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日蓮大聖人・池田大作

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水滸の誓い  

小説「人間革命」7-8巻 (池田大作全集第147巻)

前後
23  また、ある時、戸田は、獄中の体験を、冗談を交えながら、つぶさに語って聞かせていた。
 そして、「われ地涌の菩薩なり」との獄中の悟達にいたった、あの瞬間の話になった時、青年たちは身じろぎもせず、眼を凝らし、耳を澄ましていた。
 話が一段落した時、思いがけない質問が飛び出した。
 「先生は、牢獄で悟りを開かれたと言いますが、それでは、私たちは、いつ、どこで悟りを開くことができるのですか。どうも困ってしまいます」
 質問したのは、鈴本実であった。彼は、旧制の高等工業学校出身の機械技師である。数理的な頭脳の持ち主といわれ、一見、傲慢とも見られていた。
 戸田は、さりげない調子で独り言のように言った。
 「それは、本地の問題だ」
 彼は、それだけ言って口をつぐんだ。
 重い沈黙が、一座を支配した。鈴本は、好奇心の塊のような調子で、また言った。
 「先生の本地はなんですか」
 その声の響きは、どこか不遜な響きをはらんでいた。
 その瞬間、戸田は、恐ろしいばかりの剣幕で叱咤した。
 「君は、それを知りたいのか! 本当に知りたいと真剣に思っているのか!」
 戸田の叱咤は、いつになく激しいものであった。
 青年たちは驚き、鈴本の顔は、見る見る青ざめた。
 戸田の激怒は、間もなく静まった。
 彼は、鈴本を見ながら、憐れむように言った。
 「いつも君は、頭の回転の速さに、自らを溺れさせていることが多い。しかし、それでは、信心の本義は何一つわからないだろう。これは人生の根本的な問題なんだ。私は、君のために、本格的な仏法者の生き方を示してあげたいんだ。長い未来の人生のためにだよ。ともかく、君も私についてくるなら、やがて、それがわかるだろう」
 戸田が、回答を拒否したのは、珍しいことであったが、好奇心の趣くままの質問に答えるには、事は、それほど軽々しい問題ではなかった。
 ともあれ、仏法の悟達にかかわる重大事を、軽はずみな好奇心で汚されることを、彼は断固として拒否したのである。彼は、曲解を恐れた。水滸会の青年たちは、生命の奥底を体得した戸田の悟達を理解するには、まだ、あまりにも未熟だったのである。
24  水滸会にまつわる話を、ことごとく集めて記述するとしたら、何巻もの書物になるだろう。振り返ってみれば、戸田の言説は、すべて遺言の響きをもっていた。彼は、未来にわたる広宣流布の道程を、政治、経済、教育、芸術等の各方面にわたって語り、この長遠にして未聞の宗教革命の遂行を、選ばれた青年たちに託したといってよい。
 戸田は、あらゆる分野に、仏法の人間主義の精神を脈動させ、よりよき社会の建設に一身を捧げる革命児としての青年たちを、手塩にかけて陶冶しつつ、せっせと育て上げていったのである。
 四十三人の署名で第一期を発足した宣誓後の水滸会は、順次に拡大されて第三期に進み、百二十人にまで達し、一九五六年(昭和三十一年)五月をもって、ひとまず終わっている。
 この間、約三年の歳月に、『水滸伝』から始まったテキストは、『三国志』『モンテ・クリスト伯』『風と波と』『ロビンソン・クルーソー』『風霜ふうそう』『隊長ブーリバ』『九十三年』などに移り、これらを教材にしながら、戸田は、胸中の構想を語って尽きなかった。
 わずか三年の、厳しくも楽しい薫陶であった。だが、この間に、広宣流布の軌道は明確に、着実に敷設されつつあったのである。
 これらの青年は、その後、創価学会の中枢として、また、政界、経済界、教育界、芸術界、その他、社会の第一線で、存分に力を発揮していくことになるのである。
 青年たちの多くは、話の面白さに紛れて、このことに気づかなかったが、山本伸一は、わが生命の奥に、広宣流布への軌道を敷く思いの三年であった。
 戸田の亡き後も、伸一を中心に、第四期から第五期まで、水滸会は続行され、一期から合わせると、六百四十七人の人びとを育成し、送り出していくこととなるが、それは後日の話である。

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