Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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布石  

小説「人間革命」5-6巻 (池田大作全集第146巻)

前後
9  人びとは、瞬きもせずに、耳をそばだてていた。戸田の、体当たりともいうべき話に、奥底の迷いまで消えていく思いであったにちがいない。数千の眼は、戸田の一身に注がれていた。
 「大聖人は、『私は大願を立てる!』とお叫びになっている。それは、どんな誘惑にも負けず、どんな脅迫にも退かず、広宣流布一筋に生き抜き、この御本尊をもって全民衆を救い切っていくのだとの大誓願です。
 『法華経を捨てて、浄土教の観経等を信仰して来世の極楽往生を願うならば、日本国を支配する位を譲ろう』という大誘惑があろうとも、そのような誘惑には負けないというんです。皆さんはどうですか。私のところへ、『生活の面をよくしてやるから、信心をやめろ』と周りの人から言われて、『どうしたらよいでしょうか』と相談に来る人がいる。そんな弱い心では、幸福な境涯は絶対に築けません。
 また『念仏を称えなければ、お前の父母の首を切るぞ!』というような、脅迫や大難が起ころうとも、大聖人は、そんなものには、絶対に屈しない、従わないと断言なされているんです。
 そして、自分の教えの正義が破られない限り、ほかの教えに屈することはない。『そのほかの大難などは、すべて風の前の塵のようなものである』――こう仰せになっているんです。この大精神が学会の精神であります」
 参加者は、大聖人の大確信に触れ、それがまた戸田の確信となっていることを知った。そして、学会の使命を深く胸に刻んだ。輝いた目、熱い息吹が、それを物語っていた。
 戸田は、力強い声で言葉をついだ。
 「大聖人は宣言されている。
 われ日本の柱となろう――これは主の位、すなわち人びとを守る力です。
 日本の国の眼目となろう――これは師の位、精神の指導者です。
 われ日本の大船とならん――これは親の位、生命を慈愛する力です。
 主・師・親の三徳としての、日蓮大聖人のこの気迫を深く拝して、いな世界の民衆を救おうではありませんか!」
 戸田の講演は、ここで終わった。いつまでも激しい拍手がやまない。
 この時、司会者は、泉田筆頭理事から、緊急動議が出されたことを告げた。
 泉田は、演台に進み、急き込んだ早口で、動議の趣旨を説明した。
 「今日、支部旗、青年部隊旗を会長は授与されました。これは、単なるシンボルとしてもらった、いや、戴いたものではない。これは、『折伏の旗』であります。われわれは広宣流布の大風を起こして、この『折伏の旗』を持ちゆこうではありませんか。
 ここに私たちの決意を披露すべく、戸田先生に対して、全会員が起立して、誓い申し上げたいと思うのであります」
 期せずして大拍手が起こった。そして、参加者全員が立ち上がり、泉田が誓いの言葉を述べた。
 所詮、学会の組織にあっては、上から指示を与えるのではなく、下から常に盛り上がっていく。本末究竟して一体の団結が、最高の強みとなっているのだ。場内の興奮は坩堝るつぼのようであった。
 戸田は、この時、ふと思った。
 ″これで、七百年祭登山の態勢は見事にできた。後は、事務的な連絡をスムーズにし、期日を違えず推進していけばよい。残るは御書の完成だ……″
10  このころ、御書発刊の作業は、五校から校了へと進み、印刷・製本の仕事が、これから始まるところであった。もう一日も、ゆるがせにできないところにきている。
 ″あと、もう一息だ″
 戸田は、目がくぼみ、憔悴してきた校正係を励ましながら、最後の指揮を執ったのである。
 表紙に使用する羊皮が、なかなか、そろわなかった。引き受けたK商事は、四方八方に手を尽くしたが、大量の羊皮がそろわない。期日は迫ってくる。一時は絶望と見えたが、この難関も危いところで切り抜け、間に合うにいたったのである。
 戸田は、K商事の、この時の労を謝し、後に、御書の奥付に「表紙羊皮 K商事株式会社」の名を特に加えさせた。
 四月十六日夜――こうして御書の編纂は、一切の校正作業を終え、最後の下版をもって完了。四台の大型印刷機が、轟音をあげて動きだしたのである。
 それを耳にした教学部員は、瞬時に、長い間の辛労を忘れた。そして、戸田を囲んで、どの顔も満足そうにそうに笑っていた。
 彼は、深い感慨にふけりつつ、一同をいたわった。「ご苦労でした。これで立派に七百年祭を迎えることができる。大御本尊様の御前に、御書を、お供えすることができる。私は嬉しいのです。
 容易ならぬ事業であったが、しかし、私たちの力を過信してはならない。帰するところは、御本尊様の御力です。また七百年という時の力であります。それに、創価学会の私たちが、お手伝いできた。これ以上の名誉はないだろう。
 畑毛の猊下が、老齢にもかかわらず、至極、お元気であったことが、実にありがたかった。さまざまな条件が、一つ欠けてもできない、難事業だった。諸君も、私の意のあるところを察して、よく頑張ってくれた。厚く礼を申します。
 聞くところによると、身延の方は、二、三冊に分割して出すとのことで、しかも、いまだに、できていない。完全に、われわれの勝利です。七百年祭に間に合ったことは、不思議です。
 それよりも、今になって不思議に思うことは、私が二十有余年、出版事業の経験を積んできたことだ。この過去の長い経験が、この御書一冊を作るためにあったのかと思い当たり、痛感するんです。私の生きてきた道を、実に不思議に思うばかりです」
 四月二十四日、遂に御書が出来上がった。
 ――B六判、インディアペーパー使用、約千七百ぺージ、黒革の表紙、ケース入りの美本である。総経費九百万円。
 分厚く、持ち応えのある御書を手にして、会員たちは、この御書を持つことを誇りに思った。日蓮大聖人の教えは、この一冊に、過つことなく、すべて込められているのだ。これを七百年過ぎた今、遂に手に入れることができたからである。
 戸田は、これで一切の布石は、ひとまず完了することができたと感じた。
 まず、教学における御書の発刊、ならびに『折伏教典』の刊行。次に、各部組織の充実、なかんずく青年部の確立。そして、全国的な広宣流布への布石として、その第一弾となる仙台支部、八女支部の育成と、大阪支部の誕生……。
 彼は、短日月に、あらゆる必要な一石一石を、的確に、パチリ、パチリと打ってきたのである。しかも、それを過たず打つことができた。そして、それらの布石は、七百年祭の直前に、見事、完了することができたのである。
 立宗七百年を境として、以後の鮮やかな大飛躍に備えての布石は、いよいよ、その力を現してくるであろう。彼は、深い疲労も覚えたが、それよりも、これから始まる未来の展望の壮大さに、身の緊張を覚えたにちがいない。
 果たして、七百年祭のその日から、新しい事件が惹起し、局面は思いがけぬ展開を迎えることとなった。
 (第五巻終了)

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