部会に出席するためであった。
 夕刻六時、仙台市公会堂で、支部旗の返還・授与が厳粛に行われた。これまで支部長を務めてきた白谷邦男は、初代の学生部長に任命され、新たに仙台支部長として釜屋孝吉が就住した。
 仙台支部は、戸田城聖の会長就任直後に結成された地方支部である。支部長の白谷は、戦前の入会で、戸田の会長就佳前後から彼のもとに馳せ参じ、指導を仰、ぎつつ東北広布に立ち上がった。その旺盛な意気と、学会本部と直結した信心の脈動で、新支部は急速に発展し、このころには、一万五千世帯を優に超えるまでになっていた。
 白谷支部長は、ある保険会社の仙台支社の社員であったが、東京の本社への栄転の話がもちあがった。しかし、彼は創価学会の支部長である。自身の栄達のために、仙台の同志と別れることはできない。彼は、迷った揚げ句、戸田城聖に打ち明け、指導を仰いだ。
 この日の集会で、戸田は、冒頭から、このことに触れて言った。
 「白谷君が、″東京へ行った方がいいだろうか。もし、仙台にとどまった方がよければ、会社の方へ無理に頼めば、そのようにもできま
 す″と、こういう岐路に立った時に、相談してくれました。
 私は、今が、『時』であると思いました。白谷君が、仙台支部をこれまでにした力量を信用して、私は初代の学生部長にしたのであります。さぞや、また何年間か、私に叱られ、泣くこともあろうと思うと、まことに不憫でもありますが、学生部という新しい重大な部門の健全な育成のためには、致し方のないことであります」
 学生部の設置は、早くから戸田の構想のなかにあって、東大法華経研究会などで、大学生たちを手塩にかけて育ててきていた。それを、いよいよ組織化する時機と人とを求めていた時だけに、白谷邦男の東京転任は、偶然とも思えなかった。
 彼は、白谷を学生部長に任命し、部長一人から始まる学生部の設置に踏み切ったのである。
 この日、戸田は、東北放送の求めに応じ、創価学会に対する世間の疑問に答える対談を行った。彼の応答は、いつものように淡々として、実に率直で、先入観をもつ質問者を慌てさせた。
 七月初句をめざしての全国的な準備は、文化部員によって、着実に進められていたが、学会の日常的な行事は、何一つゆるがせにすることなく、浮足立つようなことを抑えて、沈着に遂行されていた。
 戸田城聖と山本伸一は、選挙の支援活動に翻弄されることなく、関西に広宣流布の錦州城を築き上げることこそ焦点としてとらえていた。そして、学会行事の徹底と深化による信心の脈動をもって、戦いに挑んでいった。まことに日蓮大聖人の仏法の瞠目すべき偉力は、純粋にして強靭な信心の脈動以外に発動する術はないことを、身をもって知っていたからである。

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