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日蓮大聖人・池田大作

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2 大地から生まれた人々  

「希望の世紀へ 宝の架け橋」趙文富(池田大作全集第112巻)

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8  古代史における友好の記録
  『高麗史』の「地理誌」には、地から涌出した三氏は、それぞれ海を渡った「東海碧浪国」とは、三人の王女を娶ったと記されています。
 そして、その「東海碧浪国」とは、『高麗史』の「地理誌」と『星主高氏伝』のいずれにおいても、「日本国」であると明記されているのです。
 池田 すると、済州島を訪れた最初の外来人は、日本人であったことになるのでしょうか。
  そう思います。
 池田 かなり古い時代から、日本という国が、済州島の人たちにとって「身近」であったことがうかがえます。営々として交流が行なわれていたのですね。驚くとともに、大いに感動します。
  三人の始祖たちはその後、矢を放って自分たちの定住地を決めました。その時の矢の「跡」が岩に残ったとされる「三射石サムサソク」も、済州市の北東部にあります。
 こうして栗などの穀物栽培が始まり、今日にいたったとされています。つまり、開国神話自体が、「狩猟社会から農耕社会への変革」を物語っているのです。
 池田 興味深いお話です。
 社会の変革期には、変革にふさわしい、自分たちの成立の神話を作り上げるとも言えます。
  注目すべきことは、有史以後の『三国志』『魏書』「日本書紀』などの中で、済州島は主に韓半島、日本、中国との朝貢関係のなかで登場するのであり、逆にそれらの地域の人が済州島に移住してきた等の記録はまったくないにもかかわらず、開国神話では最初から、「日本から王女を娶った」となっている点です。
 池田 おっしゃるとおりです。
 『高麗史』の成立が比較的新しい時代のものであることや、「神話」の中の「東海碧浪国」が必ずしも日本である必然性はないとの主張などは、「史実」という側面から見れば、当然、考慮しなくてはならないでしょう。
 しかし、ここで大事にしたいのは、完壁な「史実」を追求することではなく、最終的には『高麗史』に「東海碧浪国は日本国である」と記し残されたという「事実」であると考えます。
  そうですね。我らの始祖が、実際に日本から来たのか来なかったのかということは、確認するのはむずかしいでしょう。
 むしろ、我々の祖先が、「済州の始祖が日本人を娶った」と書き残した、その「友好交流の記録」を誇りにしたいと思います。
 また、これこそが、韓日友好の「原点」ではないでしょうか。
 池田 心に深く深く刻まれるお話です。
 そもそも、人間が「国家」を意識し始めたのは、歴史学的には「つい最近」のことと言えます。もともと「領土」も「国境」もなかった。言語の境目も、揮然としていたことでしょう。そこにあったのは、「人間」と「人間」との自然な交流であります。
  そのとおりですね
9  「心を大きくする」教育を
 池田 私が最も感動するのは、この説話を、代々、受け継ぎ、受け入れている、済州の人々の心の大きさです。
 もし日本人に対し、「日本の始祖が『他国から』妻を娶って国を開いた」というたぐいの話をしたら、受け入れがたく感じる人も少なくないでしょう。
 言うまでもなく、貴国の方々はもちろん、中国大陸の人、南方系の人、北方系の人、ざまな地域の民衆が集い、血が混ざり合って形成されたのが「日本人」です。このことは、学問的にも明らかです。
 しかし戦時中、誤った「選民思想」に毒されたゆえに、戦後六十年を迎えようとしている今なお、「偏狭な島国根性」をぬぐい去れない。
 それはともすると、アジアへの偏見となって、しばしば倣慢に、おもてに表れてしまいます。
  日本人と仲良くしたいと思っている多くのアジアの人びとが、共通して心配する点ですね。
 池田 世界市民が時代のキーワードとなるなかで、「明らかであること」「当たり前のこと」を「認められない」のであれば、アジアからも、世界からも、取り残されてしまいます。
 済州島の方々は、「片方の親」を日本人としてくださっているのに、こうした日本の状況は、情けない限りです。
 これではいつまでたっても、貴国との間に真実の友情など築けるはずがありません。
 だからこそ、最も大切なのは教育です。正しい歴史認識も「教育」からもたらされます。
 博士とも、教育についての語らいを重ねてまいりました。
 済州大学と創価大学、慶熙高校と関西創価学園の交流も、その一環ですが、私の生涯の「最後の事業」は、教育だと考えています。
 「本物の人間教育」を取り戻さなくては、日本はどんどん孤立してしまう。「世界平和」といっても、絵に描いた餅になってしまうと、私は思うのです。

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