Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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一人立つ  

小説「人間革命」1-2巻 (池田大作全集第144巻)

前後
12  長身の彼は、最後に立ち上がると、低い声で語り始めた。
 「私は寒い独房の中で、いつも御本尊様に祈っておりました。″私は、まだ若い。先生は七十三歳でいらせられる。どうか、罪は私一身に集まって、先生は一日も早く帰られますように″と。
 ところが、忘れもしない今年一月八日、私は取り調べの判事から、突然、『牧口は死んだよ』と聞かされたのであります。私は独房に帰って、ただ涙にかきくれました。この世に、これほどの悲しみがあろうとは、思いもかけないことでありました。
 先生は、死して獄門を出られた。不肖の弟子の私は、生きて獄門を出た。私が、何をなさねばならぬかは、それは自明の理であります」
 戸田は、ここで話を切った。そして、次の言葉を探すように、しばらく皆の上に目を馳せた。
 うつむいて、涙を拭いている者もいた。何を言だすかと、敵意すら、あらわにした目もあった。ポカンと、虚空を見ているような目もあった。彼は、″なんと話しにくい空気だろう″と思った。瞬間、話を打ち切ろうとさえ考えた。だが、言わねばならぬことが、堰を切ったように口をついて出てきた。
 彼は、一段と声を励まして言った。
 「顧みますに、昭和十八年(一九四三年)の春ごろから、先生は『学会は発迹顕本しなくてはならぬ』と、口ぐせのように仰せになっていました。
 私たちは、『学会が発迹顕本する』とは、いったいどういうことか見当もつかず、戸惑うだけの弟子でありました。先生は、『発迹顕本』の証拠をあげることもできぬ私ども弟子たちが、いかにも意気地なく、悪いように、おっしゃる時もありました。
 しかし、私たちは戸惑うだけで、どうすることも知らずに、今日まで来てしまったのであります。今にして、先生のお心が、少しもわかっていなかったことを知りました。私は、出獄以来、ほぞをかんでまいりました。
 しかしながら本日、私は、牧口先生にも、皆さんにも、はっきり申し上げられる。さすれば、何を悔やむことがありましょう」
 戸田は、きっと顔を上げた。部厚いメガネが、キラリと光った。皆の視線は、一斉に彼の口元に集まった。
 「われわれの生命は、間違いなく永遠であり、無始無終であります。われわれは、末法に七文字の法華経を流布すべき大任を帯びて、出現したことを自覚いたしました。この境地にまかせて、われわれの位を判ずるならば、所詮、われわれこそ、まさしく本化地涌の菩薩であります」
 戸田は、「四信五品抄」の一節を読み上げた。
 「請う国中の諸人我が末弟等を軽ずる事勿れ進んで過去を尋ぬれば八十万億劫に供養せし大菩薩なりあに熈連一恒きれんいちごうの者に非ずや退いて未来を論ずれば八十年の布施に超過して五十の功徳を備う可し天子の襁褓むつきまとわれ大竜の始めて生ずるが如し蔑如べつじょすること勿れ蔑如べつじょすること勿れ
 〈国中の人びとに求めたい。私の弟子たちを軽んじではならない。私の弟子たちは、その過去を探求すれば、八十万億劫という長期間にわたり、仏を供養した大菩薩である。熈連河やガンジス川の砂の数ほどの仏のもとで修行した衆生であることは間違いない。また未来を論じれば、八十年の問、一切衆生に無量の財宝を布施する功徳をはるかに超えて、五十展転の功徳を備えるのである。私の弟子は、たとえば国王の子が、産衣を着けているようなものであり、大竜の子が、初めて生まれてきたようなものである。すげさんではならない。蔑んではならない〉
 戸田は、この御文を通じて、御本尊を受持して広宣流布に励む学会員の境涯が、いかに偉大なものあるかを自覚させていったのである。
 「話に聞いた地涌の菩薩は、どこにいるのでもない、実に、われわれなのであります。
 私は、この自覚に立って、今、はっきりと叫ぶものであります。
 ――広宣流布は、誰がやらなくても、この戸田が必ずいたします。
 地下に眠る先生、申し訳ございませんでした。
 先生――先生の真の弟子として、立派に妙法流布にこの身を捧げ、先生のもとにまいります。今日よりは、安らかにお休みになってください」
 戸田の一言一句は、並みいる人びとの心を、電撃のように打った。みんなは、一瞬、毒気を抜かれたように、われを忘れて聞いていたが、その瞬間が過ぎると、ざわつきだした。ほっと、ため息をつく人もいた。ヒソヒソと隣の人に話しかける人もいた。
 ニヤリと口もとに笑いを浮かべて、戸田の法螺ほらが始まったと言わんばかりに、うつむく人もあった。生意気に何を言うかと、昂然と敵意を示す人もあった。
 皆、一瞬の表情であったが、彼らの心は隠せなかった。
13  秋の日は、既に深く静かに暮れていた。戸外は真っ暗になり、電灯がついていた。
 寺川や宮島のグループは、遺族にあいさっすると、真っ先に玄関へ立った。参会者は、一人ひとり逃げるように去っていった。
 戸田は、最後に丁重に、遺族を送り出した。本堂には、彼と数人の人が残った。
 「戸田さん、くれぐれもお体を大事にしてくださいよ」
 堀米は、彼にこう言って、庫裏へ行った。
 戸田は、ガランとした本堂に立った。自分の真意を汲んだ者の一人としていないことに、気づかねばならなかった。激しい孤独感が、またもや彼を襲った。
 数人の人びとと、彼は連れ立って駅に向かった。彼は、いつになく不機嫌であった。経済人グループの誰彼が話しかけても、返事すらしなかった。そのうえ肌寒い秋の夜気は、彼の心を、ますます引き締めた。
 駅近くになって、戸田は、やっと口を聞いた。
 「どうか諸君も、これから悔いない信心をしていただきたい。後になって、法華経に名を残すか、残さないかは、ここ二、三年の信仰いかんで決まってっしまう。
 信仰は体、事業は影であると大聖人は仰せなのだから、信仰を中心として、学会の発展と事業の成長を、ともに願っていこうじゃないか」
 戸田は、何を思ったか、急にそう言って、経済人グループを激励した。
 彼は歩みながら、未来への決意を秘め、自作の詩を一人、静かに歌い始めた。
  我いま仏の 旨をうけ
    妙法流布の 大願を
  高く掲げて 一人立つ
    味方は少なし 敵多し
  
  誰をか頼りに 戦わん 
    丈夫の心 猛けれど
  広き戦野は 風叫ぶ
    捨つるは己が 命のみ
  
  捨つる命は 惜しまねど
    旗持つ若人 いずこにか
  富士の高嶺を 知らざるか
    競うて来れ すみやかに
14  歌いつつ、彼は、かつてない感動を抑えることができなかった。あふれんばかりの情熱と、確信と、決意とに、身を震わせていた。
 ふと、彼の頭に、ある言葉が浮かんだ。
 ――師子は伴侶を求めず。暗々裏に伴侶は求めていたことからきている。彼の弱い心の仕業であったかもしれぬ。
 師子は伴侶を求めず――伴侶を心待ちにした時、百獣の玉、師子は失格する。
 師子には、絶対、孤独感はない。伴侶は求めずして、ついて来るものだ。広宣流布の実践は、師子の仕事である。自分が師子でなければならぬなら、伴侶は断じて求むべきではない。自分が真の師子ならば、伴侶は自ら求めて、自分の後についてくるにちがいない。
 要は、自分が真の師子であるかどうかにかかっている。まことの地涌の菩薩であるか、否かだ。
 ″俺は、師子でなければならない。師子だ。百獣であってはならない″
 彼は、一瞬にして悟った。
 連れ立った連中に、彼は力強く言った。
 「それでは、今日は、これでお別れしよう。来年十一月十八日の先生の三回忌には、盛大な法要を営もう。一年の辛抱だ。その時、学会の総会もやるんだ……」
 連れの人びとには、今夜の戸田は、どうかしていると思えてならなかった。不思議そうに、ただ、彼の顔をのぞくばかりであった。
 戸田は、生き生きとした表情で、人なつっこい笑顔を浮かべていた。
 今、戸田は、一周忌に集まった人びとの様相から、ただ一人、妙法広布へ、前進の指揮を執らねばならぬと立ち上がったのである。
 こうして、この夜は、戸田城聖が広宣流布の第一声を放った、歴史的一日となった。
 しかし、この時、誰人も、戸田の決意のただならぬものであることを知らなかった。集まった人びとは、法要をすませた心安さで、ただ家路を急ぐばかりであった。
 秋の夜の空気は、戸田の心と同じように澄んでいた。空には、星が美しく瞬き、彼の未来の輝く勝利を、祝福しているかのようであった。
 時折、木枯らしを思わせる風が、木々の葉を揺さぶり、灯火のついた窓を叩いていた。
 シラーは言った。
 ″一人立てる時に強きものは、真正の勇者なり″

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