Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

展開  

小説「人間革命」9-10巻 (池田大作全集第148巻)

前後
8  一九五五年(昭和三一十年)四月二十四日の日曜日の午後、東京・神田駿河台の中央大学講堂では、中野支部の第四回総会が開かれていた。
 場内は、約三千人の参加者で埋まり、支部員が晴れがましい顔で次々と壇上に立って、体験を語り、決意を述べ、場内の空気は、いつしか熱気と意気にあふれできていた。
 壇上に向かって右側には、会長の戸田城聖と並んで、選挙の激戦を終えた理事長の小西武雄、鶴見支部長の森川幸二の日に焼けた顔も見えた。そして、進行の途中、時折、壇上の幹部の間に、何かを報告する紙片が、数度、回されて、それを見た人たちは頷きながら、顔をほころばせた。
 紙片には、小西とか森川とか書かれた下に、何やら数字が書き込まれているだけだった。
 壇上の一角の慌ただしさを、参加者は怪訪な面持ちで見守っていたが、前日、投票が行われた東京都議選と横浜市議選の、目下、開票中の得票数の速報だったのである。
 式次第は進んで、終わりに近く、来賓のあいさつが続いていた。その時、いきなり、春木理事が白い紙片をかざして、大きな演台に進んだ。
 「この席をお借りして、喜ばしい臨時ニュースを、ここでご報告いたします。昨日行われた東京都議選と横浜市議選の開票結果が判明いたしました。都議選に立候補した大田区の小西武雄は、一九、三一二票、最高当選。横浜市議選に立候補した鶴見区の森川幸二は、六、一六七票、これも最高当選。これにて、わが同志のなかから、一人の都会議員と一人の市会議員が、めでたく誕生いたしたわけであります」
 春木洋次の声は、わっと沸き上がる三千人の歓声に吹き消されてしまい、緒戦の勝利が確実のものとなった興奮に、場内は酔ったように華やいだ。
 折よく理事長・小西武雄の登壇となった。彼は、「私は最高の幸せ者です」とあいさつし、これまでの長い信仰体験を交えながら、ただ御本尊を信じ、戸田の指導のままに今日まで来たことで、このような立場になったにすぎぬ、と簡潔に語った。
 このあとを受けて、戸田は、場内の華やいだ感動のなかで、静かに話し始めた。
 「時に合い、時に巡り合って、その時に適うということは、生まれてきた甲斐のあることであります」
 彼は、まず、若年のころ、来日したアインシュタインの講演を聴くことのできた数少ない一人であることが、誇りであると述べた。また、初代会長・牧口常三郎に、十九歳で出会い、最後まで教えを受け、牢獄にまでお供することのできたことを誇りとすると語った。さらに、末法において立宗七百年の時に巡り合い、広宣流布の使命に邁進していることは、最大の誇りであり、喜びであると続けた。
 そして、広宣流布の本義について、まことの信心をして、幸福をめざしていく姿そのままが、広布の大道を歩いていることになると説き、側にいた小西武雄を、その例証としてあげた。
 「まことに本人を前に置いて悪いけれども、この信心をすれば頭がよくなるという見本が理事長であります。小学校の先生をしていながら、勉強が嫌いで、酒飲みときては、あまり使い道はない。また、あまり口は上手じゃない。初めて会った人は、″この人は、本当に学校の先生なのだろうか″と首をかしげたくなります。
 私は、今でも覚えているが、彼は、婿に行って追い出され、風呂敷包みなど持って時習学館にやって来た。その日が、彼が御本尊を受持した日でありました。それが、今は、うらやましい家庭をつくられ、その円満なること、穏やかなること、われわれの手本とすべき家庭が出来上がっております。
 不肖、私も創価学会の会長として、理事長の職に就かせ、かつまた蒲田の大支部長として、その任にあたらせるのに、頭が悪くてやらせられるわけがありません。頭がよくなったんですよ。
 しかも、今回は最高当選で都議会に出られたということは、人望なくして出られるわけがありません。学会の組織がどうだの、私が応援したと言ったところで、人望なくして、どうして最高点で出られるでしょうか。大田区で小西武雄といったって、誰も知りません。小学校の一教諭が、多くの有名候補をしのいで、いきなり最高点で出られたのは、長い信心で培った、同志からの信頼があったればこそと言うしかありません。
 皆さんも、信心に純粋な態度を貫き、″さすがに信心していればこそ、ああなったのだ″という姿を示せば、その姿そのものが折伏になっており、そして、われもわれもと、信心するように、なれば、広宣流布は自然に出来上がる。今、そのような時になりつつあるのです」
 戸田は、時に適う信心のできるのは、今だ、と語気を強めた。
 「広宣流布の時は来ているのですから、御本尊様の御力は非常に大きい。それなら、昔の御本尊には力がなく、今の御本尊様に力があるとは、おかしいと言うかもしれませんが、御本尊には変わりがなくても、受けるわれわれに変わりがあるんです。
 東の空から出る太陽も、昼の真上に来る太陽も、太陽には変わりありません。しかし、真昼の太陽の日差しは、最も強い。
 今、その真昼の太陽のような御本尊様の直射を、われわれは受けている。その功徳をわが身に受けるも受けないも、あなた方の自由。しっかり信心して、たくさん功徳を頂きなさい。これが私の教えることです」
 二十四日の中野支部総会は終わったが、そのころ、東京都の区議会議員をはじめ、全国各地の市議会議員の選挙戦は、四月三十日の投票日を前にして、まさに、たけなわであった。全国の三十八地域から立った五十二人の候補者を支援するため、それぞれの地域の学会員たちは懸命に活動していた。
 五月一日夕刻には、開票結果が学会本部に集まった。東京都の区議会議員には三十二人全員当選し、各地の市議会議員にも十九人当選、秋田の候補者が一人落選しただけであった。これに先の小西と森川を加えると、五十三人の文化部員が、それぞれの議会に席を得たことになる。手堅い選挙で、世間からすれば予想外の進出であったわけだが、創価学会の支援活動に注目した新聞記事は、皆無であった。
 戸田城聖は、これらの当選決定を聞いて喜び、次々とあいさつに来る新議員たちを前に機嫌がよかった。本部に詰めていた幹部たちも、喜色満面で、この初陣の成功を祝った。
 戸田は、直ちに鈴本文化部長を呼んで、各地域の当選状況の詳細を検討した。彼の胸中には、早くも翌年の参議院議員選挙を課題とする思索が、既に練られていたからである。

1
8