Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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幾山河  

小説「人間革命」1-2巻 (池田大作全集第144巻)

前後
11  質問の手は、次々とあがった。真面目に仏法の話を聞とうとする人が多かったが、なかには批判的に、ふざけ半分で質問する人もいた。回答者を困らせるために、わざと意地の悪い聞き方をする人間は、どこにでもいるものである。
 しかし戸田は、一人ひとりに明快で、確信に満ちた回答を与えていった。
 質問は、きりがなくなった。時間は、既に五時を回っている。
 戸田は、増田を呼んだ。そして、小声で話した。
 増田は、質問者の手を制しながら言った。
 「司会者としまして、このような活発な講演会を、この村で開催でき、本当に嬉しく思います。皆様に厚く御礼申し上げます。時間も、かなり経過いたしましたので、自然の要求もあろうかと存じ、ひとまず閉会といたします。
 このあと、夜七時より、拙宅において、戸田城聖先生を囲んで、座談会を開催いたすことになっておりますから、心ある方は、奮って、おいでください。本日は、まことにありがとうございました」
 夕焼け雲が真っ赤である。
 熱気に満ちた会場から、一行は外に出た。夕暮れの秋風が、きわやかであった。
 山々の襞は、五色の織物のように、さまざまな明暗を描いていた。それは、さながら天地に描かれた、一幅の名画であった。
 稲穂が、秋風に波打っていた。静かな田園の調べが、無言の音律を奏でているようであった。
 秋である。まさしく村里は、実りの秋であった。
 一行は、増田宅に間もなく着いた。そして、さっそく勤行を始めた。簡単な夕食をすませ、茶を飲みながら、またしても、トウモロコシをかじり始めた。楽しい話に花が咲き、にぎやかで、底抜けに明るかった。
 日が暮れ、夜となった。そのころ、村の人びとが、五、六人、やって来た。増田の姉妹は、心当たりの人びとを連れて来ようと、闇のなかへ出て行った。
 囲炉裏の側や、座敷の隅で、一対一の膝詰めの折伏が始まった。入会が決定すると、戸田の前にやって来た。
 まず二十歳前後の、国民学校の教員が入会を決意した。民主主義の問題を質問した青年である。
 実直な、年配の男性が二人、先祖からの宗教に執着して、信心することをためらっていた。だが、納得したらしく、遂に入会の決意を固めた。さらに十七、八歳の元気な娘が、進んで入会の手続きを聞きに来た。
 四人の入会者である。一行は、意気軒昂となった。
 誰よりも嬉しく、得意だったのは、久一郎であった。頬を紅潮させ、途端に若返って、浮き浮きしていた。
 彼は、台所を片付けている妻の側に寄って、しきりに急き立て始めた。
 「家にあるものは、みんな出せ。食べられるものは、全部、出せ!」
 久一郎は、納屋の奥から、大事そうに瓶を抱えてきた。当時の農村の、米のあるところには必ずあった、濁酒である。元警察官の、手塩にかけた濁酒であった。
 「警官の造った酒を、今夜は初めて飲んだが、うまいですな!」
 戸田は、増田をからかいながら、上機嫌である。
 食卓の上には、カボチャ、ふかしたジャガイモ、焼いた秋ナス、山ブドウ、クリ、白菜の漬物、きんぴらゴボウ、薫製のような川魚の煮付け……が所狭しと並んでいた。山里の珍味である。
 皆、遠慮なくっつき、語り合った。楽しく豊かな、宴である。
 戸田の指名で、一人ずつ元気に歌い始めた。さらに、踊りも出始めた。古い民謡もあった。「リンゴの唄」など、流行歌も飛び出した。
 山奥の一軒家は、時ならぬ賑わいで、楽しい雰囲気につつまれていた。講演会の成功が、皆を生き生きとさせたのである。
 戸田も、自ら歌った。そして踊った。彼の踊りは、舞に近い。豪快でありながら、どこか気品が漂っていた。一瞬、静から動に、動から静に移る間の取り方は絶妙で、長身は、実に美しい線を描き、見事であった。
 拍手が繰り返され、明るい笑い声が波打った。誰もが楽しみ、愉快であった。
 皆が、夜の更けるのも忘れていた。近くには、家はない。深夜の涼気が、すっぽりと、この喜びに満ちた家をつつみ、闇が温かく、いただいていた。周囲の草むらには、秋の虫たちが声をそろえて、盛んな合唱を繰り返していた。
 「明日がある。休ませていただこう」
 戸田が、こう言った時には、既に真夜中になっていた。
 翌朝は、午前四時前には起きなければならない。東野鉄道の黒羽駅発が、午前六時半だからである。
 一行は、正午までに、群馬県桐生市に到着の予定であった。桐生の学会員が、首を長くして待っているのだ。
12  未明の暗い道を、一行は黒羽駅へ向かって急いだ。夜明け前の冷気は、眠気を覚ますには好都合であった。が、いささか寒かった。
 途中で、強度の近視の戸田は、道沿いの小川に、足を滑らせてしまった。そして、片足を腿まで濡らしてしまったのである。
 清原と酒田が駆け寄って、濡れた足を拭いた。
 戸田は、カラカラと笑いだした。
 「肥溜の中でなくて、よかったよ」
 一同は、ぷっと噴き出した。どこで何が起きても、いつもユーモアを忘れぬ戸田であった。見送りに来た増田姉妹は、いつまでも笑い転げていた。
 やがて、空が白んできた。
 妹の政子は、つと戸田の側に寄り、小声で言った。
 「先生!」
 「なんだ」
 彼女は、口をつぐんで、なかなか言わない。
 戸田は、優しく言った
 「言ってごらん。なんでも聞いてあげるよ」
 「先生……私、東京に出たいんです」
 「どうして?……あっ、結婚のことか」
 政子は、思わず顔を赤らめ、頷いた。戸田に見抜かれたのである。胸のなかで、びっくりもした。
 「焦っちゃいかん。幸福は、遠くにあるのでは決してない」
 戸田は、ひとこと言った。
 「でも、先生、私、疎開してもう三年にもなります。話は、幾つもありましたが、みんな駄目なんです。だいいち、こんな山の中で、私にふさわしい人を、探せるはずはないと気づきました。どうしても、東京に出たいんです」
 強く意を決した話し方であった。
 政子にとっては、当時の多くの女性と同じく、戦争が結婚を遅らせていたのである。戦後になっても、彼女は、那須の山奥にいなければならなかった。結婚の機会は、失われていくように思われた。
 彼女は、いつか焦りだしたのである。
 「東京へ出さえすれば、いい相手が見つかると思うんだね?」
 戸田は、振り向いて、政子に言った。
 「そう思うんですけど・::・」
 「見つからん。焦っちゃいかん。不幸になるだけだ」
 彼は、言下に否定した。
 彼女は、失望の色を浮かべ、うなだれた。
 「ちゃんと、信心してごらん。欺されたと思ってもいいから、立派な信心を買いてごらん。山奥にいようと、都会にいようと、貴女にいちばん、ふさわしい立派な人に、必ず巡り合える。どういう順序でそうなるか、それはわからん。が、きっとそうなる。場所ではないよ。信心だ。そうでなかったら、御本尊様は、嘘だよ」
 「………………」
 戸田の指導は、いつでも、場所を選ぶことなく、形式抜きで行われた。人によっては、自分の一生を左右しかねない問題で、指導を受けているのである。その場限りの感情論で、納得のいかない指導をしていては、人生を大きく狂わせてしまう。だから戸田は、絶えず妙法を根幹に、揺るぎない信心の立場から、真剣勝負で臨んだ。
 「心配することなんか、少しもない。信心で、自分の宿命を大きく開いていくんだ。私が、じっと見ていてあげる。決して焦つてはなりませんぞ」
 彼は、厳しい口調で言った。
 政子は、深く頷いて納得した。
 戸田は、政子の手を取って、優しい父のように諭した。
 「元気になるんだよ。卑屈になっては、いかん。那須で、大いに頑張りなさい。信心でね」
 彼女は、いつか涙ぐんでいた。
 夜は、すっかり明けた。
 列車は、定刻六時半に発車した。清原の振るハンカチに応え、増田姉妹が、プラットホームで、いつまでも手を振っていた。
 列車は、のろのろと走っていた。睡眠不足のためか、皆は、たちまち気持ちよく眠り始めた。戸田は、仁丹を、むやみにポリポリとかんでいた。そして、窓外の広い原野を眺めていた。
 彼方には、幾重にも重なる山々の峰がそびえていた。
 彼は、厳しい表情を崩すことなく、窓外の景色に、じっと目を向け、深い思いにふけっていた。
 ″ここに見える現実の山々は、どんなに遠く険しかろうと、歩けば峰を極めることはできる。この足を、一歩一歩、弛まず運びさえするなら、どんなに高い山でも、いつかは必ず越えることができる。これは間違いない。しかし、広宣流布の幾山河は、いったい、どこにあるのか。いつ見えるのか……″
 戸田は、地方指導の第一歩を踏み出した。その道は、謹かなる山河に、続いているように思えた。
 一瞬、空漠の思いに駆られ、外界の山々と己心の山々とが、重なり合っていった。
 ″広布の幾山河。それこそ、十重二十重の山であるにちがいない。ただ、足を運べば、越すことができる、といった山でないことは確かだ。それは、魔との壮絶な戦いであるにちがいない。影も、姿も見せぬ魔との戦い! 所詮、広宣流布の幾山河は、底知れぬ宇宙に広がり、はびこる魔との戦いであろうか……″
 彼は、ここまで思いたどった。そして、日蓮大聖人の御姿を、一人懐かしく思い浮かべていた。静かに唱題しながら、列車の心地よい振動に身を任せた。
13  列車は、西那須野駅構内に入った。そこで東北本線に乗り換え、そして小山駅に着いて、今度は両毛線に乗り換えた。
 桐生駅には、二、三人の顔見知りの同志が出迎えていた。
 一行は、この地方都市の繁華街にある、古くからの信徒の家に案内された。宮田という姓である。疎開した学会員の山田や、野口や、鬼頭たちは、戦時中、灯火管制下にあっても、座談会を、折々、開いていた。なんとか信心の火を絶やさず、守ってきたのである。
 戸田は、宮田宅で、さっそく勤行を始めた。この地には、日蓮正宗の寺院もあったが、驚いたことに、経文の読めない信徒が大部分であった。
 小憩し、座談会場になっている、最近、信心を始めたという水田宅へ赴いた。
 戸田は、道々、しきりと三島由造に話していた。
 「ここの信心は濁っているな。すっきりさせなければ、いずれ大変なことになるだろう。三島君、ひとつ、せっせと通って、厳しく指導してやってくれたまえ」
 「はい!」
 三島は答えた。
 すると戸田は、駄目押しするように、強い口調で言った。
 「しかし、骨が折れるぞ!」
 三島は、この時、何も気づかずにいた。だが、この方面の信心が軌道に乗るまでには、事実、数年の歳月が必要であった。
 座談会には、十人の人が集まっていた。そのうち、未入会の参加者は、一人だけであった。
 戸田は、一人ひとりに、和やかに話しかけた。おのおのの生活状態を聞き、懇切な指導をしていった。そして、日蓮大聖人の仏法の峻厳さと、慈悲の深さを説いた。
 最後に戸田は、広宣流布への並々ならぬ決意を話って、話を結んだ。
 「広宣流布は、戸田がやる。誰にも渡さん。みんな、しっかりついて来なさい。必ず無量の福運を積むことができるんですよ」
 未入会の一人は、信心をすることになった。
 地方指導を終え、桐生を後にした一行の心は、晴れ晴れとしていた。
 帰りの列車は、立錐の余地もないほどの混みようであり、身動きもできなかった。
 戦後第一回の地方指導は、手探りにも似た状態でスタートしたが、広宣流布の新たな突破口を開いたのである。
 戸田の胸は、深い感慨に満たされていた。それは、いかなる山河も、勇気をもって歩みを運ぶならば、必ず踏破することができるという確信であった。弟子たちも、その確信を深めたのである。

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