Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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占領  

小説「人間革命」1-2巻 (池田大作全集第144巻)

前後
6  このように政府は、先の写真事件以来、矢継ぎ早に出される「民主化」の指令を、理解するのに戸惑っていた。
 九月二十六日、一人の哲学者が獄死した。それは、自由主義の思想家・三木清である。
 彼は、友人の共産党員をかくまったという理由で、治安維持法により、豊多摩刑務所に投獄されていた。
 疥癬で悶え苦しんだとの一哲学者の死によって、なお多数の思想犯が獄中にあることが知らされた。軍国主義が崩壊したにもかかわらず、依然として、治安維持法が有効であったことに、世間は、あらためて気がついたのである。
 山崎内相は、外国特派員たちに対し、当然のことのように言った。
 「思想取締の秘密警察は、現在なお活動を続けており、反皇室的宣伝を行う共産主義者は、容赦なく逮捕する……政府形体の変革、とくに、天皇制廃止を主張するものは、すべて共産主義者と考え、治安維持法によって逮捕される」
 外国特派員は、唖然とした。
 今日から見ると、まことに奇怪至極な問答が、大真面目に行われたのである。そして、その詳報は、占領軍機関紙「スターズ・アンド・ストライプス」に掲載された。
 武装解除については、全面的に協力した日本政府も、それ以外のことは、すべて旧体制の復活を夢見ていたのである。天皇の戦争責任が、世界的な関心の的になっている時代に、彼らは、天皇制統治機構の維持に全力を注いでいたのだ。
 これほどの見当違いが、政府最高首脳によってなされていたのだった。時代の潮流を知らず、先見の明もない国家的指導者の愚劣な姿が、そこにはあった。
 十月四日、日本政府に対し、政治的自由、市民的自由、宗教的自由に関する制限の撤廃と、十日までに政治犯、思想犯を釈放することを指令した。これで、治安維持法の廃止、共産党の合法化がなされなければならなくなった。
 さらにGHQは、内相以下、全国警察首脳部の罷免と、特別高等警察の廃止を命じてきたのである。
 「総懺悔内閣」といわれた東久邇内閣は、この指令を行えば、国内の治安維持に責任がもてぬという、全く無責任極まる理由をもって、翌五日、総辞職してしまった。組閣以来、五十余日の命であった。
 この政変を契機として、いよいよ戦後の本格的な新しい変革が始まったのである。
 十月九日に、幣原内閣が成立した。十五日に、治安維持法は廃止された。そして、保護観察下の者も含め、政治犯約三千人が釈放されたのである。
 戸田城聖は、治安維持法廃止の十月十五日を境として、本当の意味で青天白日の身に戻ったわけである。しかし、そのことよりも彼を喜ばせたことがあった。それは、4日に発表された総司令部の覚書の一項に、信教の自由を指令してあったことである。
 信教の自由は、宗教がいかなる政治権力の拘束も庇護も受けてはならないと規定されて、初めて完壁なものとなる。宗教そのものの勝劣、浅深は、宗教の広場で決められるべきであって、そこに、いさかも権力が介入してはならない。真に力のある宗教は、信教の自由を欲し、力のない宗教は、権力と結託しようとする
 広宣流布は、信教の完全な自由のもとでなければ、達成は困難である――戸田は、かねてから、そう考えていた。
 今、その自由の日が訪れた。日蓮大聖人が御在世当時以来七百年、このような自由の時代は、ただの一度もなかった。
 しかし、この信教の自由も、日本国民の声が、これを実現する力となったのではなかった。全く、他国の司令官を通しての指令によるものであった。これこそ、梵天、帝釈の御計らいというべきであったろう。
 戸田は、事務所への道々、美しく澄んだ秋空を仰ぎながら、ひそかにつぶやいた。
 「梵天君、なかなかやるじゃないか」
 彼は、大きく息を吸った。これから先の彼の活動を妨げる力を、もはや国家権力は完全に失った
 さわやかな秋の日差しに、舗道を行く彼の足取りは軽やかであった。思いきり大きく手を振り回してみる。あの恐るべき栄養失調症から、健康がめきめき回復してきたことを、彼は感じた。
 「今度こそ、自由なんだ。本当に時が来た。今こそ、なすべきことをなさねばならぬ。必ずや、日本の不幸な民衆は救われるのだ。いな、絶対に救わねばならぬ」
 彼は、心につぶやき続けた。わが身の自由は、そのまま広宣流布への宗教活動の自由に通じる。自身の残された生涯が、そのためにあることを、彼は深く自覚していた。握り締めた手は、いつしか、じっとりと汗ばんでいた。
 この日、解放感を味わった、多数の無実の政治犯、思想犯があった。だが、彼ほど歓喜を深く覚えた者は、なかったにちがいない。
 戸田城聖は、誰よりも信教の自由を希求していた。その意義の大きさを、彼ほど自らの体験によって、よく知っている者はなかった。彼の歓喜は、それが全民衆に、どれほど多くの幸福をもたらすことになるかを、予見していたところから発していた。
 彼は、珍しく口髭を、しきりとなでながら歩いていた。出獄後三カ月余りたって、どうやら口髭は、二年前の状態に戻っていた。この感触は、二年の苦難が、ようやく過去のものとなったことを、文字通り肌で強く感じさせたのである。
 「ひとまず、これでいい……」
 彼は、独り言を言い、大きく胸を膨らませた。だが一方、虚脱し、不安におののいている民衆の心を思う時、自らの使命を強く感じて、いたたまれぬ焦燥に駆られるのであった。
 敗戦という未曾有の困難に処するにあたって、日本政府の指導者たちは、あまりにもだらしなかった。虚脱の度合いは、民衆よりも、むしろ指導者自身の方が大きかった。占領軍でもいなかったら、おそらく全国各所に暴動が起きていたにちがいない。
 今、民衆は、反抗すべき対象すら失ってしまっていた。無力極まる日本政府を相手にしても、米一俵出てくるはずもない。占領軍への反抗は、終わったばかりの戦争の再発にしかならない。はけ口のない不満を、民衆は、いやでも毎日、味わわねばならなかった。
 異常なほどの失意と絶望が、もはや日常的なものになってしまっていた。
 戸田城聖は、このような暗い底流が、八千万の国民の心に流れていることを知っていた。
 彼の鋭敏な心中には、人知れずうずくものがあった。
 道行く人びとの顔を、子細に眺めながら、彼は、心で呼びかけたい衝動に駆られた。
 ″待て、待て、皆さん……あなた方が悪いのでは決してない。……所詮は、誤れる宗教の害毒が、積もり積もって、この結果を招いたにすぎないのですよ。……と言ったところで、今、皆さんには、わかるまい。情けないが、わからない″
 彼は、危うく一人の若者とぶつかりそうになった。大きな包みを抱えた婦人が、彼の脇腹に包みぶつけて行った。
 戸田は、なおも思いに沈みながら、静かに足を運んでいった
 ″これが、一国の謗法の恐ろしさなんです。七百年前、日蓮大聖人が明らかにおっしゃっている。だが、誰も信用しなかった。信仰しなければならない時が、今、やっと来たところです……″
 彼は、誰かと語るように、自らの心に、なおも話しかけた。
 ″……そうなんだ、皆さん、私は知っている。間違いなく知っている。私は皆さんに、それを、今度こそは徹底してわからせるために、どんな苦労をしても生きていきますよ。安心なさい。
 ……差し当たってのことですか。
 ――まったく、どうにもならんが、梵天君が、応急処置くらいはできそうですよ。だって、それが彼の役目というものです……″
7  戸田城聖の心に、梵天として映ったマッカーサーは、極めて仕事熱心な人物であったようだ。
 彼は、職務に関係ない日本人とは会わなかったし、アメリカ人であっても、重要な訪問者か、側近にいる特定の人物以外とは、あまり会おうとしなかった。
 彼は、自分の任務遂行に必要のない場所には、出かけることもなかった。
 マッカーサーは、一九四五年(昭和二十年)八月の厚木到着から、五一年(同二十六年)四月に、朝鮮戦争(韓国戦争)をめぐるホワイトハウスとの対立で、トルーマン大統領から最高司令官を解任されるまでの五年八カ月の間、その任にあった。
 五〇年(同二十五年)六月に、朝鮮戦争が勃発する以前、彼が日本を離れたのは二回しかない。
 一回目は、四六年(同二十一年)七月、フィリピン独記念日の祝典に参加するためマニラを訪れたが、式典が終わると、すぐに日本に戻っている。二回目は、四八年(同二十三年)八月、大韓民国の建国宣言の式典に向かったが、彼は、その日のうちに帰ってきた。
 日本を離れないというより、彼は東京から離れることすらなく、各地で占領政策を実行している占領軍の駐屯地を視察することも、一度としてなかった。
 要するに、彼は、最高司令官としての彼の執務室以外には、どこへも出かけようとはしなかった。マッカーサーは、一日も休むことなく、公邸であるアメリカ大使館とGHQのある第一生命ビルとの間を往復していた。
 彼は、連合国軍最高司令官という、占領国・日本における、すべての権限を与えられた者として、日本を自分の理想とする国家に仕立て上げることを夢見て、そこにすべてを捧げようとしていたといえるだろう。
 もとより、戸田城聖がマッカーサーと会見する機会などは、全くなかった。また、マッカーサーも、当時、戸田城聖の名前など知る由もなかった。
 けれども戸田は、自身の心に影を落としたダグラス・マッカーサーに、不思議な親近感を覚えていた。それは、仏法の法理に照らして、戸田が、マッカーサーの歴史的な役割を、正確に見ていたからであろう。だが、むろん戸田を除いて、そのことは誰一人として気づくべくもなかった。
 戸田は、そのような不思議な人物に占領された、日本の運命に思いをいたした。
 ″ともあれ日本は、占領されてしまった。確かに、民族としてみれば、これ以上の悲劇はない。だが、人間の心も、修羅や畜生の生命に、占領されきっている場合がある。社会や国家が、悪魔の思想に占拠されている場合もある。その方が、より悲劇的なことだ。
 しかし、御書には、「大悪をこれば大善きたる」と仰せである。一国謗法の大悪は、日本に正法が興隆する前兆なのだ。この法理からすれば、やがて日本が、仏界に覆われていく日も、遠くはないだろう……″
 戸田は、一国の変毒為薬を心深く期していたのである。

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