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日蓮大聖人・池田大作

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離陸  

小説「人間革命」5-6巻 (池田大作全集第146巻)

前後
15  立宗七百年の意義深い一九五二年(昭和二十七年)も、いよいよ十二月の歳末となった。思えば、多事多難の年であった。
 この年の正月、創価学会は、五千七百二十七世帯であったが、十二カ月を重ねてみると、今や二万二千三百二十四世帯となっていた。年間の
 目標であった二万世帯を超えたのである。妙法広布の潮は、人びとの気づかぬ社会の底流で、着々と流れ始めていた。
 忙しい師走の二十一日の日曜日、教学部の最初の試験が行われた。午前中に筆記試験、午後に講義実習のテストである。合格者は、即日、発表された。
 それによると、助師合格者二十三人、講師合格者八人で、また、新たに二人が助教授に任命された。これで、教学部は六十五人の陣容となった。
 また、翌二十二日には、全国構想に備えて、新たに地方統監部が設置された。初代地方統監部長には、原山幸一が任命された。それにともない、原山が、これまで務めてきた文京支部長の後任に、田岡治子が就任した。清原かつに次いで、二人目の女性支部長である。
 飛躍的な会員の増加に対応した組織、指導体制の強化は、こうして堅実に図られていった。そして十二月二十四日、この年最後の本部幹部会が開かれた。
 折伏成果は、短期間にもかかわらず、二千十世帯と、前月に続き二千台を突破した。
 特に、このころになると、各地区の活躍が目立ってきた。蒲田支部の矢口地区などは、数カ月前までは、一支部でも達成できなかった、百三十三世帯の成果であった。このほかにも五十世帯以上の地区が、全国で六地区も出るようになった。
 もはや戦いは、支部単位というよりも、地区単位に移っていた。全国の各地区が、互いに覇を競い合う態勢になったのである。
 この日、戸田は、すこぶる元気な姿で、壇上から幹部に一年の活動の労をねぎらい、感謝の言葉を述べながら、話を次のように結んだ。
 「本日の、この盛大な幹部会をもって、昭和二十七年(一九五二年)は終わります。さらに来年の大闘争に備えて、他の支部も、蒲田支部に劣らぬよう、十分の力量を発揮してもらいたい。願わくは、皆さんご自身のために、広宣流布への使命を果たして大功徳を受け、組長は班長に、班長は地区部長になってもらいたいものと、私は念願する次第であります」
 この時の戸田は、はっきりと、「時」の来たことを自覚していた。
 戦後七年――創価学会は、辛抱強く滑走を続けてきた。特に、この五二年(同二十七年)は、その真剣な力強い、最後の滑走であったといえよう。
 この間には、七百年祭の笠原事件などという不慮の障害が、行く手に立ちはだかったが、賢明な操縦士は、それを見事に乗り越えていった。そして、ますます速力を増した。
 障害を越えたあとは、全力走行が可能な、平坦で堅い滑走路に入ることができた。創価学会という機体は、エンジンを全開して浮上しようとしていた。離陸の瞬間である。
 戸田は、一人、手に汗を握っていた。離陸の瞬間は、最も墜落の危機を秘めた瞬間でもある。戸田の渾身の注意深さが、その瞬間を乗り越えた。
 彼は、今、操縦桿を握り締めながら、飛翔の体勢に入っていた。ひとたび飛翔する以上、広宣流布の達成まで、着陸は許されない。いや、飛翔が止まれば墜落する以外ないのだ。
 墜落――それは広宣流布の死である。
 戸田は、この時から、「追撃の手をゆるめるな!」と最後の遺言を残すまで、遂に一瞬といえども、その手から操縦桿を放すことはできなかった。
 (第六巻終了)

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