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日蓮大聖人・池田大作

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実証  

小説「人間革命」9-10巻 (池田大作全集第148巻)

前後
8  この年の秋には、創価学会の大飛躍を示す行事が、次々と続いた。まず、十一月三日の秋季総会は、後楽園球場で、なんと七万余の会員を結集して行われた。春季総会の折、両国の国技館に入場できなかった万余の会員の嘆きは、この日の総会にはなかった。
 この大集会に、テレビをはじめ、新聞各社の記者やカメラマンも取材に訪れた。ところが、どうしたわけか、どの新聞も、テレビも、一言も報道しなかった。彼らは、救世の情熱に燃える幾万の庶民の大集会を、ありのままに報じることをためらったのである。
 その背後には、創価学会の急速な台頭に怯える既成勢力から、意図的に流された、悪意に満ちた学会観があったことは間違いない。
 また、彼らの判断基準に、長く権力の支配下で骨抜きにされ、堕落していた宗教界そのものに対する、批判的な眼があったことも否定できない。
 しかし、民衆に基盤を置く学会は、そうした宗教の範疇には収まりきらなかった。そこに、彼らの戸惑いがあったにちがいない。
 ある時、戸田城聖は、「マスコミが、″しまった″と思った時が、広宣流布だ」と、語ったことがある。
 広宣流布とは、まさに、日本社会に広く蔓延する、宗教への無知、偏見、そして隠微な悪意の誹謗の霧を払い、厳然たる実証によって、人類の太陽たる真実の仏法を、輝かせゆく戦いでもあるのだ。それはまた、御聖訓に照らして、地涌の行進を阻もうとする障魔との、熾烈な戦いになることも必定である。
 しかし、あらゆる障害を乗り越え、広宣流布は着々と進んでいた。
 十一月二十三日、総本山では、学会が建立寄進した奉安殿が、見事に完成し、落慶式が行われた。
 師走の慌ただしさのなかで、十二月十三日には関西本部の落成式が行われた。この新本部は、音楽学校の三階建ての校舎を購入し、改築、新装したものである。一階と三階に大広聞があり、数多くの教室は、そのまま各部の会議室や、事務室に割り当てても、なお余裕があった。
 この法城は、翌年の、華々しい関西の大飛躍の時には、連日、集まる大勢の同志の、信心からほとばしる歓喜と戦いの息吹で、大海原に揺れる巨大な母艦を思わせたのである。
 青年部も、この年の掉尾を飾る総会をもった。十二月十一日には、女子部六千余人が中央大学講堂と第二会場の本郷公会堂に集って第三回総会を開き、十二月十八日には、男子部が蔵前国技館で第四回総会を開催した。男子部十八部隊二万五千人のなかから一万五千人が参加し、翌年の飛躍に満を持して備えた。
 この総会は、国技館を揺るがす大拍手で終わった。しかし、戸田城聖は、積年の疲労が重なっていたのであろう。演台に歩を運ぶ時、かすかに足をよろめかせた。これは初めてのことであった。それを、山本伸一は見逃すことはなかった。彼は一人、ひそかに胸を痛めたが、そのことは誰にも言えなかった。
 十二月二十三日、この年、最後の本部幹部会である。戸田は、激動の一年を回顧して言った。
 「いよいよ、年の瀬も詰まって、今年一年を回顧してみますれば、遺憾なく戦った、と私は思います。
 これで三十万世帯の布陣がなりました。悠々と三十万世帯は出来上がりました」
 彼は、ここで、総本山に、奉安殿のほか四つの坊を寄進したこと、また、地方寺院を三カ寺、関西本部、そして蒲田、向島の二つの支部会館を建設できたことを報告した。そして、壇上に居並ぶ幹部を顧みた。
 「振り返って、長い間の折伏生活を考えるに、ここに座っている幹部は、大した人物ではありません。並べておいて言っては、申し訳ないが、なぜ大したものではないかというと、会長がどだい、大したものではないから、幹部も大したものではないという訳です」
 場内に爆笑が湧き、壇上の幹部たちは、照れて苦笑した。
 「しかし、私としては非常に嬉しい。というのは、よくぞ、ここまで育ったということであります。これは、功徳を全身に受けている証拠であります。
 かく考えてきますと、来年は、立派な前進ができると思います。今年の勢いで伸びていけば、七十万も八十万も容易でありましょうが、来年は五十万世帯にしたいと思っている。御本尊を粗末にするような学会員でなしに、十分、指導を行き渡らせて、皆に功徳を受けきった生活をさせてみたい。全世界に向かって、″どうだ、この姿は!″と言わせてもらいたいと、私は思うのであります。
 ですから、来年の五十万世帯の創価学会員は、こごとく功徳につつまれていただきたい。これをもって、私の来年度の抱負とし、確信にしたいのです」
 戸田城聖は、こう語って、一九五五年(昭和三十年)の幕を閉じた。
 ここ半年の上げ潮の勢いが、暴走に陥ることのないように、彼は、指導の徹底を訴えたのである。
 また、この年四月の統一地方選挙の時から、戸田は、胸中で練っていた翌年の参議院議員選挙の初陣に際しての完壁な支援活動も、考慮に入れていた。彼は、支援活動の勝利のためにも、多くの会員が功徳を満身に受け、その喜びと信心への確信が、組織の隅々にまでみなぎることが、必要であると考えた。功徳の喜びこそが、一切の力の源泉となるからだ。
 戸田は、会長として、来年は、この願いを御本尊に説に祈ることを決意していた。
 この年、創価学会は、十九万四千二百三十九世帯の折伏を敢行し、三十万世帯を、はるかに超えたのであった。
 (第九巻終了)

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