Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第三節 ナイチンゲール  

随筆「私の人間学」(池田大作全集第119巻)

前後
13  いつの時代にあっても、人のうわさ話など無意味な語らいに時間を費やしたり、虚栄を追い求める人は多いが、真摯に自己を見つめようという人は少ない。
 しかし、すべては、自己自身の変革から始まる。生活も、事業も、教育も、政治も、また経済も、科学も、一切の原点は人間であり、自己自身の生命の変革こそがすべての起点となる。私どもが「人間革命」こそ一切の基盤とならねばならないとするゆえんがここにある。
 私は、百年前の一女性が、自らそれを達観したことに対し、大きな驚きと感嘆とを覚える。
 彼女は書簡の中で「私たち看護するものにとって、看護とは、私たちが年ごと月ごと週ごとに《進歩》しつづけていないかぎりは、まさに《退歩》しているといえる、そういうものなのです」と述べている。
 また彼女は「(不平と高慢と我欲に固まった、度し難い人間、《そういう》人間だけには《なりたくない》ものです。)そして演劇の合唱隊みたいに、二分おきに『進め、進め』と大声で歌いながら一歩も足を進めないような人間にだけはならないようにしようではありませんか」と呼びかけている。
 彼女は、この言葉どおりの、進歩、前進の人生を全うした女性であった。
14  一八六〇年に、彼女は「ナイチンゲール看護婦学校」を創設した。体をこわしていた彼女自身は、ついに一度も教鞭をとることはなかったが、彼女の熱意は教師や学生の心を激しくたたき、助言を求め、相談に来る人はあとをたたなかったという。
 学生たちが彼女を慕う気持ちは卒業の後も続いた。行き詰まり悩んだとき、卒業生たちは、世界のいずこの地からも彼女のもとにやってきた。ナイチンゲールは病弱を押し、忙しい仕事の合間をぬって彼女たちと会い、一生懸命に激励をした。そしてふたたび元気になった卒業生たちは、自信を取り戻して彼女のもとからまた世界へと出発していった。
 彼女が七十三歳の時に書いたある論文の中で「《われわれ》がみんな死んでしまったとき、自ら厳しい実践の中で、看護の改革を組織的に行なう苦しみと喜びを知り、われわれが行なったものをはるかにこえて導いていく指導者が現われることを希望する!」(同著作集2)と、後世の人に対し、万感の思いを語っている。
 こうしてフローレンス・ナイチンゲールは、輝く功績を残し、九十歳で眠るがごとき安らかな最期を迎えている。
 ナイチンゲールの残した近代的看護の伝統は今なお生きている。彼女の残した偉大な業績は、死後もなお進歩と前進を続けているのである。真に偉大な仕事は、その人の死後もなお力強い進歩を続ける――このことを深く銘記したいものである。

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